1945年8月15日に日本が無条件降伏をして悲惨な戦争が終わりましたが、あまりにも多くの犠牲者を出し、日本の国土も荒れ果てました。
戦争に進むまでにはいろいろな理由もあったのでしょうけど、結果論からいえば、無謀な戦争だったと思います。
1939年(昭和14年)5月から9月にかけて、満州国とモンゴルとの間の国境線をめぐる戦いが起きノモンハン事件といわれていますが、事件ではなくて、国境をめぐる紛争というか戦争でしょうね。
モンゴルといっても、実際にはソビエト軍で、準備万端の総兵力51,950名が、火砲542門、戦車438輌、装甲車385輌日本軍に襲いかかったわけで、日本軍は、人員で約半分、兵力比でソ連軍は日本軍の4倍だったといわれています。
でも、ソ連側の死傷者は、2万5千人といわれ、日本軍は、主力部隊の約8割を失う壊滅的な被害、2万人以上の死傷者を出した、負け戦でした。
東京の参謀本部は、ソ連との国境紛争拡大に反対でしたが、それを満州国の関東軍司令部が無視して、作戦続行をし、多くの犠牲者を出しましたが、辻参謀などの司令官たちは、作戦失敗の責任を部下に押しつけ、自決させるなど、ひどいモノでした。
辻参謀に代表されるように日本軍は、作戦を立てるときに、戦う相手の戦力などを事前に調査していないし、自分たちの兵士たちへの武器や食糧などの調達を考えていないし、万が一負けたときの撤退に関しても、無責任極まりないわけでした。
日清戦争や日露戦争で勝ったことで、日本は、イケイケ状態だったんでしょうね。
結局、その無責任な作戦は、大東亜戦争でも同じことで、イケイケで拡大したけど、相手の兵力に前にじり貧で惨敗でした。バブルの経済戦争でも同じでしたよね。
辻参謀は、大東亜戦争の敗戦時にはバンコクにいて、バンコクから、逃げて、ラオスからベトナム、そして中国を経て、日本に帰っています。
彼の無謀な作戦のために、多くの日本の兵隊さんたちが命を落とし、心身ともに大きな傷を負ってきています。
シンガポールでは、日本軍が、抗日分子であると判断した者を大量に処刑したシンガポール華僑粛清事件を作戦主任参謀の辻が実行し、今でも、シンガポールの華人たちは、反日思想を持っている人が少なくないです。
要するに、すべて頭の中で考えていて、その時はそれでよくても、その後、どうなるのかを考えていないように思えますね。
わたしが、シンガポールに滞在していたときに知り合った戦争の時に少年だったという華人は、わたしが日本人だと知ると、自分の顔をビンタする真似をしながら、「ばっかやろー」と日本語で叫んだので、びっくりしました。
一方、辻参謀のタイでの上司だった中村明人中将は、タイに赴任してすぐ、タイ人に対するビンタ禁止令を出しています。
中村司令官がタイの有名な恋愛小説で、何度も映画やテレビドラマになっている物語のモデルだといわれるように、上に立つ人間の考え方一つで、将来の日本人に対する考え方は変わります。
旧日本軍の中には、敗戦後、植民地からの独立運動に協力した人や、共産主義者たちに協力した人たちもいますが、やっぱり頭でっかちというか、理想論だけで行動しがちな気もします。
この間の米朝会談の時に、トランプ大統領は、朝鮮戦争の時の米兵たちの遺骨を返して欲しいといって、徐々に帰っているそうですが、日本兵の遺骨も、東南アジアや中国やモンゴルには、まだまだ残っていますから、日本政府は、しっかりしないとイケナイです。
無責任にイケイケといわれて苦労させられて、挙げ句の果てには、勝手に帰れで、亡くなられて、今もジャングルや草原にころがっているのでは、悲しすぎます。
負ける戦争はゼッタイにしてはいけないし、戦争以外に方法がないときでも、必ず勝てる準備をしっかりして、万が一負けてしまったことも考えて、それでも戦争するしかないのかをもう一度考えてからにして欲しいですね。