1970年頃、マーシャル・マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」や「機械の花嫁」が、メディアで紹介され、購入して読みました。
グーテンベルクの印刷術の誕生から、書き言葉と話し言葉、そして、クールメディアとホットメディアについても、いろいろと書かれていました。
当時は、若者たちにとり、「書を捨てよ、町へ出よう」の時代で、「書き言葉から話し言葉へ」の時代でした。
彼は、ホットなメディアの例として「写真・ラジオ・映画」、クールなメディアの例として「漫画・電話・テレビ・会話(話し言葉)」とらえていました。
ホットなメディアは、受け取る側をして理性的になる時間を与えず、短時間に感動を与え、クールなメディアは、時間をかけて感動させるといったとらえ方だったと理解します。
ホットなメディアとして、ラジオが取り上げられた例として、1938年10月30日にハロウィン特別番組として、アメリカのラジオ番組で放送されたオーソン・ウェルズの「宇宙戦争」がありました。
火星人が地球に攻めてくるといった内容なんですが、あまりにも、リアルで、聞いていた人びとを恐怖のどん底に突き落とし、放送の最後には、フィクションであることを伝えたのに、もう、時すでに遅しで、人びとはパニックを起こしていたということです。
要するに、使い方によっては、人びとを扇動させ誤解させる力を持っているということです。
日本でも太平洋戦争当時のラジオ放送は、日本人を騙し、洗脳していました。当時の新聞も、同じようなものでしたけどね。
映画なんかでも、迫力ある画面と音響、CGなどを駆使した作りですと、かなりものが物語に引き込まれ、恐怖したり、感動します。
現代に当てはめてみると、ラジオを聞く人は減ってしまい、ホットなメディアとしては、インターネットでしょうね。特に、SNSでしょう。写真や短かな言葉が拡散していって、あっという間に、多くの人たちを動かすことも可能です。
嘘であっても、広がる怖さがあります。
クールなメディアとしては、テレビや新聞、そしてコミックを含む書物かな。本来は、冷静であるべきクールなメディアにも、嘘が多いところが、問題です。
テレビにはテレビも強みがあって、池上さんの番組のような丁寧でわかりやすい解説とか、いろいろな見方・考え方の紹介などは、テレビにあっていると思います。
自分たちの意見の押しつけや洗脳ともとれるようなやり方は、どんどん支持されなくなっていくのではないでしょうか。
新聞や書物は、もっと時間をかけて専門家の説明をすべきで、同じ活字メディアでもホットなスポーツ新聞や写真週刊誌のような見出しで売ろうというやり方は、ズレているように思います。
テレビも、ホットなメディアになろうという野心は、例え生放送を増やしたとしても、インタラクティブを追求しようとしても、失敗だと思います。
クールなメディアを受け入れている層が革新で、ホットなメディアを支持する層が保守という日本は、ねじれているような気がします。
そのねじれの原因が、テレビや新聞の考え方の間違いにあるような気がします。
クールなメディアは、クールなメディアらしく、報道番組から嘘や作為を排除し、冷静な分析、謙虚で公平な意見で、本来の立ち位置を取り戻していって欲しいと思います。