60年代にジャックスというフォークバンドがありました。
このメンバーに谷野さんがいて、彼と友人たちがスウェーデンでの体験を面白おかしく話してくれました。
当時のスウェーデンといえば金髪女性がフリーセックスというイメージでしたから、それまでは、ビートルズの影響でインドに行ってヨガをとか思っていたのに、そうだ、北欧に行ってからインドに行こうとなったわけです。
その前から五木寛之の小説などで、ヨーロッパ放浪という言葉も魅力的で、いろいろな本を読んで、ナホトカ航路で日本を離れ、シベリア経由でヨーロッパに行く計画を立てました。
旅に出るには、準備が必要で、田舎の無知な若者ですから、まずは、リュックサックを買いました。
当時は、まだパックパッカーという言葉もなくて、縦長で腰ベルトのついたかっこいいリュックなど見たこともなく、リュックといえば、登山部の人たちが背負っていた横長でキャンパス地のキスリングといわれていたリュックでしたので、それを購入しました。
そして、いろいろと本の中から必要と思われるものをピックアップして、徐々に準備を進めていったわけです。
ヒッチハイクをするのが旅の定石と思い込んでいたので、寝袋も買ったし、衣類も寒さに備えていろいろと揃えました。
今から思うと、いろいろな意味で時代遅れだったようで、キスリングのリュックは、重いし、横長で背負った状態では狭いところを通れないので、カニ族といわれたように横歩きをしたり、両手に持って歩くところもあったりして、とにかく疲れました。
欧米人などは、みんな縦長のバックパックを使っていて快適そうでした。パックパックには30センチくらいの国旗を付けている人たちも多かったです。
とにかく、最初の目的地はスウェーデンのストックホルムで、そこに滞在していた谷野さんを訪ねたわけですが、日本では、「少年たちよ、スウェーデンに行くしかないぞ。」と酔っぱらっていろいろと武勇伝を話を聞かせてくれたのに、いざ、ストックホルムで再開したときには、「そんなリュックを背負って山にでも登りに来たの」と冷たくあしらわれました。
そうなんですよね。すでにヒッチハイクで旅する時代から、目的をもって、快適なところに滞在する人たちも増えて、時代は変わり始めていたわけです。
でも、同郷で、谷野さんと一緒に「休みの国」というバンドをやっていた高橋照幸さんが、ストックホルムではいろいろと親切に面倒を見てくださり、何とかくじけないで、旅を続けることもできました。
リュックの中にはどこに行っても自炊ができるようにと20センチほどのフライパンを持ち歩いていました。