5~6歳の頃、いとこたちの家族と我が家の家族で、海水浴に行きました。その時、わたしより、少し年上のいとこたちがふざけて、わたしを海に投げ込みました。
記憶にあるのは、灰色に濁った海水の中で藻掻く自分で、今から思えば、ちょうど波打ち際のあたりで、身体が直立していれば、上半身は海水の上に出ているくらいの深さだったんでしょうけど、海中で藻掻き足が浮いている状態で、頭が沈んでいたのでしょう。
その後のことは、全く記憶にありません。たぶん、いとこたちが、驚いて、助け上げてくれたのでしょう。
このときの恐怖心が、ずっとわたしの記憶の中に潜み、海に入ると、息苦しくなるのです。
洗面器に顔をつけることも出来ません。お風呂には入れましたが、お風呂で潜ったりも怖くて出来ませんでした。
身体は大丈夫でも顔がダメのようです。今でも、シャワーを浴びていて、頭を洗うときなど、時々、呼吸が苦しくなって、口で大きく呼吸しています。
一番つらかったのは、やはり、夏の体育の時間で、水泳の授業がある度に、お腹が痛いとか嘘を吐いてずる休みをする自分が情けなかったです。
夏は、非情にも毎年来ます。そして、夏になると、プールの時間があります。お腹が痛いだけでなく、おできが出来たとか、風邪をひきましたとか、先生は、当然わかっているはずですが、本人は必死で嘘を考えていました。
普段は活発で、ガキ大将的な自分が、水泳の時間になると、もう、情けないかぎりでした。中学に入っても同じで、やはり、水泳の時間は仮病。
中学3年生の夏休み前に、担任で体育の教師が、夏休みが終わったあと、水泳のテストをして、300メートル泳げないヤツには、内申書を書いてやらないと宣言しました。
中学3年ですから、高校受験がひかえていて、希望する高校に入るには、内申書も重要で、変なこと書かれたら、いくらテストでいい成績を取っても、入学できないかもしれないと悩みました。
運がよかったのは、成績も同じくらいの幼なじみが、やはり泳げなかったことで、彼と誘い合って、夏休みの期間中、毎日のように市営プールに通って、泳ぎを練習しました。
指導者がいたわけではないですから、とにかく、プールに入って、最初は、身体を水面下まで沈める練習をしました。最初は、すぐに息苦しくなって、飛び上がるのですが、何度も何度もやっているうちに、徐々になれていきました。
その次にやったのは、プールの縁を掴んでの平泳ぎの足の練習でした。これは、顔が水面の上ですから、苦しくはありませんでした。
次は、潜水というか、身体を沈めた状態での平泳ぎの練習でした。息が続くまでがんばるのですが、最初は、手足のバランスも悪く、ほとんど進みませんでした。
でも、これも、毎日やっていると、そのうち前に進めるようになり、手で水をかくと、顔も水面の上に出せるようになり、そうなれば、もう、どこまでも泳げるという感じになりました。
そして、夏休みが終わる頃には、すでに300メートル以上泳げるようになり、水泳のテストの時には、先生からよく頑張ったと褒められて、とても嬉しかったです。
もし、あの先生がいなかったら、いまだに泳げないままだったかもしれません。
でも、まだ水は怖いので、平泳ぎ以外は、ほとんど泳げません。クロールは息継ぎが出来ないですし、背泳は、顔が水面下に沈むともう苦しくなるし、バタフライなど、どうしたらいいのかわかりません。
一番楽なのは、古式泳法の横泳ぎです。
子供の頃、溺れた経験を持つ人は、意外といるそうです。ほんのちょっとしたことから、一生背負っていく心の傷が出来てしまいますから、子供を溺れさせないようにして欲しいです。
チャンスがあれば、小さい頃から、水に慣れさせて、泳ぎを教えるのがいいですね。
わたしの神経症とかも、原因のひとつは、子供の頃溺れそうになった恐怖心や、嘘を吐いてまでもプールに入りたくないという現実逃避などがあるのではないかと思います。
恐怖心ということでは、予防注射も怖かったです。今の注射針は、よくできていて、ほとんど痛くはありませんが、昔の注射針は、太くて痛かったです。
それに、針が刺さりにくくなるまでひとつの針で何人にも注射していましたから、危険極まりなかったです。
いろいろな意味で、子供に恐怖心をなるべく与えないような社会が理想です。