熊野は紀州の山の中の聖地ですが、神社と寺院が、密接に共存共栄していた「神仏習合」の地としても有名なんだそうです。
そして、フィリピンプレートが隆起して出来た山なので、山と海ともとても近い関係にあるのも特徴で、熊野の信仰は、山々のすぐふもとに広がる海のエリアへも拡大しているそうです。
世界遺産・補陀落山寺の境内に展示してある不思議な船は、その特異な信仰を表しているそうで、和船の上に4つの鳥居が作られていて、その中心に小さな入母屋造りの箱があるのですが、そこに住職が生きたまま乗って、南にあると信じられていた極楽浄土を目指し、人びとをそこへ導こうとしたんだとか。
箱の中には三十日分の食物や水とともに行者(住職)が乗り込み、出入り口は、クギで打ちつけられて箱が壊れない限りそこから出ることは無い作りです。
補陀落渡海というのは、その海を渡る行為をさす言葉だそうです。補陀落というのは、チベット・ラサのポタラ宮のことらしく、古代サンスクリット語の「ポータラカ」から来ているそうです。
黒潮に乗って、南下するようですが、時には、戻ってくることもあったようで、私の妄想では、東海地方や関東地方など,時には東北地方にまで船がたどり着いて、そこに、熊野神社などを作ったのではないかと思います。
グーグルで、紀伊半島の熊野神社を検索すると、遠州地方や関東地方などに、熊野神社があるわけです。
もちろん、熊野神社は、日本全国にいっぱいあるわけですが、まじめな修行僧が、極楽浄土を目指して海を渡った結果、極楽ではなくて、日本の沿岸に着いてしまい、村人に助けられたといった話の方が好きです。