2022年11月28日月曜日

広場の話

NHK『声は届くのか〜秘蔵フィルムが映し出す1969新宿西口地下広場〜』(c)NHK

学生運動が盛んだったころ、新宿西口に集まって反戦のフォークソングを歌う人たちと、それを聞く人たちが話題になったときがありました。

今も左翼で頑張っているおじいさんやおばあさんたちが若かった時代のころの話ですが、当時も、アメリカで流行っている反戦運動や若者たちのファッションや新しい文化は日本でも流行ったわけです。

ジョーン・バエズボブ・ディランPPMなどの歌を日本語訳して歌っていた人たちがいました。

でも、全体として、日本でやるのはスケールが小さいと思います。

だって、アメリカの若者たちは、実際に戦場に行ってベトコンと戦って死ぬ可能性があるわけで、日本の若者が戦場に連れていかれることはないですからね。

ヒッピーにしても、日本の場合には、まじめな学生たちのファッションという感じでしたしね。

私は、地方都市の生まれ育ちで、新宿西口のフォークゲリラたちを自分の目で見たことはないですが、ちょうど1969年の8月に東京に遊びに行ったときに、6月の終わりに逮捕者が出て集会も終わった約一か月後の「兵どもの夢のあと」新宿西口広場を通ったことだけはありました。

当時は、「広場」という言葉が深夜ラジオや雑誌などで流行っていたことを思い出しました。

イギリスのロンドンにあるハイドパークでは、自分で人々に意見を述べる場があると聞いていましたから、公園でやればよかったのにとか思いました。

今でも街角でギター片手に歌っている若者はいますが、人々の通行を妨げるのはダメですね。

自分たちが人を集めたわけではないといっている人もいましたが、まあ、説得力はないです。

この映像に出てきた機動隊は、あまり強そうではなかったけど、私が、実際にデモの時に見た機動隊員や放水車は、でかくて威圧感がすごかったです。

このフォーク集会から、中津川のフォークフェスティバルとか、つま恋とか、合歓の郷とかへと変わっていって、反戦からお金儲けのメジャーになっていきました。