日本の風俗史
起源と初期の売春
古代: 日本の売春の記録は、『万葉集』(8世紀)に登場する「遊行女婦(ゆきおんな)」や、『日本書紀』(720年)の天鈿女(あめのうずめ)に遡ります。これらは芸能と売春が混在した存在で、神事や祭りで活動しました。
中世(平安~室町時代): 遊女は「白拍子」や「傀儡女(くぐつめ)」として、貴族や武士に仕えました。12世紀には、京都の鴨川河原で遊女が客を取る姿が記録され、後の「夜鷹」の原型となりました。
江戸時代の遊女の起源と遊郭の成立
初期の遊女: 遊女の存在は古代から確認されており、『万葉集』に登場する「遊行女婦」や『日本書紀』の天鈿女(あめのうずめ)が起源とされる説があります。これらは芸能と売春が混在した存在でした。
遊郭の始まり: 1585年(天正13年)、豊臣秀吉が大坂に遊女を集めた「新町遊郭」を設立し、これが公認遊郭の原型とされます。江戸時代に入り、1617年(元和3年)、江戸幕府が庄司甚右衛門の陳情を受け、日本橋近くに「吉原遊郭」を許可。1657年(明暦3年)の明暦の大火後に浅草の新吉原に移転しました。
目的: 幕府は遊郭を公認することで、治安維持、風紀管理、税収確保を狙いました。吉原(江戸)、島原(京都)、新町(大坂)が三大遊郭として知られました。
階級制度: 遊女には厳格なランクがあり、最高位は「太夫」(後に「花魁」)、次いで「格子」「散茶」「端女郎」など。花魁は美貌と教養を兼ね備え、一晩の揚代が現代価値で数百万円に及ぶ高級遊女でした。
花魁の特徴: 教養(和歌、茶道、音楽など)が求められ、客を選ぶ権利も持つなど、単なる売春婦とは一線を画しました。3回通ってようやく関係が許される「初会・裏・馴染み」の慣習や、外八文字の歩き方が象徴的です。
過酷な現実: 遊女の多くは貧困家庭から身売りされ、借金(前借り金)を背負い、年季(通常10年)を務めるまで自由がありませんでした。性病(特に梅毒)や堕胎による死亡率も高く、平均寿命は短かった。
吉原の繁栄
規模: 新吉原は最盛期に約4000人の遊女が暮らし、江戸の税収の約8%を占める経済的基盤でした。浮世絵や歌舞伎で描かれ、庶民の憧れの場でもありました。
火事と放火: 遊女による放火が頻発し、1768年(明和5年)の大火など19回の全焼を記録。過酷な環境からの脱出を試みた結果でした。
明治以降の変遷
芸娼妓解放令(1872年)
背景: 明治政府は国際世論(マリア・ルス号事件)を考慮し、人身売買を禁じる解放令を発令。遊女約3000人が解放されましたが、売春自体は禁止されず、多くの遊女が「自発的」として再び遊郭に戻りました。
変化: 花魁の地位は低下し、遊郭は「娼婦=不道徳」と見なされるようになり、江戸時代の華やかさは薄れました。
赤線時代(1945年まで)
戦後の遊郭: 第二次世界大戦後、GHQの指令で公娼制度が廃止されましたが、吉原などは「赤線」として非公式に存続。カフェや料亭の名目で売春が行われました。
赤線とは: 戦後(1945年~1958年)、GHQの公娼廃止指令後も、遊郭が「赤線」として非公式に存続した地域を指します。吉原(東京)、飛田新地(大阪)、福原(神戸)などが代表例で、カフェや料亭の名目で売春が行われました。1958年の売春防止法施行で法的根拠を失い、表向きは消滅しました。
当時の状況: 戦後の貧困と混乱の中、女性が生きる手段として性産業に従事し、経済的需要(進駐軍や労働者向け)も高かったことが赤線の背景にあります。
売春防止法(1956年)
法施行: 1958年3月31日に全面施行され、公娼制度が完全に終了。遊郭は法的根拠を失い、表向きは消滅しました。
ソープランドの誕生
起源: 売春防止法後、風呂屋を装った「トルコ風呂」が登場。1960年代に「ソープランド」と改称され、入浴介助を名目にした性風俗業として発展しました。
法的グレーゾーン: 売春は違法ですが、ソープランドは「自由恋愛」の建前で黙認され、2025年現在も全国に約1200軒が存在(日本風俗協会推定)。
地域ごとの歴史と特徴
吉原(東京)
歴史: 江戸時代から続く遊郭の跡地で、戦後は赤線、1958年以降はソープランド街に変貌。現在は台東区千束に約130軒が密集し、「高級店」「中級店」「格安店」に分かれます。再開発圧力はあるものの、観光客や地元客で賑わっています。Xの投稿でも「昔の赤線みたい」との声が散見されます。
堀之内遊郭: 1908年頃、川崎区堀之内に遊郭が形成され、正式に公認されました。最盛期には約50軒の妓楼が立ち並び、吉原ほどではないものの、京浜地域の風俗中心地に。遊女は数百人規模で、労働者や船員が主な客層でした。
赤線時代: 戦後、堀之内は赤線地帯となり、進駐軍や復興期の労働者向けに営業。1958年の売春防止法施行で公娼制度が終了すると、「特殊浴場(トルコ風呂)」として転換。
ソープランド街: 1960年代に「ソープランド」と改称され、堀之内と南町が中心地に。2025年現在、川崎には約60軒のソープランドが営業し、高級店から格安店まで多様。吉原に次ぐ規模を誇ります。
特徴: 工業都市の歴史から、労働者文化が根付き、比較的手頃な価格帯が特徴。外国人観光客の増加(特にアジア圏)で、需要がさらに拡大しています。
千葉栄町は、千葉氏の城下町として中世から栄え、江戸時代には千葉街道の宿場町として機能。明治維新後、1873年に千葉県が成立し、千葉町(後の千葉市)が行政中心に。
売春の始まり: 明確な遊郭は記録に乏しいものの、宿場や港湾近くで遊女が活動。近代化に伴い、軍港(幕張方面)や商業の発展で風俗需要が増加しました。
戦前~戦後:栄町遊郭と赤線
栄町遊郭: 1920年代、千葉駅近くの栄町に遊郭が形成され、県庁所在地としての地位を背景に発展。規模は吉原や川崎ほど大きくなく、数十軒程度の妓楼が営業。
赤線時代: 戦後、栄町は赤線地帯となり、進駐軍や地元民向けに賑わいました。1950年代には「千葉一の歓楽街」と呼ばれ、キャバレーや風俗店が集中。最盛期には約100軒が営業したとされます。
現代:ソープランドと衰退
ソープランドへの転換: 1958年の売春防止法後、栄町はソープランド街に変貌。1970年代には約50軒が営業し、千葉県最大の風俗地帯に。価格帯は中級~格安で、地元客や近隣労働者が主な客層。
衰退の兆し: 1990年代以降、千葉駅周辺の再開発や郊外化で客足が減少し、2025年現在は約20軒に縮小。Xの投稿(例: 2022年「栄町は予想以上の廃れっぷり」)でも、かつての賑わいが失われたとの声が目立ちます。
特徴: 昭和のレトロな雰囲気を残しつつ、一部店舗が「頑張っている」と評価される。外国人風俗嬢の増加も見られ、観光需要に適応しつつあります。
2025年の状況
貧困と風俗: 経済格差の拡大で、風俗業への流入が続く一方、栄町は再開発の波に取り残され、衰退傾向。対照的に、近隣の船橋や松戸でデリヘルが台頭し、栄町の地位は相対的に低下。
飛田新地: 大阪の旧遊郭は「料亭街」として存続し、暗黙の性風俗が続いています。2025年現在も、貧困層の女性が流入する傾向が指摘されています。
地方の衰退地: 『東京タイムズ』(2025年2月)では、港近くの旧赤線地帯「パラダイスストリート」が廃墟化しつつも、一部で性風俗が復活との報道。経済停滞で地方が疲弊する中、こうした動きが散発的に見られます。
祇園(京都)
歴史: 江戸時代の島原遊郭が起源だが、明治以降は芸妓・舞妓の花街として発展。売春より芸能が主で、遊女とは分離されました。
現代: 祇園甲部など五花街が現存し、芸妓文化が観光資源に。風俗業とは一線を画し、伝統芸能の場として存続。
雄琴(滋賀県大津市)
歴史: 戦後の赤線地帯が起源で、1970年代にソープランド街として整備。温泉地としての立地を活かし発展。
特徴: 約30軒が営業し、関西屈指のソープランド街。2025年現在も早朝営業や高級店が人気。
金津園(岐阜市)
歴史: 明治時代に遊郭が成立し、戦後は赤線を経てソープランドに。岐阜駅近くの立地が特徴。
特徴: 約40軒が営業し、中部地方最大級。価格帯が幅広く、観光客や地元客に支持されています。
変化: 江戸時代の強制的な身売りや過酷な環境はなくなり、現代は自発的な労働者が主流。ただし、経済的困窮や借金から風俗業に入るケースは残り、完全な自由意志とは言い切れない側面も。
社会認識: 江戸時代は遊女が庶民文化の一部として受け入れられましたが、現代では風俗業がタブー視されつつも、経済規模(約5兆円、2024年推定)から無視できない存在です。
女性の貧困: シングルマザーや非正規労働者の女性が、生活費や借金返済のため風俗業に流入するケースが増加。
外国人労働者: 円安と観光需要で、外国人女性(特に東南アジア出身)が性風俗に従事する例も増加。歌舞伎町での「立ちんぼ」には、観光ビザで入国した女性が含まれるとの指摘があります。
経済的困窮: 戦後の赤線と同様、貧困が性産業への流入を促している点は共通。失業や低賃金が背景にあります。
規制の隙間: 赤線がカフェ名目で存続したように、現代ではソープランドやデリヘルが法のグレーゾーンを活用。立ちんぼも取り締まりが追いついていません。
需要の存在: 外国人観光客や過労するサラリーマンなど、性風俗への需要が途絶えず、供給がそれに応じています。
2025年現在、貧困化が進む日本で、性風俗が生活手段として浮上する傾向は確かにありますが、デジタル化や社会規範の変化から、赤線そのものの再現とは言えないでしょう。むしろ、現代的な貧困とグローバル化が混ざり合った、新たな形の性産業の姿と捉えるのが適切かもしれません。
======
イギリスのチャールズ国王が王子時代にジョークで言った言葉に「世界最古の職業の一つが国王で、もう一つが売春婦だ」があるそうですが、古い時代から、女性は身体を武器に食糧や強い男の庇護を得ていたのは事実でしょう。
性に寛容な国民だといわれる日本でさえも、売春婦は最下層といってもいい職業でした。
日本の素晴らしいところは、そんな職業でも価値を持たせるシステムを作ってきて、花魁などは、本当に特別な階級とも言えます。
ちょうどNHK大河ドラマで吉原と花魁の話をやっているので、少し勉強をしてみました。
地震で苦しんでいるミャンマーの人たちがいるのでAI美女づくりはしばらくお休みです。