私の青春時代、マクルーハン教授のメディア論が話題になったことがありました。といっても、一般的ではなくて、一部のモノ好きな人にという感じでしたけどね。
私は、「人間拡張の原理――メディアの理解」「グーテンベルクの銀河系――活字人間の形成」「機械の花嫁」を買って、読んでみましたが、はっきり言って、あんまり理解できませんでした。
彼の考えでは、メディアには、熱い(hot)メディアと冷たい(cool)メディアがあるという考え方で、当時は、面白いと思いました。
熱い(hot)メディアとしては、ラジオ、写真、映画、演劇、書き言葉、書物などをあげていて、冷たい(cool)メディアには、電話、テレビ、漫画、話し言葉、対談などをあげていました。
なんかちょっと違うかもと思ったけど、でも、そういった分類をすることは面白かったです。
当時、「想像力が世界を変える」とか、「書き言葉から話し言葉へ」とか、そういった考え方もありました。
確か、ラジオがホットなメディアという話で、アメリカのラジオ局がH・G・ウェルズの小説「宇宙戦争」を脚色したラジオドラマを、オーソン・ウェルズの朗読で放送し、それを聞いた人たちが、パニックを起こしたという話がありました。
でも最近では、この話は否定されていて、実際にはほとんどパニックなど起きていなかったとのことです。
でも、ホットなメディアであるラジオは、聴く者の想像力を高め、時には大きな行動力を生むということもあるという話でした。
映画も、作り手側の狙い通りに、映画館という特殊な空間での演出効果もあり、臨場感も高くて、フィクションと知りながらも興奮してしまうというわけです。
電話なんかは、冷静にいられず、騙されてしまう人も多いから、ホットメディアではないかと思います。
テレビなどですと、与えられる情報も多く、もっと冷静に見るので、話がおかしいとか、事実ではないとか、冷静な判断ができるというわけです。
でも、そんなはっきりと白黒つけられないような気がします。
どちらにも、熱くならせる要素も冷静にならせる要素もあるように思いますね。
そこで、ネットの話ですが、ネットの情報も玉石混淆で、有益な情報もあれば、フェイクでくだらない情報もあります。
天気図なんかを見るときに、ある程度の基礎知識があれば、例えば、台風の進路予想とかもある程度は理解できたりもします。
自分の持っている知識で、テレビでもラジオでも新聞でもネットでも、おかしいと感じるものはあるものです。
一つだけ言えるのは、与えられる情報か、自分から探しに行く情報かの違いはありますね。
与えられる情報だと、例えネットでもつい疑うことを忘れてしまって、流れてくる情報が正しいと思い込んでしまします。
ツイッターなどでも、検索ワードと同じように自分のよく見る人たちの情報が多くなってきます。
実際には、テレビから流れてくる情報は、その情報を流そうとする人がカメラマンやMCなどを使って、見るものに語り掛けてくるわけですが、見るものは、その情報のことしかとらえていません。
自分から探しに行く情報だと、いろいろなところに探しに行くわけで、いろいろな情報の中から、自分が正しいだろうと思う情報を探し当てます。
もちろん、ネットに転がっている情報が正しいという保証はありません。
あと、タイムラグの問題もありますね。フットワークのいいメディアかどうかは重要で、時間がたってしまった情報は賞味期限切れです。
ネットでもツイッターなどの情報には、新鮮な情報も流れてきます。
テレビニュースやラジオニュースよりも早いこともしばしばですし、新聞などは、災害時には保温と火種以外にはあんまり役に立たないです。
ですから、自分たちが、どんなメディアによって情報を得ているのかは、緊急時には、大きな違いを生んでしまいます。
例えば、被災地での給水や生活物資がどこで配られているかなどの情報は、ネット以外ですと、どうしても遅れてしまいがちです。
ネットを使っていない世代や、世帯には、ネットの新鮮な情報を伝える手段が必要ですよね。
昭和30年ごろにあった有線放送電話の復活も考えたほうがいいかもね。
被災者の人たちに必要な水や食べ物や物資が一刻も早く届けられますように!