わたしの父は、双子の未熟児として大正時代に産まれました。子猫ほどの大きさで、双子の姉は死産でしたし、たぶん、生きていけないのではないかと誰もが思ったそうです。
現在ほど医学が進んでいませんでしたし、田舎でしたし、祖母もなるようにしかならないといった諦めの境地だったそうです。
ところが人間の運命とは不思議なもので、父の兄も姉も58歳で亡くなったのに、父だけは大きな病気をすることもなく元気に89歳まで生きることができました。
父はとにかく多趣味な人で、理系でしたから、機械や電気にも強く、父の子供として生まれただけで、専門的なことを勉強することなく、ある程度の基礎知識は身につきました。
父の趣味は、小鳥の飼育とか朱いメダカの飼育、そしてミツバチの飼育などからはじまり、魚釣りや農業などもかなり本格的にやりました。
味噌や醤油を作ったり、コンニャクや豆腐なども昭和の時代から自作していました。
私が物心ついてから、家にはヤギもいたしニワトリもいたし、小鳥を狙ってヘビも来たし、庭の木々にはいろいろな野鳥も来ていました。
カラスを捕らえて飼ったこともありました。
ただ、犬だけは、以前飼っていた犬が隣の子供のいたずらに反撃して噛みついたことで、父が保健所に連れて行って処分をしたそうで、それ以来いくら頼んでもダメでした。
身の回りにいろいろな生き物がいたので、ヘビ以外にはほとんど抵抗なく触ることができます。
猫は、いろいろな生き物を飼っていたからか、飼ってはいませんでしたが、ある台風の夜に迷い込んできた猫に餌をあげた日から、家で飼うことにしました。
父は反対しましたが、飼えば可愛いので、なし崩し的にOKでした。
感謝することは多々ありますが、魚釣りは、いろいろなことを経験できました。
ほとんどは砂浜からの投げ釣りでしたが、夜釣りなんか、今でいったらキャンプで、流木でたき火をしたり、星を眺めながら仮眠をとったり、砂の城を作ったり、ほんとうに楽しかったです。
湖なんかですと、父が和船の艪を漕ぐ姿がかっこよかったし、海に出たときの波の荒さに泣き出したことも覚えています。
父にはかないませんが、自分で釣ったことのある魚も、キスとかイシモチとかアジやサバなどかなりあります。
ミツバチを実際に飼ったことがある人は少ないと思いますが、私は、父のやることをみているから、ミツバチの巣とか、蜜の絞り方とか、煙を焚いて防御服を着て手伝ったりもしました。
器械を見るとすぐに分解したくなる性格ですし、父のような専門知識が無いので、よく壊しますが、でも、自分で直せるモノも少なくないです。
学校も素晴らしい場所で、いろいろと知識を身につけることができますが、親を含め家族や親戚の環境もまた、いろいろな意味で学校です。
伯父は、外国語に堪能でしたので、私も子供の頃から外国語に興味を持ちました。
伯父も多趣味で、登山とか乗馬とかゴルフとか、戦争前からやっていたそうで、私も立山に連れて行ってもらったことがありました。