大学入試への英語民間試験の活用から「身の丈」問題が話題になりましたが、結局の所、民間試験の活用は見送りとなりました。
日本では、何事も平等第一主義で、すぐに差別とか言い出す人たちもいますが、現実として、差があるのが当然だと思います。
地域格差とか経済格差とか、教育にも影響はあると思いますが、それを平等にするのは不可能です。
英語なんか、例えば沖縄のような米軍基地があるところでは、英語に接する機会が多いです。都会も外国人がいっぱいで、英語を話す機会に恵まれています。
日本史だって、京都や奈良に生まれ育ったら、いろいろな歴史的なことも身近でしょう。
それ以前に、産まれたときから、人間には持って生まれた能力があります。記憶力のいい人、計算能力のある人、運動能力、音楽の才能、話術の得意な人など、いろいろな分野に得意な人もいれば不得手な人もいるわけです。
理科系だって、ひらめきのタイプもいれば、じっくり答えを出すタイプもいます。
語学や音楽なんかは、耳のいい人が有利なこともあります。
英語は世界中で通用しますが、そのうち、アジアでは中国語の方が重要になる可能性はあると思います。
どんな時代でも自分の母国語が大切ですし、自分の国の歴史や伝統を知っていることが大切です。
いくら英語や中国語がベラベラになっても、相手に伝えるモノがなければ、どうしようもないです。
それと、今後AIが進んで行けば、自分で外国語を話さなくても、自動翻訳機がやってくれる時代になると思います。
よく言われることに、親の経済力と子供の学力という関係がありますが、経済力を持っている親には、高学歴であったり、高学歴ではないけど、人にない才能の持ち主が多いわけで、経済力だけでなく、親の学習能力も高いと思いますね。
経済力があるから子供が有利ということではなくて、親が優秀だから、子供にも優秀な子が多いということもあると思います。
じゃあ、経済力がない親を持った子はどうすればいいかといえば、自分の得意な分野に早く気が付くことでしょうね。
勉強が得意でなければ、運動や芸術とか、自分の外見を磨くとか、話術を勉強するとか、とにかく、他の人よりも優れたところを見つけて、そこに努力するしかないと思います。
自分の不得手なことや才能の無いことをいくら努力しても、結果は出ないし、馬鹿にされるだけでしょう。
それに、学校の勉強だけが勉強ではないわけで、今は、インターネットで、いくらでも知識を得ることが出来ます。
そして、日本がダメなら、外国だってあるわけで、どんどん外国にいって、いろいろな経験をすればいいと思います。
世界には、本当にろいろな人がいるし、いろいろな文化もあります。いろいろな宗教、いろいろな価値観、いろいろな言語。。。。
どうしようもない悪党がいっぱいいることも知るでしょうし、親切な人がいることも知るでしょう。
不平等だとか差別だとかいっているよりも、自分の優れているところを探して、それを磨く方がずっと重要です。
有名大学を出たバカもいっぱいいるし、役人や政治家にもバカはいます。だから、学歴とか職業とか、そんなのどうでもいいとまでは言わないけど、どんな人にもチャンスはあります。
自分の国を愛さない人や自分の家族を愛さない人は、どこに行っても誰からも信用されません。