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2019年4月18日木曜日

パリの話

パリに行ったのは、1973年8月と10月のことでしたが、どちらもスイスのチューリッヒから鉄道で行きました。

当時は、TGVがなかったので、パリ到着は、リオン駅ではなくて、東駅だったと思います。

地図を片手に、移動したのですが、とにかく驚いたのは、石畳の道にころがっていた多くの犬の糞でした。あれはひどかった。ちょっとオーバーですが、踏まないように歩くのが大変でした。

それと、道路脇に止められた車の汚いことと、車体が凸凹だったこと。

見ていると、駐車している車が出ていくときに、前後の車と衝突しながら、車間距離を空けて、でていくんですから、そりゃあ凹みますよね。

車で印象深かったのは、やっぱりシトロエン・DSシリーズでした。流線型のスタイルが、独特でしたし、スイスで、乗せてもらったことがありましたが、エンジンをかけると油圧で車体が浮き上がり、揺れが、なんか、フワフワして、車酔いしやすい人には不向きな感じでした。

駐車してエンジンを切ると、車体が沈みます。

他には、やはりシトロエンですが、2CVでした、2CVはフランス語で「2馬力」を意味する deux chevauxの略語だそうで、とにかく、ドイツのフォルクスワーゲンをもっと安っぽくした感じの車で、フロントサイドウインドウが、上下に折りたたみ式でした。

記憶が定かではないですが、下半分を上に持ち上げ留め具でとめるような感じだったと思います。

あと、パリの街を歩いていて驚いたのが、皮を剥がれたウサギがぶら下がっていたり、牛の頭がウィンドウにあったり、気の小さなわたし的には、どっきりしました。

狩猟民族は、農耕民族とは違うんだなあと痛感しました。


2019年3月7日木曜日

パリの写真

白黒フィルムで保管してあったモノです。撮影したカメラは、ハーフサイズカメラのオリンパスペンSでした。

フィルムをスキャンしているので、もしかすると、左右が反対になっているモノもあるかも。


















2019年3月6日水曜日

ブラタモリ パリ編

ブラタモリの海外編で、ローマとパリをやりましたが、イタリアには行ったことがなく、あんまり感激しませんでしたが、パリは、実際に行ったことがあるから、いろいろな場所に感激でした。

パリは、2度行っています。2度といっても、ほとんど同じ頃で、73年の8月にいった時は、パリに来ていたおじさんに会うために、スイスから出かけて行った2日間だけと10月に日本を出た時に一緒だった人たちとの約束で、パリで凱旋門レースの競馬を見ようと、10月6日に待ち合わせた時です。

10月は、2日から9日までの滞在で、パリのいろいろなところに行きました。

泊まったのは、セーヌ川の左岸、学生街カルチェラタンにある星なしの宿で、カフェオレとクロワッサンの朝食が付いて11フランでした。

セーヌの右岸に行く時には、ノートルダムの所の橋を渡って、オペラ座とかルーブル美術館方面に歩きました。

小さな方のカルーゼル凱旋門付近は、おじさんがパリに滞在していた時に泊まっていたホテルの近くでしたので、ホテルを探して歩いたところです。

8 rue cambon paris MADELEINE PALACEのメモだけが便りでした。

絨毯が敷き詰められた部屋の床で寝させてもらいましたが、生まれて初めて、トイレでビデを見ました。

おじさんに連れられてもペラ座近くにあった三越?と、その近くにあった日本食レストランに行きました。

エトワール凱旋門とかシャンゼリゼとかモンマルトル、すべて歩きました。

ベルサイユ宮殿は、郊外電車に乗って行って、一日ブラブラしました。

ロンシャン競馬場も行き、凱旋門レースを見ました。

ですから、ブラタモリでタモリさんたちが行ったところのほとんどに行っています。地下には行っていませんけどね。

パリの写真は、少し残っています。

わたしが行った頃でも、観光客はいたと思うけど、でも、絶対的に数が少なかったと思うし、地図を見ながらメトロを上手に使って、あとは歩きで、楽しく回ることが出来ました。

今は、どこもすごい観光客で、スリとかひったくりも多いそうですし、いい時に行くことが出来たと思っています。

ブラタモリで案内役をした森田けいこさんがクールで素敵でしたし、声もよかったです。

タモリさんも言っていましたが、モンマルトルの丘のまわりが、魅力的でした。






2017年9月30日土曜日

1973年10月のパリ

1973年3月3日に横浜からソ連の客船ジェルジンスキー号に乗ってナホトカに向かった日本人たちの中で、親しくなった人たちと、まだヨーロッパに滞在していたら、半年後の10発6日にパリで再会しようと話あいました。

インツールストの旅程は、ヘルシンキ駅までで、そこからは、各自自由行動でした。

鉄道、フェリー、飛行機、ヒッチなど、いろいろな方法で、ヘルシンキを去って行きました。

わたしは、ヘルシンキのあとは、ストックホルムに2ヶ月くらい滞在し、その後、ドイツを旅行し、スイスに3ヶ月間滞在し、10月にパリに入りました。

パリは、わたしのスイス滞在中に伯父がパリに滞在していると知って、訪ねていったことがあり、10月に行ったときには2度目でした。

伯父さんは、画家だったので、パリに滞在して、デッサンとか写真を撮ったりの滞在でした。手紙にあった住所 Hotel Madeleine Palace、8 Rue Cambon, 75001 Parisの住所だけで、スイスのチューリッヒから列車でパリまで行って、そのあとどうやって行ったのか記憶にないけど、間違いなく、ホテルを見つけて、部屋に泊めてもらい、夕食をご馳走してもらいました。

ホテルは、古い建物で、なかなかいい感じでした。生まれて初めて、便器の横にあるビデを見ました。バスタブも、かっこよかったです。近くには、小さな凱旋門がありました。オペラ座近くの三越と、その近くの日本レストランに連れて行ってもらいました。

フランス語なんか出来ないのに、若いってのは、怖い物知らずです。

そして、10月に2度目のパリに行ったのですが、カルチェラタンに星なしの安宿を探し、そこに滞在しながら、パリをメトロと徒歩で、歩き回りました。

そして、約束の10月6日には、パリ郊外にあるロンシャン競馬場に行くことが出来ました。


わたしは、カメラマンで、写真には写っていません。ロンシャン競馬場にて




こちらは、誰かに撮ってもらった写真で、場所はたぶんシャンゼリゼのカフェだと思います。
わたしは、左から4人目。名前を思い出せない人もいます。





パリは、郊外のベルサイユ宮殿を含め、多くの見所があって、とても素敵でした。ルーブルも、本当に素晴らしかったです。

当時は、治安もよく、危険な思いをしたこともなかったです。

パリ観光のあとは、パリで落ち合った仲間のうちの数人と列車でロンドンに向かいました。

。。。。。。。。。。。

今日(10月1日)に昔のパスポートを見ていて、フランスのスタンプを発見しました。

記憶では、はじめてチューリッヒから列車でパリに行ったときには、イミグレーションチェックはありませんでした。

ところが、2度目に同じルートで行ったときには、サン・ルイ駅にて、別室に連行されて、荷物検査を受けました。

思い出してみれば、最初に行ったときには、短期間でスイスに戻る予定でショルダーだけでしたが2度目に行ったときには、スイスには戻らず、パリのあとにはロンドンに行くつもりで、すべての荷物を入れたカニ族の登山用リュックを背負っていたので、たぶん、引っかかったのだと思います。

3年間の滞在で、荷物検査は、あの時だけでした。イミグレーションでいろいろと聞かれることは一度もありませんでした。











スイスにオノ・ヨーコさんの2枚組アルバム「Approximately Infinite Universe」を忘れてきたのが、ものすごく残念です。