2020年5月27日水曜日

東ドイツに入った話

昔のパスポートには、こんな文字が書かれていました。


このパスポートは、北朝鮮、北ベトナム、東ドイツを除いたすべての国と地区で有効と書かれていました。

北ベトナムは、1976年に南ベトナムと統一されています。

東ドイツは、1989年11月10日にベルリンの壁が撤去され、翌年1990年10月3日に東西ドイツが統一されました。

ベルリンの壁が有名で、ベルリンが東西に分けれていたことを知っている人は多いと思いますが、では、東ドイツと西ドイツの国境はどこだったんだろうとなると、知らない人も多いのではないかと思います。


ベルリンは、東ドイツの中にある陸の孤島という感じで、ベルリン自体も西ベルリンと東ベルリンとに別れていました。

その西ベルリンと東ベルリンとを隔てる壁がありました。

当時は、東西冷戦時代で、社会主義のソ連とその仲間たちと、自由主義の欧米諸国たちの間にいろいろな問題がありました。

東ドイツや東ベルリンから西に向けて脱出する人たちもいて、監視している兵隊に見付かれば、容赦なく射殺されていました。


で、時は1975年、当時私は西ドイツのブレーメンで暮らしていました。

ドイツ人の友人たちは、地元のスポーツクラブに入っていて、定期的にスポーツをして楽しんでいて、私も仲間に入れてもらって、いろいろなことをしました。

そんなある日、ベルリンで大きなスポーツ大会があるから一緒に行かないかと誘われ、何も考えずに、連れて行ってもらうことにしました。

総勢10人弱で、それぞれの車で出発しました。調べてみると距離は400キロほどあるようです。

ドイツのアウトバーンはスピードが出せるから、意外と短時間でした。

ただ、途中に西ドイツと東ドイツとの国境があり、国境では、検問があるわけです。

みんな車から降りて、検問を受けるわけで、私は、東ドイツでは使えないはずのパスポートを何も考えずに提出して、入国スタンプをもらいました。




7月4日の入国スタンプは、マリーエンボルンと書かれています。

全く問題なかったです。

その後、無事にベルリンに到着して、スポーツの集いに参加し、用意されていた学校の教室でごろ寝しました。







オリンピックスタジアムは、あのヒットラーが大演説をしたところです。

ベルリンの壁などベルリンの街も少し見てまわりました。



そして、ブレーメンに戻ったのですが、なぜか、帰りは別の道を通ったようで、東ドイツの出国スタンプには、ドレヴィッツと書かれています。


無事西ドイツの戻れたからいいようなものの、もしも、トラブルで、身柄を拘束されたりしたらと思うと、ちょっと恐ろしいです。

なんと言っても、当時の社会主義の国々は、何をされるかわからないというイメージでした。

当時の西ドイツは、SPD(社会民主党)政権の時代で、どちらかと言えば、東西の緊張は緩んでいた時代だったのかもしれません。

もっといっぱい写真を撮っておけばよかったと後悔しています。