英語ですと「The Ant and the Grasshopper」だそうです。ただ、もとになる話は、「アリとセミ」だという説もあるようです。
「セミ」は英語だと「cicada」ですが、アメリカでは「locust」で通じることのほうが多いようです。
実は「イナゴ」「バッタ」も同じ「locust」。
私は、ボブ・ディランのアルバム 「New Morning」にあった「Day of the Locusts」で覚えました。
地中海沿岸には多く見られるセミも、イギリスなど北ヨーロッパにはセミはほとんどいないので、キリギリスになったといった話もあるようです。
「アリとキリギリス」には二つのバージョンがあって、一つは、夏の間に歌ってばかりで、冬の来ることを忘れていたキリギリスが、アリに助けを求めたけど、アリは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と拒否されて死んでしまったという流れ。
もう一つは、ちょっと宗教的というか、アリは食べ物を恵み、「私は、夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリです。あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのですよ」とキリギリスに告げ、それを機にキリギリスは心を入れ替えて働くようになる流れ。
キリスト教には、放蕩息子(the Prodigal Son)の話があって、親の財産をもらった兄弟の話で、弟は、財産をもらったので、旅に出て放蕩の限りを尽くして気が付いたら一文無しになったが、兄は父からは土地だけしかもらわず、その土地を一生懸命に耕して、家族を養ってきたのです。
放蕩息子は、もう死ぬか実家に帰るしかないと、なんとか実家に戻ったところ、父親は、出来る限りのもてなしをして弟を迎えたので、兄は、父親に不満をぶつけ、放蕩のかぎりを尽くして財産を無駄にした弟を軽蔑した。
しかし、父親は兄をたしなめて言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」
この物語を知ったのは、ローリングストーンズの「Prodigal Son」を聴いたからです。
で、中国武漢から世界に広がっている新型コロナウィルスですが、健康問題だけでなく、経済問題も大きな問題となってきています。
いろいろな規制はいいけど、規制をするのなら補助もすべきだという意見が多いわけですが、いい時は、すべて自分のもので、贅沢三昧をしてきた人たちが、困った時だけ、政府や国民に頼るのはいかがなモノかという意見ですね。
こんな状態が続いたら、毎月数百万の赤字でつぶれてしまうという人もいるわけですが、景気のいい時に、しっかり、不景気になった時のための備えはしておくべきでしょう。
でも、最低限の保証はあった方がいいわけです。
「アリとキリギリス」の教訓は、古今東西普遍だと思います。