現存するタイ最古の政党で、1946年に設立され、多くの首相を誕生させてきた民主党ですが、今回の選挙では、もう、大敗でした。
タクシンが台頭してからは、反タクシンとして、南部やバンコクに多くの支持者がいたのですが、今回の選挙では、そこでもなかなか勝てませんでした。
首相経験者で党首のアピシットには、敵が多すぎたのではないかと思いますね。
アピシットが首相だった時、タクシン派は、過激な赤シャツを中心に街頭闘争をしたわけですが、その時、アピシットが、軍を出動させて、鎮圧し、多くの死傷者を出し、反タクシン派から恨みを買っています。
そのアピシットが、選挙で議席を増やしたいがために、急に軍政を支持しないと発言し、それで、もくろみと逆の結果がでてしまいました。
今までアピシットを支持していた人たちが、まさか、タクシン派に寝返るつもり?と、支持するのをやめてしまったようです。
結果、獲得できた票は、前回の約3分の1で、獲得予想の議席が、前回の約半分という有り様です。
アピシットは、選挙の惨敗を受け止め、すぐに党首からの辞任を発表していますが、これから、誰が新しい党首になっても大変でしょうね。
たぶん、タクシン派の連立には、参加させてもらえないですし、反タクシン派の連立に参加すれば、選挙の時の公約と違うと批判が起きるでしょうね。
あれは、アピシットの個人の見解と逃げる可能性はあると思います。
今回の選挙でわかったのは、反軍政アピールは、票が集まるということと若い世代は捨てたモノではないということです。
新しい民主党は、若い党首を立てて、軍政でもなくタクシン派でもない真の民主主義は、自分たちだと主張すべきだと思いますね。
アピシットの甥っ子のParit Wacharasindhuが、ハンサムで清潔そうだから、適任かも。
タクシン派には、もと共産主義者や、左翼の学者などが多いですから、そことの差別化も大切だと思いますね。
社会主義的なバラマキは、国を滅ぼすと。必要なのは、教育と真の立憲君主制で、反王制は、危険だとの主張も大切だと思います。
ネットでの広報は、大切ですし、青年たちの支援団体作りも必要でしょうね。
新未来党から、タクシン派的な要素を抜いた政策は、きっと、これから支持者を増やしていけるのではないかと思います。
昨日も書きましたが、1997年に起きたアジア通貨危機で、タイは、大混乱でした。時の政権は、チャワリット政権で、タクシンも副首相でした。
ずっと1万円が2000バーツくらいだった為替が、あっという間に1万円4000バーツになりました。これから進出という日本企業や、タイで老後をと考える人たちにとっては、夢のようなレートでも、タイにとっては、大変だったわけです。
その尻ぬぐいをしたのが、民主党の第2次チュワン・リークパイ政権でした。
第1次チュワン政権は、有名な、スチンダ将軍たちによるクーデターと、その後の暗黒の5月と言われた混乱の後を受けて出来た政権でした。
第2次チュワン政権では、チャワリット前政権が、残していった問題を金融政策に精通したターリンを財務相に、後にWTO事務局長となるスパチャイを商務相にあて、解決に当たりました。
また、チュワンはタイでは異例であった文民が国防相を兼任し、軍備の近代化をはじめ、軍のリストラを推し進めました。
IMFの支援と助言のもと、減税、雇用創出、公共投資、中小企業支援等を内容とする経済政策を打ち出し、特に不良債権処理を促進するための政策を行った結果、かなり成果を挙げたけど、金融引き締め政策は国民には不人気でした。
そこに付け入ったのが、タクシンです。
景気が悪いのは、政府が無能だからで、自分が政権をとれば、景気をよくすると、今と同じような事言ったわけです。景気を悪くした原因を作ったのは、チャワリット政権など、前の政権だったのにね。
それで、チャーチャーイ政権やチャワリット政権の時の地盤を引き継ぎ、支持者の多い地区を中心にばらまき政策で、選挙に勝ちました。
タイを経済危機から救ったのは、自分だと。
外資もいっぱい入ってきて、タクシン派の金持ちたちと手を組みました。
タクシン派には元タイ国共産党員が多く、彼らが、田舎に作ってきたネットワークが支持者になり、反タクシン勢力となりうる軍や警察の最高ポストに親族を配置し、強引にマスコミを統制しました。
このような手法はタクシンがシンガポールの元首相リー・クワンユーのような親族を周辺に配置した開発独裁政治をまねしたからだと言われています。
タクシン派が嫌われているのには、理由があります。ここに書いたこと以外にもいっぱいあります。