NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』の平均視聴率が、一桁と低迷していて、もしかしたら、早めに打ちきりかといった声さえもあるとかないとか。
オリンピックで金メダルを取ったとか、主人公からオーラが出ているような物語だったらいいのですが、話が、地味ですし、主人公も貧乏くさいです。
それと、進行役を務めるビートたけしの滑舌が悪く、時々聞き取れないですし、脚本や演出が、君たち落語を知ってるかいみたいな上から目線を感じてしまいます。
落語や吉原などが、これから、どのように楽しませてくれるのかわからないですが、今のところ、少しも楽しませてもらっていないから、視聴率が低迷しているのかもね。
日本がはじめて参加したオリンピックなんですから、それはそれは、すごい話なんだけど、お金がなくて、選手も2人だけだし、カナクリ選手は、自腹で旅費を出したとか。
初めての異国で、ちょうど白夜の季節ですから、夜も明るく、体調もおかしくなって当然でしょうし、水も食事も、身体に合わなかったでしょうし、今の海外旅行とは違って、本当に苦労ばかりだったのではないかと想像します。
日本の冬は、北欧では、昼間が短くて、夜が長いわけですが、電気があれば、夜も明るく出来ます。
それに対し、夜も明るいと、それを暗くするには、カーテン以外にはなく、部屋を暗くする電球はないです。
ドイツとか北欧の夏は、草原がいいです。短い夏に、草木も必死で緑の葉をつけます。空気が乾燥しているから、気持ちがいいです。
草原には、金髪美人が似合います。
「いだてん」も視聴率を上げるために、もっともっと北欧美人を出せばいいのにと思います。
昭和の時代には、スウェーデンといえば、北欧美人に加えて、フリーセックスとかポルノとか、まあ、刺激的な国だといわれていました。
実際に行けば、ポルノショップがあるくらいで、別に、誰彼かまわずセックスさせてくれるわけもなく、ごく普通の国なわけです。
でも、社会保障は昔から整っているし、女性の社会進出も進んでいるし、日本と比べたら、進んでいるし、女性も行動的ですし、自分の意思をはっきりと持っているわけです。
今の日本の女性の方が、ずっとフリーセックスだと思いますけどね。たぶん、世界中の多くの男性がそう思っていると思います。
ドイツにしてもイギリスにしても北欧にしても、ゲルマン系の国々は、食事が、あんまり美味しくないです。フランスとかイタリアとかスペインなどラテン系の国々が、料理は美味しいです。
ひとつには、食材の豊富さもあるでしょうね。寒い地方は、やはり、食材が乏しいです。
あんな食事で、あれだけのりっぱなカラダを維持できているのが不思議なくらいです。
物語の中にも出てきましたが、便器の高さが、日本人には高すぎます。おしっこ用の便器など、まさに背伸びをしないと、何が、便器に届きません。
洋式の便器に座れば、足が宙ぶらりんで、床に届かないわけです。
公園のベンチも同じで、彼らは、手足が長いですから、膝の上に肘を置いて新聞を普通に前向きで読めますが、私なんかですと、どうしても、新聞が垂直ではなくて、水平に近くなってしまって、前のめりの姿勢で読むことになり、滑稽です。
来週は、そろそろ、あのマラソンの途中で、カナクリ選手が、行方不明になってしまう話題になるのではないかと思います。
そのあたりで、少し脚色して、北欧美女との恋バナでもでてくれば、視聴率も上がるかも。
今まで生きてきた中の体験や考えたことなどを綴ります。 あくまでも個人の見解です。 北風剛としての東南アジアの民話も少々。 英語やタイ語の翻訳はいい加減なのであしからず。 このサイトには広告が表示されます。
2019年3月11日月曜日
2019年1月20日日曜日
ストックホルムでの話 その2
1960年代から70年代にかけては、欧米への放浪の旅が若者たちに人気で、多くの若者たちが、冒険旅行に出かけた時代でした。
私の出発時には、すでにドルも安くなっていて、1ドルが240円くらいだったと記憶しますが、60年代には、1ドルは360円の時代で、海外の情報も少なく、みんな苦労されたようです。
私の出発時には、五木寛之さんの「青年は荒野をめざす」や小田実さんの「なんでも見てやろう」本も出ていたし、他にも、いろいろな本が出ていました。
60年代には、南回りの船でフランス・マルセイユまで行くルートと、シベリヤ経由の北回りがありましたが、わたしの行った70年代には、シベリア経由が、主流でした。
70年代のヘルシンキやストックホルムやコペンハーゲンには、すでに、日本人が、たくさん暮らしていました。もちろん、パリやロンドンに比べたら少ないですけどね。
変わった人たちも多かったし、親切な人たちが多かったです。
ストックホルムと言えば、船のユースホステル・アウフ・チャップマンが有名でしたが、私は、泊まったことはないです。
当時は、いろいろな都市伝説的な武勇伝もたくさんあって、アウフ・チャップマンに泊まっていた日本人が、近くで白鳥を捕まえて丸焼きにして食べたので、日本人は、評判がよくないという話を聞いていました。
当時の若者は、ユースホステルを泊まり歩くのが一般的でした。一部屋に2段ベッドが4つから10くらいあるのが一般的で、トイレもシャワーももちろん共同でした。
私は、運良く照幸さんの部屋に居候できたので、泊まるところの心配も無いし、いろいろな情報も得ることが出来ました。
当時の日本の若者は、北欧と言えば、フリーセックスの国と雑誌やテレビで伝え聞いていたこともあって、若者が集まる場所に行くわけです。
当時から、すでにストックホルムには、多くのアラブ系の労働者たちも滞在していて、当時流行っていたディスコに行けば、彼らがいっぱいでした。
彼らは、男性ホルモンいっぱいで、あそこもでかいそうで、けっこうもてていましたが、日本人は、身体も小さい人が多いですし、童顔ですし、積極性に欠けるし、言葉も出来ない人が多いから、もてなかったです。
照幸さんたちの時代には、旧市街ガムラスタンにあった伝説のディスコ・ボバディラが有名だったそうですが、そこも、なんでも日本人が大喧嘩をして、出入り禁止になってしまったとかで、私が滞在していたときには、キャットバルーが人気でした。
昼間は、ノーベル賞で有名なコンサートホール前にたむろする若者たちが多かったです。
当時から北欧は物価が高かったのですが、日本でたばこ1箱100円だった時代に、たばこが1箱約6~700円もしました。
ですから、日本の貧乏旅行者たちは、当時ストックホルムで流行っていたプリンスというたばこを一度吸って、火を消して、しまっておいて、またもう一度吸うといった情けないことをしていました。
たばこといえば、私が、居候をしていたときに、照幸さんが、ずた袋いっぱいに入った葉巻やシガリロを持って帰ってきました。
誰かからもらったのか、売ってくれと頼まれたのか、事情はわからないですが、私も、少しお裾分けを頂き、しばらくは、シガーやシガリロを経験しました。
はっきり言って、臭いし、なれていないからまずいし、好きにはなれませんでした。そんなにいいモノではなかったようですし、湿気の管理などもされていなかったのでしょう。
あとで知ったダビドフのシガリロなんかは、美味しいと思いますが、今は、たばこもシガリロもシガーもたしなみません。
あと、サムソンという、刻みたばこを、自分で紙で巻いてから吸うのも流行っていて、それ専用の巻くための器具もありましたし、パイプで吸う人もいました。
器具を使わず、自分の指だけで巻くのがかっこいいと、一生懸命に練習したモノでした。
私は、お酒は好きではないから関係なかったけど、お酒の好きな人たちは、お酒も高いから、400メートルダッシュをしてから缶ビールを呑むとか、飲んだあと逆立ちをするとか、バカバカしい苦労をしていたようです。
ストックホルムは、清潔で近代的な街でしたが、どこか、冷たい風が吹き抜ける印象でした。
北欧の中でも、スウェーデンの女性たちには、ハリウッドもびっくりクラスの美女も多かったです。
あと、昼間の公園で、老夫婦たちが、何もしないで、ベンチに座って日向ぼっこをする姿を見ました。世代間にも、冷たい風が吹いている感じを受けました。
私の出発時には、すでにドルも安くなっていて、1ドルが240円くらいだったと記憶しますが、60年代には、1ドルは360円の時代で、海外の情報も少なく、みんな苦労されたようです。
私の出発時には、五木寛之さんの「青年は荒野をめざす」や小田実さんの「なんでも見てやろう」本も出ていたし、他にも、いろいろな本が出ていました。
60年代には、南回りの船でフランス・マルセイユまで行くルートと、シベリヤ経由の北回りがありましたが、わたしの行った70年代には、シベリア経由が、主流でした。
70年代のヘルシンキやストックホルムやコペンハーゲンには、すでに、日本人が、たくさん暮らしていました。もちろん、パリやロンドンに比べたら少ないですけどね。
変わった人たちも多かったし、親切な人たちが多かったです。
ストックホルムと言えば、船のユースホステル・アウフ・チャップマンが有名でしたが、私は、泊まったことはないです。
当時は、いろいろな都市伝説的な武勇伝もたくさんあって、アウフ・チャップマンに泊まっていた日本人が、近くで白鳥を捕まえて丸焼きにして食べたので、日本人は、評判がよくないという話を聞いていました。
当時の若者は、ユースホステルを泊まり歩くのが一般的でした。一部屋に2段ベッドが4つから10くらいあるのが一般的で、トイレもシャワーももちろん共同でした。
私は、運良く照幸さんの部屋に居候できたので、泊まるところの心配も無いし、いろいろな情報も得ることが出来ました。
当時の日本の若者は、北欧と言えば、フリーセックスの国と雑誌やテレビで伝え聞いていたこともあって、若者が集まる場所に行くわけです。
当時から、すでにストックホルムには、多くのアラブ系の労働者たちも滞在していて、当時流行っていたディスコに行けば、彼らがいっぱいでした。
彼らは、男性ホルモンいっぱいで、あそこもでかいそうで、けっこうもてていましたが、日本人は、身体も小さい人が多いですし、童顔ですし、積極性に欠けるし、言葉も出来ない人が多いから、もてなかったです。
照幸さんたちの時代には、旧市街ガムラスタンにあった伝説のディスコ・ボバディラが有名だったそうですが、そこも、なんでも日本人が大喧嘩をして、出入り禁止になってしまったとかで、私が滞在していたときには、キャットバルーが人気でした。
当時から北欧は物価が高かったのですが、日本でたばこ1箱100円だった時代に、たばこが1箱約6~700円もしました。
ですから、日本の貧乏旅行者たちは、当時ストックホルムで流行っていたプリンスというたばこを一度吸って、火を消して、しまっておいて、またもう一度吸うといった情けないことをしていました。
たばこといえば、私が、居候をしていたときに、照幸さんが、ずた袋いっぱいに入った葉巻やシガリロを持って帰ってきました。
誰かからもらったのか、売ってくれと頼まれたのか、事情はわからないですが、私も、少しお裾分けを頂き、しばらくは、シガーやシガリロを経験しました。
はっきり言って、臭いし、なれていないからまずいし、好きにはなれませんでした。そんなにいいモノではなかったようですし、湿気の管理などもされていなかったのでしょう。
あとで知ったダビドフのシガリロなんかは、美味しいと思いますが、今は、たばこもシガリロもシガーもたしなみません。
あと、サムソンという、刻みたばこを、自分で紙で巻いてから吸うのも流行っていて、それ専用の巻くための器具もありましたし、パイプで吸う人もいました。
器具を使わず、自分の指だけで巻くのがかっこいいと、一生懸命に練習したモノでした。
私は、お酒は好きではないから関係なかったけど、お酒の好きな人たちは、お酒も高いから、400メートルダッシュをしてから缶ビールを呑むとか、飲んだあと逆立ちをするとか、バカバカしい苦労をしていたようです。
ストックホルムは、清潔で近代的な街でしたが、どこか、冷たい風が吹き抜ける印象でした。
北欧の中でも、スウェーデンの女性たちには、ハリウッドもびっくりクラスの美女も多かったです。
あと、昼間の公園で、老夫婦たちが、何もしないで、ベンチに座って日向ぼっこをする姿を見ました。世代間にも、冷たい風が吹いている感じを受けました。
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