2019年7月14日日曜日

1970年代のビルマ

1980年前後にミャンマーに行った日本人は、遺骨収集とか業務出張など以外では、そんなに多くはないと思います。

バンコクにあるビルマ大使館でビルマ入国のビザをとって、飛行機でビルマに行きました。


空港は、鉄道駅のレベルでした。空港職員には、タバコやウィスキー、空港前にいる子供たちには、ボールペンが喜ばれると、何かの本に書かれていました。

当時のミャンマーは、外国人はアメリカドルしか使えず、指定されたところでしか両替は禁止でした。

市内の市場などでは、公定相場の数倍で両替可能でしたが、かなりのリスクがあるそうで、私は、小心ですから、リスクは冒しませんでした。

ビルマを去るときに、持ち込んだ額と使った額、そして余っている額をしっかり調べられます。

空港からラングーン市内への道。


ラングーン市内の風景




ホテル料金など





行ったのは、ラングーンとパガンとマンダレーでした。残念ながら、写真をほとんど撮っていませんでした。










ビルマに関する資料


日没後の街は、本当に暗くて、所々に裸電球があるだけでした。映画館の前だけには、多少の人だかりがあり、路上では、100円ライターのガスの詰め替えやタバコのばら売りの人がいました。

街を歩いていて、なんか、いけないところに迷い込んでしまったようで、銃剣の付いた銃を持つ兵士に、胸元に銃を突きつけられて、野良犬のように銃でシッシッと追い払われました。

生まれて初めての経験で、その時は、なんともなかったけど、ホテルに戻ってから、震えが来ました。