スウェーデンの首都は、ストックホルムですが、ストックホルムからドイツに渡るには、飛行機以外ですとフェリーを利用します。
ところが、ストックホルムから直接フェリーに乗ることは出来ません。ストックホルム郊外にあるニュネスハムンまで電車とバスで行く必要があります。
若さというのは、素晴らしいもので、怖いもの知らずというか、無鉄砲なことも平気でやってしまいます。
ドイツに行くにはどうやっていったらいいのですかと案内所で聞いて、メモをして、郊外に向かう電車に乗るだけです。目的地のJordbroまでは、1時間弱だったと記憶しますが、そこからバスに乗り換えてニュネスハムンに行きました。ニュネスハムンは、港以外にはなんにもないド田舎でした。
バスから降りて、フェリーの桟橋に行ってみると、その日のフェリーがないことがわかりました。
またストックホルムに戻るのは面倒なので、港近くで野宿できるところを探しました。
ちょうど港を見下ろす岩場に、人目につかないところを見つけ、そこで野宿。
もう6月で、北欧は、白夜とまではいかないまでも、夜の10時くらいまで明るく、午前3時前には明るくなるので夜は短かったです。でも、何も食べるものを用意していなかったので、お腹が空きました。
港ですから、早朝からカモメが、近くを飛んで、鳴き声がうるさかったです。
この写真は、その時のものではなくて、知り合いのテリーの写真です。
ニュネスハムンから11:00発のフェリーに乗って、目的地は、ドイツ北部のリューベック。有名な港町だそうですが、全く知らない地名でした。
フェリーの中で、サプライズがあり、フィンランドで一緒だった長五郎さんと再会して、大感激。同じ頃、ドイツのリューベックで落ち合おうと手紙を書いてはいましたが、まさか同じフェリーに乗ることになるとは。
長五郎さんは、ヘルシンキからフェリーに乗り、わたしは、スウェーデンからフェリーに乗ったわけで、手紙では、日時とかフェリーの名前とか、全く連絡していませんでした。
なぜリューベックで落ち合うことになったかというと、リューベックのユースホステルで、日本を同じ日に出発したアカネさんとSさんが、アルバイトをしていると知ったからです。
当時の長期旅行者によくあったのは、どこかに仕事があれば、そこで、少しお金を貯め、また旅行するというパターンでした。
ヘルシンキで、みんな別行動をしたのですが、その時に、もしも、半年後に、まだヨーロッパにいたなら、10月6日のパリ、凱旋門レースを見にロンシャン競馬場で落ち合おうと約束していました。
その提案者が、アカネさんでした。
左から、長五郎さん、わたし、Sさん、アカネさん
ユースがドイツの修学旅行というか、キャンプでいっぱいだったので、長五郎さんとわたしは、ユースの近くで野宿しました。
アカネさんとSさんとの3ヶ月ぶりの再会のあと、わたしと長五郎さんは、ドイツを旅行しながらスイスを目指そうとハンブルグに向かいました。
。。。。。。。。
今日(10月1日)、昔のパスポートを見ていて、スウェーデン出港時のスタンプを発見。
スウェーデンのニュネスハムンを出港したのは、1973年の7月1日でした。