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2019年3月27日水曜日

みずきっちん MIZU's Kitchenの話

古い時代のバンコクを知っている人なら、誰でも行ったことがなくても、話には聞いているだろう有名な洋食のお店MIZU's Kitchenが、ついに閉まってしまったそうです。

水谷さんという方が作ったお店だから、MIZU's Kitchenなんだそうですが、鉞(まさかり)さんが、カウンターに座って切り盛りしていました。

黒縁眼鏡の奥の目が優しかったことを思い出します。

バンコクで最初に鉄板で出されるサバステーキを出したお店です。

分厚いサリカビーフステーキも有名でしたし、豚肉にチーズを挟んでパン粉をつけて揚げたゴードンブルーも有名でした。

オックステールスープも美味しかった。

MIZU's Kitchenの裏通りにあった駐車場に車を止めて、裏通り側から、床が油でドロドロのキッチンを通って、店に入ると、独特の匂いがしました。

パッポンやタニヤのオネエサンたちとの待ちあわせや、お店が終わったあとの夜食とか、いろいろな人たちが利用していたようです。

有名な人も無名の人も、MIZU's Kitchenの思い出を懐かしがっているんだろうな。

大阪城や炉端焼きの店がなくなっても、MIZU's Kitchenは、不滅だったのになあ。

バンコクもどんどん変わっていて、昔の思い出は、写真と記憶の中です。


2018年6月11日月曜日

夜のバンコク

引きこもりですから、外に出る事が極端に少なく、特に暗くなってからの外出は、多くて、月に数回です。

先週、歯医者に行った帰りに、少し歓楽街を歩いてみました。

毎日のように、出歩いていた時期もあったので、懐かしいかったけど、でも、いろいろと変わっていました。

こちらは、日本人観光客なら一度は行った事があるタイシルクのジム・トンプソン。今でも人気があるのかな?

ジムトンプソンより、キルトバッグのNarayaが人気だった頃もありました。


ラマ4世通りからスリウォンに入ったところにジム・トンプソンの店はありますが、その隣のソイを入っていくと、昔懐かしい、クラブ愛とかJujuとかが、健在でした。

日本人用のクラブや日本食レストランの店が多いタニヤ通りは、そのすぐお隣です。

昔は、ほとんどいなかった呼び込みが目立ちましたし、通りにでて座っているドレス姿のお姫様たちも目立ちました。タニヤを歩いていると、まだ声をかけられる事もあります。

 タニヤから南に歩いて行くと、100メートルくらいで世界的に有名なパッポン通りにたどり着きますが、歩道には屋台の売店が並んでいます。

上の写真の売店には、タイでは禁制品のはずのローターやバイブやオナホールが売られていました。

 こちらは、パッポン2といわれるパッポンの1本手前(タニヤから歩いて)にある店で、むかしは、このあたりにソープもありました。

もう少し行くと24時間営業のスーパーマーケット、フードランドがあります。

 こちらは、パッポンのお店ですが、確か昔は、この辺りに、Super Starというディスコもあったような記憶があります。

 パッポンで昔から営業しているミズキッチン。昔は、いろいろな人たちがたむろしていました。

タニヤのオネエサンと閉店後に夜食といった感じでした。もっと昔には、向かい側あたりに、大阪城という店があった。

 再びスリウォンに出て、ラマ4に向かうと、昔からあるピンクパンサー。ベトナム戦争当時からあるわけで、すごいと思います。

今は、タイ式ボクシングなどをこの店ではやっているようですが、昔から、パッポンのA Go Goといわれるカウンターバーでは、カウンターの上で水着のおねえさんたちが踊っていました。

パッポンの2階には、ボッタクリバーもあって、日本人で引っかかった事のある人もいると思います。

2階には、白黒ショーと呼ばれるセクシーショーもあって、人気でした。

今回パッポンを歩いて感じたのは、昔と違って、「シャチョー シャチョー」と呼びかけてくる呼び込みがいなかった事です。

日本人の経済力が落ちてしまったのか、日本人がスケベエでなくなってしまったのかわかりませんが、とにかく、もはやタイでは、中国人が、最高の観光客のようです。

観光客の数では、韓国人にも抜かれています。

いや、それとも、このわたしが、ただ単に、お金もなさそうだったからかも。

こちらは、ピンクパンサーの道路をへだてた向かい側あたりにある、男好きの人たちには有名なトワイライト通り。

ビキニパンツ一つでカウンターの上で踊っている男の子たちに会えます。

 ラマ4世とシーロムの交差点にあるデュシタニホテルも、今年で取り壊される計画があるそうです。

昔は、タニヤのオネエサンたちたちとの待ちあわせに、コーヒーショップをよく使ったものでした。