パソコンが普及しはじめた1990年代の半ばから、ハードがあっても、ソフトがなければ、コンピューターは動かないということがいわれていました。
ハードの代表格、コンピューターの心臓部CPUを作るインテルとコンピューターを動かすOSのマイクロソフトが手を組んで、新しい高性能のCPUを生かすには、新しいウィンドウズが必要で、新しいウィンドウズを快適に動かすには、それに見合う最新のインテルのCPUが必要だと、次から次へとバージョンアップしていって、消費者は、新しいハードと新しいソフトを買うことになりました。
それでパソコンが、どんどん高性能になっていったのはいいことですが、消費者の中には、そこまでして新しいものが必要なのだろうかといった声も、ウィンドウズXPあたりから出始め、今でも、もう10年近く前のバージョンであるウィンドウズ7のままでいいという人も多いわけです。
そうしたことは、スマホでも同じで、新しいパージョンのOSを使うには、新しいスマホに換えないといけないわけです。
パソコンに個人でも組み立てられるパソコンがあるように、スマホでも、基本は組み立てで、パーツがあれば、別にハードを作る技術がない会社でも、スマホを作ることが可能です。
パーツを集めて組み立てて、ソフトも借り物でOKです。
そこで、人件費の安い中国に新しいスマホの会社が出てきて、格安のスマホを売り始めて、中国国内の市場だけでなく、東南アジアや世界でも売れています。
テレビのメーカーでも、そうしたビジネスモデルは先行していて、パーツを組み立て、外見のデザインだけを独自でやった中国や韓国のテレビが、日本のメーカーに勝利していきました。
次が、電気自動車だと、中国も必死でやっているわけですが、ものには、組み立てるだけではいいものが作れない分野もあり、ソフトだけでは、勝負できない分野もあります。
この間の「朝までテレビ」でも夏野剛さんが、盛んにアメリカの電気自動車テスラをヨイショしていました。
彼のコメントでは、テスラのような電気自動車は、もうほとんどが電子部品で、その電子部品を動かすソフトを自動的にアップデートしてくれるから、4年前の車でも、ソフトの方は最新だし、アップデートは、車についている通信機能で自動にやってくれるから、無料だとのことでした。
日本の自動車メーカーは、そんなことをしたらディーラーに入るべき手数料が入らなくなるから、出来ないということで、夏野剛さんは笑っていましたが、わたしから見たら、笑われるべきは夏野剛さんの方ではないかと思いました。
なぜなら、自動車は、ソフトだけではなくハードも重要で、定期的な点検や修理が必要なわけで、ディーラーのない自動車メーカーの車は、売れるわけがないです。
日本車が、どこの国でも売れているのは、すぐ近くに買うだけでなく、点検やメンテ・修理出来るディーラーがあるからです。
自動車メーカーとは関係ない町の修理工場でも、手数料が入ってこないような車は、歓迎されないのではないかと思う。
電気自動車が、再生可能エネルギーと同じようにもてはやされていますが、電気自動車自体が、二酸化炭素を排出しなくても、電気を作るには、二酸化炭素もでているわけですし、バッテリーの廃棄問題なども、将来は、起きてくるでしょう。
バッテリーは、寒さに弱いし、水にも弱いから、自然災害時のソーラパネルではないけど、水に浸かってしまったときとか、雪の中での立ち往生など、問題を解決しなければならない多くの部分で発展途上でしょうね。
自動運転でも同じで、問題は、いろいろと出てくるのではないかと思います。ソフトにもバグはあるだろうし、ハードも故障します。
それに、ベトナムのオートバイではないですが、1998年時点で98%ものシェアを持っていた日本製のバイクでしたが、99年ごろから、中国製のバイクが大挙してベトナム市場に殴り込みをかけ、大きな価格面での優位を生かしてわずか3年で、中国製バイクのシェアは一気に80%にまで高まった例がありました。
ところがどっこい、ものまねのコピー製品では、見た目は同じでも、使ってみれば、性能の差は一目瞭然で、あっという間に、日本製のバイクが、ベトナム市場のシェアを80%まで回復させたわけです。
PCやスマホなどと違って、バイクや自動車は、ハードに大きな違いがでてきます。今までに自動車メーカーや下請けが苦労して蓄えてきたデータや、ノウハウを、表面だけ真似ても、簡単には勝てないという例ですね。
ソフトの専門家たちの陥りやすい誤解で苦手な部分ではないかと思います。
人間でも、いくら頭のいい人が、どれだけ効率的で最新の練習をしても、身体能力や神経のいい人に運動ではかないません。
精密なハードを作る技術や細やかなサービス精神、責任感、道徳の高さなど、いくらAI万能時代になっても、日本人が生き残る道はあると思います。
そのためにも、外国の悪いところばかり真似るような教育や洗脳は、改めるべきでしょうね。