今は、インターネットがありますから、女性の裸も手軽に見る事が出来る時代ですが、昔は、男性週刊誌も胸だけの時代が長かったです。
ですから、中学生くらいから、男たちは、昼も夜も女性の裸を妄想していたわけです。
おっぱいが見えなくても水着姿だけで大興奮でした。
中学とか高校では、おませな先輩や友人が、ストリップ劇場というのがあることを教えてくれました。
私の場合には、中学のスケベな先生が、ストリップというのは服を脱ぐという意味で、ストリップ劇場では、踊り子がじらしながら服を脱いでいくから、ストリップ・ティーズ【striptease】というんだと教えてくれました。
ティースというのはじらすという意味で、トローリングなどでも,ルアーや餌を大型の魚の前に流してじらす釣り方があります。
魚も人間もじらされると熱く燃えます。
で、ストリップ小屋とかストリップ劇場は、日本全国にあって、かなり盛況だった時代もあったわけです。
王道のストリップ小屋では、女性が音楽に合わせながら踊っていき、そのうち徐々に服を脱いで、胸をあらわにするわけです。
踊り子は、洋舞だったり日本舞踊だったり、色々と自分なりの出し物を考えるわけで、プライドを持った踊り子が多かったそうです。
多くの踊り子さんたちは、事情を抱え、苦労が絶えなかったりもするし、淋しさからヒモと一緒の踊り子さんも多かったそうです。
一条さゆりさんなどは、伝説の踊り子だったそうです。
そして、女性が変わるときに、漫才とかコントとかがあって、かっては、ストリップ劇場出身の渥美清さんとか長門勇、東八郎、関敬六さんなどやコント55号とかツービートとかもいたわけです。
お客さんたちは、女性の裸を見に来ているわけで、お笑いなどは二の次だから、演者も必死におもしろいことをしたりします。
都市型のストリップ劇場だけでなく、温泉町の寂れたストリップというのもあって、当然、酔っ払い相手なわけですし、出演する女性たちも年増だったり、事情のある人たちだったりするわけです。
こちらのサイトには、日本全国のかってあったストリップ劇場名があり、非常に興味深いです。
ストリップも、胸だけでなく、下半身も見せるようになり、そのうち、ステージに客を上がらせて、本番行為をするところまでエスカレートしたそうで、ドンドン取り締まりも厳しくなり、過激でないと客が集まらないけど、過激にすれば取り締まりにあうということで、徐々に衰退していったようです。
私の場合には、和歌山の八光ミュージックが、一番の思い出で、それまで見る事が出来なかったので、はじめて若い女性のあそこを目の前で見て、大いに感激しました。
あの時、幸いにもきれいなモノを見たことで、その後の人生も、女性は美しいと思い続けてきました。
女性が裸になったり、踊ったりするのは、世界中にあると思いますが、日本のストリップは、日本人らしく、ただ裸を見せるだけでない、ある種の芸術の域に達した人もいたのではないかと勝手に想像します。
エロビデオなんかもそうですが、洋物に比べて和物には、物語があったり、アートを感じる作品があるような気がします。手前味噌かな?