今日、10月26日は、昨年10月13日に亡くなられたラマ9世の火葬の儀式が行われました。王族の葬儀は、バラモン教と仏教との混ざった儀式のようです。
日本からは、秋篠宮ご夫妻がご列席になられました。
タイ中が喪服になって、死について考えた1日でした。
====
死について
昔々ある村に、お百姓さん一家が住んでいました。年老いた両親とその息子とお嫁さん、そして息子の妹の五人家族でした。
その日は、とっても暑い夏の日でした。
父親と息子は、いつものように、畑に、野良仕事に出かけていきました。もう何年も続けてきたように汗びっしょりになりながら、二人は黙々と畑を耕しました。
いつもと同じように耕し、草を取り、種を撒き、いつもと変わらず水を飲み、粗末な朝食を取り、収穫の当てのない野良仕事を、一言の愚痴も言わずに繰り返していました。
突然、息子が、うめき声を上げながら倒れたのです。父親は、びっくりして、息子のいるとことに駆け寄りました。息子は、畑を耕していて、土の中で眠っていたコブラに噛みつかれてしまったようでした。
父親が、息子の胸に耳を当てて心臓の鼓動を確かめたときには、すでに息子は、死んでいました。あまりに突然なことで、父親としても、なす術がありません。
ついさっきまでは、生きていた息子なのに、ついさっきまでは、野良仕事に汗を流していた息子なのに、今は、もう、こうして畑に横たわり、息をしていません。
しばらく、呆然としていた父親は、もう、どうしようもないことを悟り、息子の亡がらを、近くの木陰に横たえました。そして、まるで何もなかったかのように、野良仕事を続けました。
お昼になって、近所の人たちが、畑のそばを通りかかり、これから昼飯を食べに家に帰るというので、父親は、自分の家族に「息子が死んだ」との伝言を頼みました。
「今日の弁当は、一人分だけでいいから、それを持って家族全員が、畑に集まるように」と伝えてもらいました。
しばらくすると、一人分のお弁当を持って、家族全員が、父親のいる畑に集まってきました。
父親は、みんなを自分のまわりに座らせて、静かに、息子の身に起こったことを話して聞かせました。
家族の一人が、思いもよらないことで死んだというのに、家族の誰も、泣きもせず、声も出しません。
父親の指示に従って、それぞれが、近くから枯れ木を持ってきて、畑に火葬の用意をしました。枯れ木を組んで、息子の遺体を載せる台を作り、そこに、息子の遺体を載せ、枯れ木に火をつけました。火の勢いが強くなって、息子の体が、だんだんと灰になっていく様子を家族全員で、静かに見守っていました。
そのとき、そこを通りかかった1人のバラモンの僧がいました。
家族が見守る中で執り行われている火葬の様子を見て、僧は、「どなたが亡くなられたのですか?」と尋ねました。
父親は、僧に向かって「私の1人息子です」と告げました。そして、家族を全員紹介しました。
僧は、家族の火葬だというのに、誰も涙を流していないことを不思議に思い、「本当の息子さんなのですか?」と聞きました。すると、父親は「間違いなく私の息子です」と話し、今日、野良仕事中にコブラに噛まれて、私の見ている前で死んだことを告げました。
僧は、ますます不思議に思い「大切な息子さんが亡くなったのに、涙ひとつこぼしていないのは、きっと、息子さんが、親不孝で怠け者だったからでしょう?」と尋ねました。
父親は、僧に、息子がいかに働き者で、親孝行だったかを説明しました。
「息子の死は、ちょうどコブラが、脱皮をするようなものですから、悲しいことはありません」と言いました。「コブラは、脱皮し終わった後の抜け殻をいくらクワで叩かれても痛みを感じないように、息子が死んだあとの亡がらは、もう、息子ではありません」
「たとえ、私が、息子を火葬にしても、息子は熱さも痛みも感じません。それと同じように、私にある感情は、息子は、もう死んで、この世にはいないという真実だけです。ですから、息子が死んだからといって、悲しくはありません」
僧は、次に、母親に質問しました。
「母親が、息子を愛していれば、息子が死んで悲しみに身を切られる思いでしょうに、どうして涙をこぼしていないんでしょうか?」と聞きました。
母親は「息子が生まれてから今日まで、息子を愛さない日はありませんでした」と言いました。母親は、息子に、よい人間になるようにと言って育てました。「息子は、その通りに育ちましたが、今日は、こうして、さようならも言わずに死んでしまいました」
「でも、それが、彼の運命で、私が、泣いても、涙を流しても、何も変わりません。彼が、死んだということは、事実なんですから」と言いました。
次に、僧は、亡くなった息子のお嫁さんに聞きました。
「自分の愛する旦那さんが亡くなっても、涙一つこぼさないのは、きっと、あなたに対して冷たかったからでしょうね?」と言いました。
お嫁さんは、首を横に振りながら「亡くなった主人は、とても誠実で、よく私のことを大切にしてくれました。私も、主人を愛して尽くして来ました。でも、亡くなった主人に対して泣くのは、月を見上げて、あの月が欲しいと泣く子供のようなことに思われます。
私が、目から血の涙が出るまで泣けば、主人が生き返ってくれるのであれば、どれだけでも泣きますが、そんなことはありえません。主人は死んだのは、間違いのないことですから」と言いました。
最後に、僧は、妹に聞きました。
「涙を流さないのは、お兄さんからいじめられてきたからですか?」と言いました。
妹は、答えました。「兄は、とても優しい人で、叱られたこともけんかをしたこともありませんでした。でも、兄がコブラに噛まれて死んだことは、もうどうすることもできません」
「小さな針を海に落としてしまえば、もう拾い上げることはできませんし、割ってしまった水がめは、もう、元には戻りません。泣いたところで、もう兄の命は、生き返らないのですから、私は、泣きません」と言いました。
家族全員の話を聞いて、バラモンの僧は、この家族を尊敬し、そして、人が生まれたときから、いつか必ず、人は死ぬときを迎えることを、静かに悟ったのです。
Copyright(c) 1997 北風剛
無断複製、無断頒布厳禁