2018年2月15日木曜日

宮さん宮さん

突然、この歌が、浮かんできました。

明治維新の頃の行進曲だそうですが、作曲が、大村益次郎となっていますが、わたし的には、違うような気がします。京都あたりの小唄からという説が正しいような気がします。

日本古来の小唄に、西洋の行進曲を融合させたのではないかと思うのです。裏には、オランダ人とかイギリス人とかがいてもおかしくないかも。

それにしても歌詞がすごいですね。一方的すぎて、怖いです。勝てば官軍そのままですね。でも、こういった歌が、庶民の間に広がると、武器以上に効果的だと思います。

官軍の行進の時には、あの、ヤクの毛で作られた、赤熊(土佐)や黒熊(薩摩)や白熊(長州)がかっこいいわけですが、あれは、戦国時代からあったモノだそうで、江戸城にあったモノを官軍が戦利品として、誇示したという説もあるようです。

黒熊は別としても、戦の時にあんな派手なモノをかぶるのは、射程距離にいないときか、勝敗が決まったあとでしょうね。

今は、ネット時代で、明治維新に関してもいろいろな説が出ていますが、まあ、薩長の作った歴史書は、薩長に都合よく書かれているのでしょうね。

薩摩の裏には、イギリス武器商人というのは、もう常識です。武器商人の番頭が、坂本龍馬ですね。

江戸時代は、平和な時代だったわけで、開国をせまる欧米諸国の登場までは、日本は、戦争できる国ではありませんでした。

常備する兵器もそうですが、それよりも、平和ボケというか、武士たちの士気というのが、見る影もなく、結局、薩長土肥の革命軍の前に逃げるだけだったようです。

今の日本も、同じように平和ボケですから、外国から侵略されたら、イチコロでしょうし、平和ボケの反動で、また、行きすぎた愛国主義に走る可能性もあるから、気をつけないとね。

ゲンダイでも、国際武器商人たちは、いろいろと戦略を立てて、内輪もめをさせたり、近隣国と対立させたりで、武器を売ります。

討幕派の戦略は、すごいですよね。「朝敵」というレッテル貼りで、もう決まりでした。別に徳川幕府が、朝廷にたてついていたわけでもないのにね。

薩摩藩から、篤姫を将軍家に嫁がせたのも、大きな戦略があったのかも。イギリス人などによる、戦略などを教える塾があったのでしょうね。たぶん。

幕府には、フランスの武器商人たちがいたので、イギリスやオランダとしては、革命軍に幕府を倒して革命政府を立てて欲しかったのでしょうね。

もくろみ通り、明治新政府は、イギリスとの同盟で、軍事大国へと一直線。戦争ばかりする国になってしまいました。

それにしてもオランダという小国が、冬季オリンピックでも大活躍ですし、サッカーも強いですし、野球も強いし、格闘技でも強いです。

日本の8分の1の人口で、国土も9分の1です。オランダの教育を学ぶ必要がありそうです。