2017年10月7日土曜日

カズオ・イシグロさん

今年のノーベル文学賞が、カズオ・イシグロさんに決まりました。彼については、その国籍が話題になります。国籍はイギリスです。

彼の過去のインタビューにそのあたりのことが書かれています。

ノーベル文学賞 カズオ・イシグロが語った日本への思い、村上春樹のこと 村上さんとはロンドンで、ジャズの話をしました - 大野 和基 

このインタビューの中で、イシグロさんは、日本は、二重国籍を認めない国だったので、イギリス国籍を選んだといっています。

国籍に関しては、蓮舫さんの件でも話題になりましたが、世界には、二重国籍を認める国と、認めない国とがあります。日本は、現在の所、二重国籍は認めていません。

国籍は、変更することことが可能です。例えば、わたしは、日本国籍ですが、今住んでいるタイの国籍を取得しようと思えば、申請して、それが許可されたらタイ国籍になることは出来ますが、その時点で、日本国籍は失われることとなります。

私の場合には、タイ国籍よりも日本国籍のままがいいと思っているから、イシグロさんと違って、永住権を取得して7年以上経ち、タイ国籍を申請する権利はあるそうですが、日本国籍を捨ててはいません。


私の場合には、タイの出入国時には、この3点セットが必要になります。
そして、出国前に再入国の手続きを忘れると、永住権は消滅してしまいます。



国籍とは違い、民族というのは、国籍が変わっても普遍です。だから、日系ブラジル人とか、中国系アメリカ人とかいわれるわけで、その意味では、イシグロさんは、間違いなく日系イギリス人です。

5歳まで長崎で暮らしていたイシグロさんは、故郷長崎と日本についても語っていますが、彼は、イギリスで暮らし始めてから、日本に帰ることもなく、日本を記憶の中に閉じ込めていたそうです。

若い頃は、米国やヨーロッパを放浪したこともあり、いろいろな体験を得たようで、日本に行きたいと思ったのは、23、24歳になったときだそうで、実際に日本に帰ったのは、35歳になってからだったそうです。

欧米には、若い頃は、海外への貧乏旅行をして、視野を広めるという伝統があるようです。そのための安い宿泊施設、ユースホステルも発達してきています。

35歳になって長崎を訪れ、そこで、彼が思っていた日本は、長崎だったことを実感したそうで、東京や京都は、彼にとって、異国だったそうです。

でも、子供の頃の記憶は、鮮明に思い出されたそうで、この間、テレビで見た「YOUは何しにニッポンへ」にでてきた、親の仕事の関係で7歳まで日本で暮らしたオーストリア人と同じで、彼もまた、子供の頃暮らしていた町にいって、当時住んでいた家はなくなっていたけど、それでも、昔の思い出が、一挙に思い出されて涙していました。

オーストリア人の彼は、自分は日本人ではないけれど、彼の故郷は、日本だとインタビューでいっていました。

血統というのは、父と母からつながっているわけで、日本の場合には、父系ですから、父方の苗字を名乗ることが多く、父方の家系が、表にありますが、実は、裏には、母方の家系もあるわけで、10代20代遡れば、ものすごい数の家系があるわけです。

日本人で日本の苗字を持っている人でも、実は、外国の血が流れている人もたくさんいます。ちょっと外国人のような顔立ちだと思う人はたくさんいます。昔だと、大横綱大鵬さんなんかですよね。今でも、大関・高安と関脇・御嶽海の母親はフィリピン人だそうです。

明治以降、日本には、多くの欧米人も入ってきて、彼らの子孫が、日本の苗字で暮らしていることを普段は気が付かないこともあります。

今は、国際結婚もごく普通になっているので、ハーフやクオーターは、いっぱいいます。イシグロさんのように、両親が日本人だけど、外国籍の人もいるし、両親が外国人であっても、日本国籍の人もいるはずです。

でも、もう何代にもわたって日本で暮らしていても、絶対に日本の国籍は嫌だという人たちもいます。それなりの理由もあるのでしょうね。

ノーベル財団では国籍・国境等の変遷に鑑み、出身国に関しては出生国として、イシグロさんを日本出身のノーベル賞受賞者と位置づけているそうです。

成人するまでは日本と英国とのに重国籍で、どちらかを選ぶ必要になったときに英国籍の方が現実的だと決心したようです。

欧米人など、国籍がコロコロ変わる人たちもいますからね。

とにかく、日系イギリス人のノーベル賞受賞は、日本人として、嬉しいニュースでした。