2019年1月18日金曜日

英議会内でライダイハン問題集会

「ベトナム戦争に派遣された韓国軍兵士による現地女性への性的暴行などで生まれた「ライダイハン」と呼ばれる混血児の問題を追及する英民間団体「ライダイハンのための正義」は16日、英議会内で集会を開いた。

イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の性暴力を告発してノーベル平和賞を受賞したクルド民族少数派ヤジド教徒、ナディア・ムラド氏(25)は「性暴力に対して団結し、正義の実現まで行動を」と訴え、 韓国の戦争性犯罪である同問題への連携した取り組みを訴えた。 」

ライダイハンの「ライ」はベトナム語で「混血」を意味し、ダイハンは「大韓」のベトナム語読みです。

ベトナム戦争で、1965年から1972年にかけて韓国は「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」をスローガンに、ベトナム一般市民の犠牲を尻目に官民挙げてのベトナム特需に群がり三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生した。

時期を同じくして、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」を締結し、両国間の請求権の完全かつ最終的な解決と巨額の経済協力金を手にし、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げました。

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3億ドル相当の生産物及び役務 無償(1965年)(当時1ドル=約360円)
2億ドル 円有償金(1965年)
3億ドル以上 民間借款(1965年)

計約11億ドルにものぼるものであった。なお、当時の韓国の国家予算は3.5億ドル、日本の外貨準備額は18億ドル程度であった。

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日本は戦犯国だとか、自分たちがあたかも、日本に戦争で勝ったようなことをいってみたり、日本との戦争で、多くの犠牲者を出したとか、事実ではないことを信じ込ませようとしてきています。

実際には、日本に併合され、朝鮮系日本人として、志願した兵隊さんもいたくらいで、日本と戦争などしていませんし、日本の敗戦後、何度も、自分たちは、戦勝国だと主張しても、連合国からは、相手にされなかった事実があります。

韓国は、朝鮮戦争や、韓国国内で起きた不幸な虐殺事件の犠牲者をあたかも日本との戦争による犠牲者と置き換えようとしてきています。

有名なのは、済州島四・三事件保導連盟事件があります。共産党党員などの赤狩りで、その時に、日本に密入国してきた在日も多いようです。

反日で、日本に対して、あることないこと批判してきている韓国ですが、他にも多くの韓国国民も知らない暗黒史があります。

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    1965年10月にベトナムに上陸した韓国軍は同年12月から翌1966年1月までにビンディン省プレアン村、キンタイ村などを掃討、九つの村には化学兵器を使用し、また同時期にプウエン省のタオ村で女性市民42人全員を殺害した。

    1966年1月11日から19日にかけて、ジェファーソン作戦の展開されたビンディン省で400人以上のベトナム人市民を、1月23日から2月26日にかけては同ビンディン省で韓国軍が市民1,200人を虐殺した(タイヴィン虐殺)。

    1966年2月にはベトナムビンディン省タイビン村で韓国軍猛虎部隊が住民65人を虐殺(タイビン村虐殺事件、さらに2月26日には同ビンディン省で住民380人を虐殺したゴダイの虐殺が発生する。韓国軍は女性137人、老人40人、子供76人を防空壕のなかへ押し込め、化学薬で殺害したり、目を潰したといわれる。

    1966年3月26日から28日にかけて韓国軍はビンディン省の数千の農家と寺院を炎上させ、老若とわず女性を集団強姦した。さらにブガツ省では3万5千人のベトナム人が「死の谷」で虐殺された。

  1968年2月12日にクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村の村民79人を殺害(フォンニィ・フォンニャットの虐殺)、同2月25日には同省ハミ村で村民135人を虐殺する(ハミの虐殺)。

京郷新聞によれば、ベトナム戦争が終わって残された韓国人との子供は少なくとも3000人以上、2、3万人との推算もある。ベトナム人女性が韓国兵や会社員などと結婚し生まれた子どももいるとされるが、韓国兵による強姦によって生まれた子どもも多数存在し、国際問題となっている。

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 こういった暗黒史から目をそむけさせるために、日本の慰安婦問題などで騒ぐわけです。

今回のレザー照射事件でも、よくわかりますが、とにかく、事実を隠したり、謝罪をしないための、嘘や屁理屈や、こじつけが多いです。

もちろん、日本と日本人は、日本が過去にした過ちを正当化するものではなく、過ちは過ちとして、謝罪し、二度と同じ過ちをしないようにしなければなりませんけどね。

ただ、正しくないことは、正しくないと、強く賢く主張しないと、世界中から誤解されてしまいます。