2020年5月11日月曜日

ありとキリギリス

「アリとキリギリス」は、イソップ寓話のひとつで知らない人はいないといっても過言ではないと思います。

英語ですと「The Ant and the Grasshopper」だそうです。ただ、もとになる話は、「アリとセミ」だという説もあるようです。

「セミ」は英語だと「cicada」ですが、アメリカでは「locust」で通じることのほうが多いようです。

実は「イナゴ」「バッタ」も同じ「locust」。

私は、ボブ・ディランのアルバム 「New Morning」にあった「Day of the Locusts」で覚えました。

地中海沿岸には多く見られるセミも、イギリスなど北ヨーロッパにはセミはほとんどいないので、キリギリスになったといった話もあるようです。

「アリとキリギリス」には二つのバージョンがあって、一つは、夏の間に歌ってばかりで、冬の来ることを忘れていたキリギリスが、アリに助けを求めたけど、アリは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と拒否されて死んでしまったという流れ。

もう一つは、ちょっと宗教的というか、アリは食べ物を恵み、「私は、夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリです。あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのですよ」とキリギリスに告げ、それを機にキリギリスは心を入れ替えて働くようになる流れ。

キリスト教には、放蕩息子(the Prodigal Son)の話があって、親の財産をもらった兄弟の話で、弟は、財産をもらったので、旅に出て放蕩の限りを尽くして気が付いたら一文無しになったが、兄は父からは土地だけしかもらわず、その土地を一生懸命に耕して、家族を養ってきたのです。

放蕩息子は、もう死ぬか実家に帰るしかないと、なんとか実家に戻ったところ、父親は、出来る限りのもてなしをして弟を迎えたので、兄は、父親に不満をぶつけ、放蕩のかぎりを尽くして財産を無駄にした弟を軽蔑した。

しかし、父親は兄をたしなめて言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」

この物語を知ったのは、ローリングストーンズの「Prodigal Son」を聴いたからです。


で、中国武漢から世界に広がっている新型コロナウィルスですが、健康問題だけでなく、経済問題も大きな問題となってきています。

いろいろな規制はいいけど、規制をするのなら補助もすべきだという意見が多いわけですが、いい時は、すべて自分のもので、贅沢三昧をしてきた人たちが、困った時だけ、政府や国民に頼るのはいかがなモノかという意見ですね。

こんな状態が続いたら、毎月数百万の赤字でつぶれてしまうという人もいるわけですが、景気のいい時に、しっかり、不景気になった時のための備えはしておくべきでしょう。

でも、最低限の保証はあった方がいいわけです。

「アリとキリギリス」の教訓は、古今東西普遍だと思います。