明治初期から第二次世界大戦終結までの時期に中国大陸・ユーラシア大陸・シベリア・東南アジアを中心とした地域に居住・放浪して一旗揚げようとか、政治活動をしていた、大陸浪人たちがいたそうです。
「狭い日本にゃ住み飽きた」と満州に渡った若者たちも多かったそうです。
日本は、島国ですし、村社会ですから、海を渡ってみたいという若者は、いつの時代にも登場します。
戦後は、米国やヨーロッパを放浪する若者たちが多かったですが、東南アジアも一部の若者たちには人気でした。
なんといっても物価が安かったし、自由な雰囲気もありました。
日本とタイとの関係は、山田長政の時代から続いていて、400年以上の歴史があるという人もいます。
東南アジアの各国には、日本人町の跡もあるし、日本人墓地もあれば、日本食堂もあります。
1970年代からは、飛行機での移動が一般化して、その前の船旅の時代からは想像できないくらい手軽に海外に行けるようになりました。
手軽になると、いろいろな人たちが海外に行くので、農協さんとか、買春ツアーとか、海外から顰蹙を買った時代もありました。
言葉も出来ないし、度胸もないのに、海外に出ていく人もいて、いろいろな問題を起こします。
1980年代からは、東南アジアも、急激に近代化して、いろいろなものが変わり始めて、古き良き時代は、徐々に消えてしまったわけです。
21世紀の東南アジアは、一部の国や田舎を除けば、もう日本と変わらないですし、日本の地方都市よりも近代化している都市もあるくらいです。
物価も上がっているし、人びとの生活も考え方も変わってきています。
そんななか、年金で素晴らしい海外生活とか、宣伝する業者とか本もあって、高齢者たちも多くなっています。
高齢者ばかりではなくて、若者の中にも、日本よりも楽しそうだと、移住する人たちがいます。
そんな人の話題のコラムを読みました。
どこで暮らしても、同じだと思いますが、どんな暮らしをするかで、必要なお金はかなり違ってきます。特に、貧富の差が激しい国では、まさにピンキリです。
大企業の駐在員家族とか、一部の個人業で成功している人たちは、本当に高級なマンションに住んで、運転手やお手伝いさんを雇って、優雅に暮らしていますが、そんな人たちばかりでもありません。
それに、駐在員は、期限が来れば転勤ですし、個人事業は、浮き沈みもあるわけです。
ですから、いい時には、自慢をする人たちもいるわけですが、そういった人たちの暮らしに憧れると、現実は、厳しいと泣くことになる場合も多いわけです。
外国人には、住むところが、大きな問題で、安いところに我慢できないと、日本とそんなに変わりません。食べるものでも、日本食や一流の店は高いです。
昔に比べて、滞在ビザも、いろいろとうるさくなっていて、規則通りでないと、トラブルに巻き込まれます。
タイの場合には、仕事をするには、仕事をしてもいいビザだけでなく、労働許可証も別に必要です。
どこの国でも、お金持ちや高度な学識や技術を持った外国人に来てもらいたいけど、お金がない人やトラブルを起こすような人たちには来て欲しくないわけです。
タイは、暮らしている日本人も多いですし、なかなか新しい人にチャンスもないですから、ミャンマーとかカンボジアとかベトナムに行く人も多かったようですが、どこに行っても、今は、あんまり変わらないようです。
シンガポールやマレーシアでも、徐々に、いろいろな規則が厳しくなっているそうです。
考え方や生き方は、人それぞれですが、今の時代、日本国内で、住みやすい場所を探した方が、楽しいような気もしますが、隣の芝生が青く見えるだけなのかな?