明治時代に岩本千綱というバックパッカーの神様みたいな日本人がいました。彼の書いた「シャム・ラオス・安南 三国探検実記」は、古い日本語で読みにくいけど、内容は、実におもしろい。
東南アジアのバンコクからラオスを経由してベトナムまで、「東海道中膝栗毛」のような珍道中記です。
僧侶の姿で旅をし、田舎のタイの人たちを騙したり、古き良き時代のタイがわかります。
彼は、退役陸軍軍人さんでしたので、もしかしたら、陸軍の命をうけての、調査旅行だったのかもしれません。
タイやラオスに日本人の移民をという事業もやっていたそうで、移民として渡タイした18名の日本人が、タイ中央部コラート鉄道建設に労務者として従事しましたが、マラリアなどに侵され全員が亡くなったそうです。
その犠牲者たちの慰霊碑が、バンコクからコーラートに向かうケンコイというところの寺院にあります。
タイ日本人会が、定期的にそこで慰霊祭を執り行っています。
わたしが行った1991年の時の慰霊碑は、こちら
霊碑には、日本人大1回シャム移民山口県人鍛本作造氏外17名の霊此地ゲンコイに眠る
これらの人びとは、1894年(明治27年)岩本千綱氏引率の下に日本人最初の移民団に加わって、シャムに渡り農務卿スリサク侯の後援を得バンコック市にて米作に従事したが事志と相容れず
時恰もバンコックーコーラート間鉄道敷設に当りタイ国鉄道省ドイツ人技師の斡旋により之に従事した
稀有の難工事に加え未開瘴癘遂にマラリヤに冒され十八名が異郷に永眠
之等移民の七十年祭に本国より仏像一体を勧請し碑を建立して霊を慰め以て其の福を祈ると書かれています
慰霊碑は、1966年3月21日にタイ国日本人会が建てています。
しかし、詳しい調査によると、第1回タイ移民団は32名で、20名以上はブカヌン金山で働き、鉄道工事についたのは7名だったともいわれています。
日本が戦争に負けたときに、僧侶の姿でタイから日本まで逃げ、その後政治家になった辻参謀もいましたが、兵士たちを戦場に残して、我先に逃げ帰るような士官がかなりいたようで、それじゃあ、戦争には勝てませんよね。
最近になって、明治維新の真実とか、戦国時代のキリスト教とか、ネットならではの裏話なども出てきていて、歴史は、楽しいですね。
大航海時代の帝国主義国家は、アジアに香辛料を求めてと言われてきましたが、実は、アフリカと同じで、アジアにも奴隷貿易のために来ていたという話もあります。
日本人も、戦前戦後の混乱期まで、労働者として、移民として外国に送られたり、奴隷労働をさせられるために売られたりしていました。
貧しさって、本当にいろいろな悲しみを生みます。自分の国を愛さなければいけませんし、負ける戦争はしてはいけませんね。