子供の頃から3月3日といえば「ひな祭り」なんですが、我が家では、姉の誕生日でした。
でも個人的には、1973年の3月3日は、私が一人旅に出た記念の日なんですよね。
当時は、すでに海外旅行は自由化されていましたし、1ドル360円が一挙に1ドル240円くらいまで下がって、海外旅行が身近になり始めでした。
五木寛之さんのヨーロッパを題材としたいろいろな本も人気でしたし、小田実さんの「なんでも見てやろう」なんかも人気でした。
まあ、色々とありましたが、自分でいろいろと調べて、シベリア横断コースがいいのではないかと、JTBに相談しました。
パスポートの取り方も知らないし、知らないことばかりでした。それに一人でした。
でも、いろいろな準備は楽しかったです。何が必要かをノートに書き出して、時代遅れの登山用のリュックを買って、不安と希望が入り交じった日々でした。
横浜からフィンランドのヘルシンキまではJTBの手配でしたから、一人でも心配はありませんでしたが、パスポートを申請に県庁所在地まで行ったり、必要な予防接種を受けたりと、初めてのことばかりでした。
出発の前には東京の友人の下宿にお世話になって、早朝電車で横浜まで行きました。
横浜大さん橋には、これから私が乗るソビエトの大きな船がありました。
ナホトカ航路といわれていたソ連のナホトカまでの2泊3日の船旅でした。
FELIX DZERJINSKY号というポーランド生まれの革命家の名を付けた5000トンクラスの客船でしたが、とにかく大きく感じました。
まわりの人の真似をしながら出国手続きをして乗船したわけですが、船に乗るとさすがに不安でした。
当時は、寺山修司の「書を捨てよ街に出よう」なんて本を読んでいましたし、「青年は荒野をめざす」なんて歌も流行っていました。
私は運がよかったので、イヤなこともほとんどなく、今から思っても素晴らしい経験が出来たと思っていますが、でも、十分な知識も下準備もなく、海外に飛び出すのは昔も今もリスクはあります。
といっても、子供の頃から英語に興味があったし、NHK教育の英会話番組はよく見ていたし、アメリカ人の会話教室にも通ったしで、最低限の日常会話はできました。
3とか33には特別な思いがあって、宝くじなど買いますが、なかなか当たりません。
3月1日発表の宝くじでは、下二桁が73でしたが、買いませんでした。くじ運と商才には恵まれないようです。