シンガポールについて、いろいろと思いだしたり、検索したりしている中、興味深いものを見つけ感動しています。
私は、1976年にこの墓地を訪れる機会があったのですが、当時に比べ、驚くほどきれいに整備されていて、びっくりしました。
今までにもいろいろなところで、あの時の思い出に関して書いてきていますが、当時は、荒れ果てていて、「からゆきさん」たちの墓石も当時は石ころだった記憶があるのですが、立派なものも増えていました。
シンガポールとかかわった諸先輩方や日本人会などの努力には頭が下がります。
シンガポールが独立したのは、1965年8月9日でそれまでは、マレーシアの一部でした。マレーシアはイギリスの植民地で、今でもイギリス連邦加盟国の一つです。
シンガポールもイギリス連邦加盟国の一つです。
シンガポールは大航海時代から、西と東とを結ぶ中継の港として栄えましたが、イギリス東インド会社の重要な都市で、船の修理や貿易などで栄えました。
早くから中国人の移民も多く、湾岸労働者やゴム園やスズ園などで働く者たちの中から、英国人が作った学校で英語や簿記などを学び、英国人の番頭として働く者たちも増えていきました。
日本人は、勤勉で正直なので、戦国時代から、キリスト教の宣教師や貿易商人などによって、日本人男女が海外に売られていった歴史もあります。
男は船や港での肉体労働で、女は、女中や売春婦として働くことが多かったそうです。
シンガポール日本人墓地公園のサイトに紹介されている日本人墓地の現地ガイド歴45年の顔夕子(がん・ゆうこ)さんへのインタビュー映像は非常に興味深いです。
わたしは、日本軍は、アジアの独立のためにイギリス軍と戦っていたと思っているので、シンガポールにあった抗日中国人たちとの戦闘は、すべて日本側が間違いだったとは思っていません。
タイでもマレーシアでもシンガポールでも華僑の人たちは、祖国中華民国のために銃を持って日本軍に反抗していたわけです。
彼女の話の中に出ている沖縄出身のおじいさんが私を日本人墓地に案内してくれた人なので、彼の話は多少は知っています。
日本軍の作戦や軍事行動については、マレー作戦を読んでみてください。
1942年2月15日から、1945年9月12日まで、日本は、シンガポールを占領し、昭南島と名付けていました。
カクテル・シンガポールスリングでも有名な歴史ある高級ホテルラッフルズホテルも当時は昭南ホテルと呼ばれていたそうです。
「YESかNOか」で有名なパシーバル将軍と山下将軍との会談の行われた場所とか、いろいろと思い出しました。