バブルと聞くと、株価の急上昇とか暴落とか、景気とか経済に関する意味で使われることが多いように思います。
急成長した後、それが崩壊するわけですが、1990年代の日本では、それまでバブル景気に踊っていた人たちが、地獄を見たとも言われています。
どんな時代でもどんな国でも、バブル経済の時には、とんでもないお金持ちが現れて、ものすごいお買い物をするわけです。
数千万円の高級車とか高級時計、1億を超えるようなクルーザーとか豪邸など、それはそれは、すごいわけですが、バブルがはじけた途端、夜逃げをする人も出るわけです。
私など、いつも貧乏なので、バブルがはじけた時など、いいなあ貧乏人は、今いるところが高くないから落ちても痛くないだろうなとか、失うモノがない人は強いよなあとか、嘲笑されていました。
自動車なども、一時は、大きいことがいいことだと、大型車がもてはやされましたが、そのうち、そんな必要はないのではという人も出てきました。
ちょうどいい大きさというのは、車だけでなく家でも、商売でもあるわけです。
今は、少子高齢化とかいわれますが、人口もまたバブルはあると思います。べービーブーマーの時代は、まさに人口のバブルなわけで、いろいろな世界が、バブルに沸いたわけです。
裾野が広いから、スポーツでも有名な選手がいっぱい出てくるし、会社なんかでも、終身雇用とか年功序列などのシステムが可能でした。
ヤクザなんかも、子供が多かった時代には、どんどん大きくなっていって、巨大組織となりましたが、人口バブルが終われば、ヤクザの組織も少子高齢化で、お年寄りが増えているようです。
そして、収入もバブル時代のようには行かないわけで、法律も厳しくなっているし、経済的にも困っているヤクザもあるとか。
宗教なんかも、バブルの頃は、お寺も仏壇も豪華絢爛になるし、僧侶たちの車も高級車になったり、法事なんかも派手になって高額になったわけです。
今は、死ぬ人は多いけど、景気がよくないから、一時ほどの派手な葬儀は少なくなっているようです。
仏教各宗派だけでなく、新興宗教なども、信者が減ってきているそうです。信者が減ると、お布施も減るから、派手な活動ができなくなり、もっと信者が減るという悪循環もあるようです。
バブルの時代の価値観は、忘れるべきでしょうね。すべてにおいて、今の時代にあった価値観に変えていかないと、無理が出てきて、存続できなくなると思います。
歳をとると理解できますが、大きな家なんか、維持が大変なだけだし、大きな車は、狭い道や狭いスペースに駐車するのも大変です。
大食いや高カロリーは、生活習慣病へまっしぐらですし、爆買いは、リサイクルショップへ直行です。
資本主義経済は、成長させないとならないわけですが、もう無理だと思いますね。現実の世界に成長するスペースがないからと、バーチャルの世界とか、ネットの世界にスペースを求めても、それもすぐに限界は来ます。
労働者が足りないと外国人労働者を入れると、欧米のように移民の問題で、治安が悪化したり、いろいろな問題も起きてしまいます。
食生活とか、生活常識とかの問題も出ていますが、そのうち、土葬でないとダメだとか言い出す宗教とどう暮らすんでしょうね。
いろいろな意味で、我々の暮らしは、大きな曲がり角に来ているような気がします。