今まで生きてきた中の体験や考えたことなどを綴ります。 あくまでも個人の見解です。 北風剛としての東南アジアの民話も少々。 英語やタイ語の翻訳はいい加減なのであしからず。
2018年3月31日土曜日
農夫とコブラ タイの民話から
その農夫は、思いっきり息を吸い込みながら背伸びをしながら腰を伸ばし、一日の作業を終えようとしていました。
稲は、今年もよく実り、あとは収穫を待つだけといった季節でした。
農夫は、煙草に火をつけ家路につきました。
田圃の中の小道を、煙草を吸いながらゆっくりと歩いて行く農夫には、お帰りなさいと迎える子供も、夕食の支度をしている妻もいません。彼は、一人ぼっちでした。
ですから、彼は、急いで家に帰る必要もなく、まわりの景色を見ながら、煙草の煙を吐き出しながら、のんびりと歩いていました。夕日が、目に入らないように、帽子を深めにかぶり直すこと以外に、特に何もすることもありませんでした。
農夫は、まわりの人から頼まれれば、嫌な顔一つせず手伝うし、農作業でも手を抜くことをせず、もくもくと働く善人でした。
農夫は、農作業で得るお金で足りるだけの慎ましやかな生活を送っていましたし、小さな家の中には必要なもの以外には何もありませんでした。
村の人はみんな、その農夫のことを、優しい心の持ち主だとたたえました。
ある日、農夫は、いつものように家に帰る小道で、ぐったりとした大きなコブラを見つけました。農夫は立ち止まって、しばらく様子を見ていましたが、コブラは怪我でもしているのか、まったく動こうとはしませんでした。
農夫が近づいて、コブラを見ると、コブラも農夫の方を見ているようでしたが、襲い掛かるそぶりは見せず、じっとしたままでした。
農夫が、もっと近づいてコブラを見ると、そのコブラは、体の模様でよく見えなかったのですが、深い傷を負っているようでした。
農夫が、手を触れようとしても、襲い掛かることも出来ず、ぐったりしていたので、農夫は可哀相になって、たぶん死んでしまうかもしれないけど、傷の手当てをしてやろうと決心しました。
農夫は、コブラをつかみ、両手で抱え、家に急ぎました。
みんながいうように、農夫は本当に心の優しい人で、コブラの傷の手当てをして、食べ物を与えました。まるで母親が、子供に対するように、次の日も、次の日も、コブラの世話をしました。
その甲斐あって、ついにコブラは、動けるようになりました。コブラは、明るいところが嫌いなようで、農夫の小さな家の中を動き回って、暗がりを見つけて、そこに居着きました。
農夫は、今までと変らない毎日でしたが、それでも、家の中に生き物がいるのが、嬉しいようで、前よりも作業を終えてからの足取りが、いくらか速くなったようでした。
幾日か経って、農夫は、このコブラに、まだ名前を付けていなかったことに気がつきました。そこで農夫は、家で飼っているのだから、名前を付けてやろうと思い、いつもの暗がりに行って、様子を見ることにしました。
コブラは、水がめの影でとぐろを巻いて眠っているのか、じっとしていました。農夫は、近づいて、ひざまずき、そっと手を差し出しました。
その時、眠っていると思ったコブラが、突然、鎌首をもたげ、農夫の手に噛み付きました。
農夫は、コブラの猛毒でほんの数分で死んでしまいましたとさ。
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