2017年8月21日月曜日

パソコン履歴 その1

生まれて初めてコンピューターをいじったのは、今から50年以上前の中学生の頃です。

友達の家で、友達のお兄さんのコンピューターをいじらせてもらい、小さなモニター上に線を引くためには、どんな数式を書けばいいのかを教えてもらいました。

ただそれだけでしたが、数式を書くと画面に線を引くことが出来ることは、驚きでした。












それから月日は流れ、バンコクで住み始めていた1995年の7月25日に、生まれて初めてパソコンを買いました。パンティッププラザという、電脳ビルにあるお店で買いました。

パソコンに関する知識はゼロで、ただ、何となくおもしろそうだからと買いましたが、お店の人からなんのために使うのかと聞かれても、目的なんかなかったので、答えることが出来ませんでした。

とにかく、お店のパンフレットにあるセットにお店の人のアドバイスで、CD-ROMとスピーカーとサウンドカードとメモリーの増設をお願いし、組んでもらいました。

AMD 486DX-100VLB
RAM 72PIN   4MB+4MB
FLOPPY DRIVE 1.44
IDE VLB MODE3
US 101KEYBOARD
CASE MINI 200W
MONITOR 14"
ARK VLB 1MB
HARD DISK 1.2GB CONNER
SOUND CARD MADD 16PRO
CD-ROM 4X
AIWA SPEAKER 5X5W
MOUSE

42,842BHT

当時の為替を覚えてはいませんが、感覚的には、1バーツ約10円の時代だったと思いますから、かなりの値段でした。

注文をすると、お店の中で、ケースに部品を入れていって、組み立ててくれますので、それをじっと見ていました。見ていたら、ケースの中は、思いのほかスカスカでした。












そして、組み立てが終わったら、何か器械を持ってきて接続して、キーボードでガチャガチャと操作をしていました。それが、かなり時間がかかったので、店をでて、まわりの店を見てまわりながら暇潰しをしました。

当時は、ちょうどパソコンブームの前夜という感じで、まだコンピューター関係の店も少なかったのです。

そして、1時間ほどで店に戻ると出来上がっていたので、支払いを済ませ、持ち帰りました。

家に帰って、スイッチを入れると、なにやら文字が出て、立ち上がりましたが、何が何だか、さっぱりわかりませんでした。

あとからわかったのですが、Windows NT 3.5 WorkstationというOSが入っていました。

もちろん、言語は、タイ語と英語だけで、日本語はダメ。

中には、Lotus123とか、Amiproとかグラフィックアプリやゲームなども入っていました。これもあとからわかったのですが、すべて、海賊版。

当時は、インターネットで検索することも出来ず、日本から本を取り寄せて、独学をはじめました。












当時の解釈としては、パソコンは、印刷機ということで、プリンターも買いましたが、8月5日に買ったキャノンのインクジェットプリンターBJC-4000は、なんと15,500バーツもしました。

あの年は、ウィンドウズ95がでて、パソコンブーム元年という感じで、毎月のように、新しいハードやソフトがでて、値段もどんどん安くなっていきました。

CPUもペンティアムが、100,133,166とどんどん新しくなっていって、ペンティアム2,ペンティアム3,ペンティアム4と進化していきました。

ハードディスクも、あっという間に2.1GBから20GB、80GB、120GBと巨大化していきました。

私が買った時が、一番タイミング的にはよくなかったと思います。

時代は、すでにインターネットの幕を開け、バンコクでも、徐々に話題になってきましたので、1996年3月9日にインターネットタイランドの会員になりました。

半年間で、9,600バーツでした。

こちらも、会員になったはいいけど、使い方が、なかなかわからず、苦労しました。

当時、パソコンにしても、インターネットにしても、まだ、ど素人がやる時代ではなくて、簡単な説明会だけでは、なかなか理解できませんでした。まして、説明は、タイ語と時によっては英語という感じでしたからね。

ダイアルアップ接続のあの独特の雑音は、期待感を膨らませてくれました。

プロバイダーからもらったのは、メール用にEUDORAとブラウザーは、ネットスケープバージョンは、2だった記憶がありますが、フロッピーが見付かりません。

ホームページ用のフリースペースももらったので、ホームページにも興味を持ちました。

でも、生まれて初めて、インターネットにつながって、画面に文字や写真が出てきたときには、感激しました。

とにかく、パソコンをなんとか日本語化しようと思い立ち、わたしの苦労が始まりましたが、その話は、また別の機会にします。

わたしのパソコンは、すでにスペック的には、時代遅れ感もありました。

そんなことがわかってきて、1997年5月14日に2台目のパソコンを組んでもらいました。

PENTIUM 166MHZ
M/B ASUS 512VX
RAM 32MB EDO
FDD 1.44
HDD 2.1GB SEAGATE
VGA PCI 2MB
MONITOR MAG 15"
MIDIUM CASE
KEYBOARD
MOUSE
CD-ROM 12X
SOUND CARD 16
SPEAKER


36,500 バーツでした。




つづく