2019年11月10日日曜日

ベルリンの壁を考える

1989年11月9日にベルリンの壁は崩壊し、東西ドイツの国境検問所で市民の通行が自由化されました。




1961年から1989年まで東西の冷戦の象徴にもされるベルリン市内に存在した壁でした。


資本主義の西ドイツと共産主義の東ドイツとに別れていたドイツですが、ベルリンは、東ドイツの中の都市で、そのベルリンが、東西に分割されていましたから、陸路で西ドイツから西ベルリンに行くには、東ドイツを通らなければなりませんでした。

私が最初にとったパスポートには、北朝鮮と東ドイツを除いたすべての国で有効と書かれていましたが、記念すべき東ドイツのスタンプをもらいました。

Deutsche Demokratische Republikの文字があります。

ベルリンの壁の上から、東ベルリンを見たり、ベルリンの壁博物館のような所を見学したりしました。


東ベルリンから自由を求めて西ベルリンに逃げる人たちもいたわけですが、東ベルリンの警備隊から容赦なく銃で撃たれ、多くの人びとが亡くなっています。


当時のベルリンの地下鉄は、駅によっては東ベルリンで、そこには止まりませんでしたが、ホームに立つ人を見る事が出来ました。

私がドイツにいたのは、70年代の中頃でしたが、知り合いの中には、東ドイツから、母親に連れられチェコスロバキアを経由して、ドイツに亡命した人もいました。

1990年に東西ドイツが統一されたわけですが、当時から、トルコ人たちが住む街もありましたが、最近のドイツは、ものすごい数のイスラム教徒が暮らしているそうです。

北欧もオランダもベルギーもフランスも、わたしの知っている時代とは全く変わってしまい、治安も悪くなっているし、イスラム教徒とのもめ事が多くなっているそうです。

日本も、そういった国々がどのような問題を抱えているのかをよく調べて、対処しないと、これから先、いろいろな問題を抱えるようになってしまうと思います。

主義主張や宗教の違いは、本当に難しい問題です。

外国人労働者を入れることや、帰化を認めるときに、しっかり考えないと、平等だといいながら、新たな差別や新たな不平等を生むことになるような気がします。


食事だけでなく、医療も宗教によっては、問題が出たりするようです。

日本が、平和な国家であり続けるためには、なんでも自由でいいのかどうか、しっかり考えるときだと思いますね。

中国系の人たちが同化しなかったマレーシアと、中国系の人たちが同化したタイとの違いも、しっかり研究した方がいいと思います。

いろいろな人種が共存しているイメージのシンガポールも、実は、中国系やマレー系やインド系の間に、対立はあります。そして、シンガポールの国籍を持つ人たちと、そうでない外国人労働者たちの間の格差も、はっきりしています。

不法入国者に頭を痛め、米国とメキシコとの国境に壁を作っています。自由の国と思われるアメリカも自由に制限はありますね。