元はっぴいえんどのドラムで作詞家の松本隆さんは、和製ロックの日本語は、ジャックスの「からっぽの世界」から影響を受けたと話しているそうです。
ジャックスを知っている人は少ないかもしれませんが、新旧メンバーを見ても、なかなかのミュージシャンたちです。
早川義夫
谷野ひとし
木田高介
角田ひろ
松原絵里
高橋末広
水橋春夫
あとから加わった「つのだ☆ひろ」さんは、永遠の名曲「メリー・ジェーン」で有名ですね。
「サルビアの花」で有名な早川義夫さんは、岡林信康にも曲を提供しています。
ジャックスは和光高校の同級生たちが作ったバンドだそうですが、和光大学に進み、彼らの運転手的な形で、同じ大学にいた高橋照幸さんが、彼らと一緒にいました。
ジャックス解散のあとで、高橋さんが、ベースの谷野さんとはじめたのが、伝説とも言える「休みの国」です。
そんなことを調べていて、高橋照幸さんが、すでにお亡くなりになっていると知りました。驚きと同時に、ご冥福をお祈りします。
わたしは、1973年の4月、スウェーデンのストックホルムで高橋照幸さんの借りていた部屋に居候をさせてもらった時期がありました。
当時照幸さんと谷野さんは、2度目の北欧滞在だったそうで、わたしは、谷野さんが2度目の滞在に出発する前に、偶然知り合いました。
「少年たちは、北欧に行くしかないぞ」とか、酒に酔いながら、かっこいいことを言っていて、ジャックスのメンバーだった人ですし、ルックスもかっこよかったし、憧れました。
それだけでもないのですが、わたしがヨーロッパに行く理由のひとつではあったかもしれません。
実際に、登山用のリュックを背負って、ストックホルムで谷野さんにあったときには、「リュックなんか背負って山にでも登りに来たの?」と冷たくされましたけどね。
照幸さんは、優しい人ですから、とりあえず、部屋に居候をさせてくれました。
思い出してみると、照幸さんの風貌は、福山雅治の若い頃に似ているような気がします。
彼の部屋は、古いマンションの老いたスウェーデン人の家の1部屋を借りていました。6畳あるかどうかの暗くて狭い部屋でした。
照幸さんが、何を目的にストックホルムに滞在をしていたのはわかりませんが、イラン人たちのやっている熱帯魚用の水槽を作る仕事をしていました。
部屋では、その金魚用の水槽で、ハツカネズミを飼っていました。ですから、部屋は、ちょっと臭かったですが、でも、居候は、泊めていただけるだけで、感謝でした。
仕事のお手伝いも少しさせてもらい、いつも行動は一緒でした。照幸さんは、スウェーデンの名車サーブのかなり古い車に乗っていて、それで、水槽の配達などをしていました。
部屋では、ムーディーブルースの「Seventh Sojourn」とキャロルキングの「Tapestry」をよく聴いていました。
居候させていただいたのは1ヶ月くらいだったと記憶します。
記憶に残っている話としては、ジャーナリストの大森実さんが、取材でスウェーデンにいらしたときに、照幸さんが通訳兼コーディネーターのようなことをされ、その時の興味深い話を聞かせてくれました。
覚えていることとしては、
日本の人口は6000万人くらいがちょうどいい。
スウェーデンの道路には、戦闘機が着陸できるところが多い。
スウェーデンの農場にある農機具の中には、軍事用として使えるものがある。
スウェーデンの電話は、非常時には軍事電話となる。
スウェーデンの地下シェルターには、非常時に備えた食糧の貯蔵があり、一定期間貯蔵された後、スーパーに置かれる。
などです。
照幸さんは、部屋でギターを弾くこともあり、その時の曲があとになって、帰国中にテレビから流れてきて、驚きました。
どこかのメーカーのCMのバックで、「 おまえの頭の上」という曲でした。この曲をよく覚えているのは、歌詞を作るときに、わたしも、ちょっとアイディアを出したからです。
それで、懐かしくなって、いろいろと調べて、帰国時に照幸さんに電話することが出来ました。
当時は、町田に住んでいらっしたようで、自分でヨットを作っているという話でした。直接話しをしたのは、その時だけでしたが、その後、ネットで、休みの国のウェブサイトを見つけて、それを読んだことはありました。
それで、その時は、伊豆で暮らしているようでした。
たまにそのサイトを見ても、ほとんど更新もなく、いつの間にかサイトはなくなっていたようです。
高橋照幸さんは、まるでハツカネズミのように、よく動き回る繊細な天才でした。
わたしが、高橋照幸さんの曲の中で一番好きなのは、あのハツカネズミの部屋で時々歌っていた、「マリー・ジェーン」です。
「休みの国」でやすらかに!