戦前からタイで暮らす日本人はいたわけですが、戦後になって、日本の経済成長と伴に、日本人駐在員が激増してきました。
私の持っている資料では、昭和52年(1977年)の泰国日本人会のメンバーは、2371名でした。
1976年のバンコク日本人商工会議所の会員は、商事・貿易が95社で、現地製造が103社となっています。
当時から泰日協会学校(バンコク日本人学校)はあって、大正15年(1926年)創立の盤谷日本尋常小学校を前身とする、世界一歴史のある日本人学校なんだそうです。
法人や個人の寄付で成り立つ学校で、どうしても、駐在員の子供たちが通う学校というイメージがあります。
当時から、タイ人などと国際結婚をする女性が、日本人会の準会員として、100名弱いました。
戦前からタイで活躍する人たちや、駐在員をやめて個人で会社を興す人など個人でタイで暮らす人たちに対して、駐在員たちのなかには、見下す人たちもいて、昔から、いろいろなトラブルもあったとか。
駐在員たちは、バックが大きいですし、駐在の待遇も素晴らしかったので、高級なコンドミニアムに住み、専属の運転手やお手伝いさんを雇って、優雅に暮らしていたわけです。
それに対して、個人の人たちは、やはり、経済的には、ピンキリですし、ものすごいお金持ちもいたようですが、暮らしぶりは、地味な人たちが多かったようです。
で、飲み屋などで、豪遊をする駐在員たちに、そんな暮らしが出来るのも任期の間だけで、日本に帰ったら、満員電車で居眠りする普通のサラリーマンじゃないかといったりしたそうです。
確かに、多くの駐在員やその家族は、タイから去って行くときに、もう一度戻りたいと思うそうです。
個人で暮らしている人たちは、自分が望み、ビザなどが許せば、いつまでもタイにいられるわけです。
今のバンコクは、日本の地方都市と同じくらいの日本人が暮らしていますし、会社の数もものすごいそうです。
それに、国際結婚や海外で老後をとタイで暮らしはじめている日本人も多いそうです。
中には、日本から逃げてきている人たちや反社の人たちまでもいるそうです。
昔は、いろいろな不自由もあったけど、いろいろなところが緩かったタイでしたが、今は、すっかり近代化して、便利になった部分と不便になった部分とがあります。
でも、駐在員と現地採用との対立とか、駐在員たちの妻たちとタイ人の日本人妻たちとか、日本人同士の微妙な関係は、今でもあるようです。
自分は自分でいいのにね。