タイにはじめてきたときには、まあ、ゴチャゴチャしているし、なんか臭うし、異国に来たなあと思ったものでした。
はじめてタイの地を踏んだのは、コペンハーゲンからのロイヤルヨルダン航空で、フランクフルト・アンマンと経由し、バンコクでストップオーバーして、エアーサイアムで香港・台北を経由して羽田に帰るときでした。
航空会社のアレンジで、バンコクのチャヴァリットホテルに一泊したわけですが、1月の真冬の北欧からでしたから、とにかく暑かったです。
その後いろいろとあって、タイで暮らしはじめるようになったわけですが、タイで知り合ったSさんには、いろいろとお世話になりました。
Sさんは、当時20代前半の女性で、すでに2人の子持ちでした。波瀾万丈というか、貧しい家庭環境に生まれ、兄弟姉妹も多く、苦労して大きくなったようで、好きな男性との間に2人の娘が生まれたのですが、タイではよくある話で、好きな男は、ある日家を出ていったんだそうです。
その男性とのことで、反対していた家族とも疎遠になっていて、子供を抱えて、本当に苦労したそうです。
それで、子供をすぐしたの妹に預けて夜の商売をはじめ、そこで知り合ったドイツ人ヒッピーと世界を旅して回ったそうです。
ですから、私が知り合ったときには英語もドイツ語も、日常会話は問題ありませんでした。
当時の私は、貧しい人とか、苦労している人に、ただ同情するような若者で、夜の仕事など辞めて、一緒に住まないかと誘ったわけです。
そして、彼女から、タイ語をはじめ、いろいろなことを教えてもらいました。
当時のバンコクには、交差点ごとに、ジャスミンの花売りとか、ものもらいがいっぱいいて、車を運転していると、かわいそうだと思って、買ってあげるようにしていたわけですが、彼女と知り合ってからは、彼女に、買うべきではないと言われました。
歩道にいる乞食にも同じように、お金をあげるべきではないというのです。
彼女曰く、彼らは、本当に困っているわけではないと思うし、タイは、本当に困れば、出来る仕事はたくさんあるところだというのです。
困ったあげく夜の商売をしていた女性の言葉ですから、言葉の重みが違います。
その時から、私のものの考え方が変わりました。
バンコクには、有名なスラム・クローントーイというところがあるのですが、曹洞宗のボランティアが関係していたこともあって日本でも有名で、スラムの天使と呼ばれる、有名な教師もいました。
日本人は、心優しい人たちが多いから、スラムとか、貧困とか差別とかに弱いわけですが、物事には裏もあるわけです。
地方から仕事を求めてバンコクに来る人は、昔は、港湾労働者が多くて、港近くの空き地に住み始め、そこがどんどん大きくなってスラム化したようです。
スラムも大きくなれば、電気も通い水道も利用できるようになるわけで、不法占拠の土地に住み続けるわけです。
そして、権利とか、差別とか言い始める構図は、日本にもありますよね。
普通の出稼ぎの人たちは、狭くて汚い部屋を借りて、そこから仕事に行って、お金を貯めて、徐々に這い上がっていきます。
ローンで買える家は、バンコクから車で1時間以上かかるような郊外です。そして、家と車のローンに追われ、子供を育てて、必死で生きているわけです。
スラムにもアヤシイ大家とかいるらしいし、なんか、ドロドロした世界のようですが、でも、ロケーションは素晴らしく、バンコクのど真ん中なわけです。
貧乏にもいろいろな貧乏があるわけですが、どんだけ頑張って仕事をしても抜け出せない貧乏もあるけど、酒や麻薬に溺れたり、女遊びやギャンブルにお金を費やす貧乏もいます。
子供を大都会や外国に出稼ぎに行かせて、40才くらいで、何もしないでゴロゴロしている人たちもいます。
だから、私は、貧乏だからといって、すぐに同情するようなことはなくなってしまいました。
ボランティアにもいろいろで、アヤシげな組織もあるし、売名や金儲けのためのボランティアもあるわけで、純粋な気持ちで寄付をしている人たちを冒涜しています。
貧乏人を利用しようとする人たちもいっぱいです。政治家にもいるし、商売人にもいます。
だから、タイの政治家を見ていると、ほとんどの政治家が、汚職まみれではないかと疑っちゃいますが、どっちもどっちだとしても、貧しい人たちや、まだ世間を知らない若い人たちを政争の具にしようとする人たちが大嫌いです。
今でこそ、乞食ビジネスというのがあって、悪党が、子供などを利用して乞食をさせていることも知られてきているし、乞食にお金をあげるから、悪党が、子供を誘拐したり、時には、子供の手足を切断するなどして、障害者にして同情を買うなどの話もあります。
最近は、左翼が自分たちの主張を子供に発信させたり、とにかく、やり方が汚いですね。