私が若かりし頃の世界の人口は約35億人程度といわれていました。今の約半分ですね。
そして、当時、1ドルが360円でした。
私が、シベリア経由でヨーロッパ行きを考え始めたころ、ドルが初めて300円を切りました。
私が日本を出発したときには、既に1ドルは280円ほどで、ヘルシンキまでの片道料金を支払って、持ち金は日本円で13万円とアメリカドルのトラベラーチェックで2000ドルでした。
なぜ13万円を日本円で持って行ったかというと、その13万円は帰りの運賃に充てるために、ないものとして、別にしていました。
要するに残金が13万円になったら帰国するつもりでした。
実際には、イギリスの語学学校代は、父から送金してもらっちゃいましたけどね。
当時、日本の大卒の初任給は5万円ほどだったと思いますので、海外でひと稼ぎと考えてアメリカに渡った若者もいたようです。
実際にストックホルムで知り合った日本人はニューヨークで皿洗いの仕事を必死でやって、月に2000ドルくらい稼いだといって、ためたお金で買ったという3000ドルのマーティンのギターを抱えていました。
ヨーロッパはスペインなどを除き、物価がとんでもなく高かったので、日本よりも稼いでもお金はたまらないといっている人が多かったです。
北欧やフランスは、滅茶苦茶物価が高かったです。
タイに来た当時、日本円はまだそんなに力がなくて、1万円で700バーツほどでしたから、1バーツは約15円くらいの価値がありました。
アジア為替危機が襲い掛かるまでは、1ドルはずっと20バーツでした。
日本円はといえば、1バーツ15円から、どんどん円がバーツに対して強くなって、こんな感じで推移してきました。
1バーツ10円になり、1バーツが5円になり、一番円が強かったときには1バーツが約2.5円でした。
当時は、日本のバブルがはじけた後でしたが、まだまだ日本人はお金持ちで、札束を抱えてタイで豪遊していた人たちも多かったです。
日本円が強い円高で、企業も海外進出をして、日本が空洞化し、日本経済がじり貧になっていったわけです。
日本人も慢心していたと思います。
そして、気が付けば、1バーツが約4円になってしまいました。約30年前のレートですね。
ですから、今では、日本は物価が安いからと、海外からの観光客が増えて、爆買いだそうです。
昔は韓国や台湾やフィリピンやタイで買春をしていた日本のおじさんたちでしたが、今では中国人などが、日本で買春だとか。悲しいけど、現実ですね。日本の女性も海外で風俗営業をする時代だとか。
ほんと、昨日の金持ちが今日の貧乏人となっちゃって、まるで聖書の中の話ですね。
だから、日本を出て海外で働く若者も増えているそうです。
ただ、気を付けなければならないのが、現地の物価ですし、現地の家賃から食費、医療費などなどです。
それと海外では、滞在ビザや労働許可の問題もあるし、外国人の権利が制限されていることもあります。
もちろん、人種差別なども現実としてありますし、言葉だけでなく、生活習慣の違いから、価値観の違いなどもあって、適応出来ない人もいます。
それに、希望者が増えると、需要と供給のバランスもあるし、働きたい人を狙っている悪徳業者もいます。
もちろん、成功していい思いをする人もいるでしょうし、人生経験も得るわけで、若者はどんどん挑戦してみるのもいいと思います。
後戻りできなくなるような冒険はなるべく避けてね。