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2023年7月3日月曜日

ロンドンの語学学校で得たもの

 70年代ロンドンの語学学校に通った時に、同じクラスには20名弱の外国人たちがいました。

日本人は私ともう一人、あとはトルコ人、アルジェリア人、フランス人、スペイン人、ドイツ人などでしたが、英語以外にいろいろと勉強になりました。

まず、フランス人の中年のおばさんがいて、この人が、いろいろな場面でイギリスを批判しておもしろかったです。

私は、恥ずかしながら、それまで、イギリス国教会の成り立ちとかヘンリー8世についてほとんど知りませんでした。

ヘンリー8世は、中学時代に聞いたハーマンズハーミッツの曲で聞いたことはありましたし、曲の内容も何度も結婚と離婚を繰り返す男の話だったと記憶します。

フランス人はHの発音を省くようなので、ヘンリーはアンリーになります。このフランス人のおばさんの英語が、一事が万事フランス語なまりで面白かったし、イギリス国教会は、カトリックが離婚を許さないから国王アンリー8世が、勝手にイギリス国教会を作ったとか、教えてくれました。

当時のロンドンは、アイルランド共和軍(IRA)による爆破事件がしばしば起きていましたが、その背景にも、カトリックとイギリス国教会との対立があるとか、面白い話を教えてくれました。

でも、実はイギリス人の旦那さんと暮らしているそうで、家庭内にも英仏の対立があるのかとか想像しちゃいました。

そんなフランス人のおばちゃんに対して、アルジェリアからきているというアインシュタイン風の髪形の青年は、フランスが大嫌いだそうで、フランスには長年苦しめられてきたので、アルジェリア人の多くがフランス人を嫌っているし、フランス人と同じようにフランス語を話すので、何か悪いことをしたときには、自分はフランス人だと言っているとのことでした。

何か、どこかで聞いたことのある話ですが、やはり、植民地問題は、なかなか解決がむつかしいわけです。

現在もフランスでは、警察官に反抗したアルジェリア系の青年が射殺されたことで、激しい暴動が続いているそうで、背景には、フランス人や白人に対するアラブ系の移民たちの反感があるのでしょうね。

ここだけの話、白人たちは、世界中でとんでもないことをしてきていますから、恨まれて当然ともいえます。もちろん、テロや暴動は、無関係の人たちをも巻き込みますからダメだと思いますが…

イギリスもオランダもスペインもフランスも、アジアや南米で、どれだけ虐殺したり、奴隷を虐待してきたことか。

日本人も、戦国時代の宣教師たちに騙されて、海外に奴隷として売春婦として売られていったことか。

イギリスなんか、インドでインド人を使いインドでタダ同然にケシを栽培し、作ったアヘンを中国で売って大もうけして、中国人をアヘン中毒にしたわけで、とんでもない犯罪者集団です。

日本への原爆投下をしたアメリカもまた悪魔のような人たちです。

まあ、いろいろな考え方見方がありますし、白人にもいい人たちもいますが、悪魔以下の人たちもいたことを忘れてはいけないと思います。


2017年10月14日土曜日

フランスからイギリスへ

1973年の10月、パリから列車でイギリスに向かいましたが、フランスのカレーからイギリスのドーバーまでは、車両がフェリーに乗せられていきました。

ドーバーに到着したら、イミグレの職員にパスポートを見せ、ビザのスタンプをもらうのですが、私の場合には、運が悪く、3ヶ月の滞在許可でした。一緒に行った友人は、運良く6ヶ月間の滞在許可をもらったというのに。


こちらが、10月9日付のイギリスへの入国スタンプ





こちらが、滞在許可で3ヶ月と書き込まれました。ちなみに観光ビザです。






とにかく無事にイギリスに入国後、列車は、ロンドンに向かいました。

ロンドンでは、一緒に行った友人の知り合いの下宿にお世話になりました。そこで、お世話になりながら、自分の下宿と英語の学校を探しました。探すといっても、友人の友人とか、とにかく、知り合いのツテでしたけどね。

わたしは、子供の頃から鶏肉が苦手で、今でも、ほとんど食べないのですが、居候をした部屋の人が、ケンタッキーでアルバイトをしていて、夜中に、フライドチキンを部屋に持ち帰って食べるんですよね。

そのいい匂いが、空腹にはたまらず、勧められるまま、空腹に負け、嫌いな鶏肉を食べてしまい、なんか、食欲に負けてしまったことに悲しくなって、涙がでてきました。

とにかく、下宿は、シェパーズ・ブッシュ駅から徒歩10分くらいにあった旦那さんがシンガポール系イギリス人で、奥さんがスペイン系イギリス人の家に決まり、学校もピカデリー近くの所に決まりました。

学校名は、なんとケンブリッジ・スクール・オブ・イングリッシュでした。かっこいいですね。

下宿は、2階にある6畳くらいの部屋で、ガスも電気もコインを入れないと使えない方式で、とても不便でした。料理を作っていると、ガス切れになったり、お風呂に入っていると水風呂になったりして、大変でした。

知らなかったのですが、部屋代も、下層階級が借りるような所は、週いくらというシステムで、わたしの借りた部屋は、週6ポンドでした。

学校は、フルタイムで午前と午後としっかり勉強しました。日本人は、中学でしっかり基礎を学んでいるので、入学の時にクラス分けテストでは、実力以上に好成績で、最初から中級クラスに入りました。

クラスの先生は、美人のヘレン先生でした。美人の先生だと、やる気がでます。

一般の外国人は、文法など苦手だとわかりました。クラスには、フランス人のおばちゃんがいて、ものすごいフランス訛りの英語で、北アイルランド問題を語り、イギリスの悪口をいっていました。

カソリックのフランス人の彼女は、ヘンリー8世の不倫からカソリックをやめ、イギリス国教会を作ったイギリスを軽蔑しているようでした。


これが、地下鉄の定期券。
下宿のあったシェパーズ・ブッシュから学校のあったトッテナム・コート・ロードまで。





英語は小学校の頃から興味があって、中学ではオーストラリアとアメリカにペンフレンドがいたし、ビートルズの歌をラジオで聞いて、歌詞を書き取ることなどもしていました。当時のNHK教育の英会話の番組も見ていました。

そして、アルバイトも知人の紹介ではじめました。誰でもできる皿洗いの仕事でした。

オーストリアレストランで、検索してみたら、今でも営業中でした。







学校が終わってから一度下宿に戻り、夕方から出直しました。仕事が始まる前に、まかないの食事がでるのが嬉しかったです。はじめて食べたグラージュはおいしかったです。

キッチンで働く人たちには、モロッコ人とかドイツ人とかスペイン人とか、多国籍で、キッチンの中で、大喧嘩したり、モロッコ人のアシスタントシェフなど、スペイン人のウエイトレスから、嫌な客が来たなどといわれると、焼いた肉を床に落としてから盛り付けるとか、最低でした。

ドイツ人の青年は、徴兵制から逃げてきたそうで、彼とモロッコ人とがよく喧嘩をしていました。

わたしは、皿洗いで、グラス洗いの方が、ちょっと立場が上で、スペイン人の陽気なパウロくんでした。彼とは、すぐに仲良くなりました。シェフからも、気に入られて、すぐに、アシスタントにならないかと誘われましたが、シェフになる気はなかったので、お断りをしました。

お給料も週給でした。月給はサラリーで、週給は、ウエージだと知りました。

仕事が終わって、後片付けをして帰宅するのは、もう深夜近くでした。地下鉄に乗ると、まわりは身体の大きな黒人たちばかりで、かなり怖かったです。

当時のロンドンでは、IRAといわれる過激派による地下鉄爆破事件が多発していたし、時々、黒人たちがケンタッキーを襲撃してお金を奪う事件も起きていました。

わたしの行った時期が、もう初冬という感じで、雨は多いし肌寒くて、参りました。部屋のヒーターは、小さくて身体の表面しか暖まらないですし、すぐにベッドに入るしかありませんでした。

ヒヤリングのためにと、中古で白黒のテレビを買ったのですが、それが、すぐ、画面が小さくなっちゃうようなひどいモノでした。ベッドで毛布にくるまりながら、白黒テレビを見る生活は、わびしかったです。

クラスには、ドイツ人の美人がいたのですが、わたしは、お湯と洗剤を使った皿洗いで、手が荒れてしまい、授業中でも手袋をしていて、とても恥ずかしかったです。

あっという間に滞在期間も終わりが近付き、ビザの延長を申請しなければならず、そのためには、授業料の前払いも必要になり、お金が足りないので、父にお金を無心をしました。


これが、学校からもらったロンドン市内にあるイミグレーションまでの地図






1月3日に申請に行って、4月30日までの滞在許可をもらいました。






ロンドンで、暇な時間には、中華街にいって、日本食に近いモノを作る食材を買ったり、マダムタッソーの蝋人形館にいったり、ノミの市にいったりはしましたが、観光らしい観光をしなかったことが、今となれば残念です。

ロンドンの西南西にある、ドーセットという田舎に行ったことは、一番楽しかったイギリスの思い出です。

そして、なんか、イギリスが、嫌になってしまい、イギリスをでることにしました。学校も仕事場も楽しかったのですが、それ以外が、楽しくなかったです。

ちょうど長五郎さんがロンドンに遊びに来て、彼と一緒に旅行をして、それから、デンマークに行こうと決めました。なぜデンマークだったのかは、いまだに理由がわかりません。

ロンドンから電車で校外にいって、そこからドーバーまでヒッチハイクをしました。ヒッチハイクの写真があったはずなのに、見付かりません。そして、ドーバーから、フェリーで、ベルギーのオステンドまで行きました。



ドーバーからオステンドまでのフェリーボートの切符

ベルギーの入国スタンプ








ベルギーに入ってからは、首都のブリュッセルに行って、それから、来月サッカー日本代表が、ベルギーと試合をする美しい町ブルージュに行きました。


ブルージュのユースホステルのスタンプ







ブルージュは、わたしの見たヨーロッパの中では、スイスのバーセルと同じように古くて美しい町でした。