シンガポールに初めて行ったのは1976年でしたので、到着した空港は、パヤレバ国際空港でした。(今はパヤレバー空軍基地となっているそうです。)
当時のシンガポール航空SQ7便は、羽田発でした。観光旅行ではなく、約1年間滞在しました。
当時のシンガポールには、まだ古い港町シンガポールの面影も多少は残っていて、徐々に近代都市として変わっていく街並の貴重な思い出になっています。
今回シンガポールを思い出したのは、「東野・岡村の旅猿」でシンガポールをやっているのを見たからで、シンガポールの食事といえばと昔を思い出したわけです。
70年代後半のシンガポールといえば、まずは、オーチャードカーパークで、ギリギリ間に合っています。
オーチャードロードの東のはずれといえば大統領官邸ですが、オーチャードロードの中間ほどのところにあった駐車場が夜になるとオープンエアーの屋台街になったんですが、都市開発ですぐに消えてしまいました。
オーチャードカーパークの思い出といえば、近くに行くと強烈なヤシ油の焦げた臭いで、気持ち悪くなってしまい、なかなか慣れませんでした。
あとは、取引先の人に無理やり薦められて少しだけ飲んだスッポンスープの思い出です。
私は、ゲテモノが苦手なのに、無理やり飲まされ、なんか、体が火照ったことを思い出します。
オーチャードカーパーク以外では、ニュートンサーカスの屋台です。
一番の思い出は、Yong Tau Foo(釀豆腐)でした。朝食に食べる発酵した豆腐の赤い汁で食べるシンガポール風のおでんのような、魚のすり身を使ったいろいろな種類の揚げ物などと空心菜などとビーフンをクリアースープで食べる料理でした。
こちらの方が詳しい説明をしています。
当時はニュートンサーカスにあるお店がシンガポールで一番有名で、噂では、屋台のオーナーがお店に来るときには高級なベンツで通っていたそうです。
私は、鶏肉が苦手で、海南チキンは、あまり詳しくないですが、チャイナタウンにある専門店やマンダリンホテルのコーヒーショップのシンガポールチキンが有名でした。
私は、シンガポール人たちが朝食に食べる、ナシレマとか黒くて少し甘いとろりとした醬油で炒めた半生の赤貝が入ったチャークイティオを時々食べていました。
あとは、肉骨茶(バクテー)ですね。日本人の中でこのバクテーの魅力を知ったのは、私の前にはそうたくさんの人はいないのではないかと思っています。
なんといっても1976年なのですからね。
当時オベロイインペリアルホテルの近くにあるお店が有名で、現地の労働者たちが食べに来ていました。
料理に使った残りの豚のあばら骨をニンニクや香辛料で煮込んだもので、それを濃いめの醤油に骨についた肉を付けてご飯をかけこむ港湾労働者のエネルギー源です。
ですから、英国の植民地だったところの港町マレーシアのクアラルンプールとかペナンとかミャンマーのヤンゴンなども有名だそうです。
シンガポール北部で対岸はマレーシアというところにあるプンゴルのチリクラブ(カニのチリソース炒め)も多分、日本人としては、かなり早くから食べたのではないかと思っています。
なんといっても1976年なのですからね。