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2026年7月17日金曜日

思えば、すごい環境で生まれ育っていた

 300坪ほどの敷地のまわりは、ホソバという木の垣根で囲まれ、北西には大きなイチョウの木と竹藪があって、昔は時々あった火事の火の粉から家を守っていました。

夏ミカンの木やイチジクやザクロの木もあったし、柿やクリの木もありました。

かなりすっぱかったけど、ザボンの木もありました。柏の木もあったので柏餅なども自家製でした。

家にあった果実は、どれも好きではなかったです。柿は今でも好きではありません。

梅の木もありました。父は梅酒を作っていました。

父は多趣味な人でしたので、味噌も自分で作っていたし、豆腐とかこんにゃくなども自分で作っていました。

大根を干して沢庵をつけたりもしていましたが、父が作ったものはどれもおいしくないと、当時は感じていましたが、今食べたとしたら、どうかな?

木が多いから毛虫もいっぱいだったので、野鳥も毛虫を食べに飛んできました。ヘビも時々やっていていました。

そういった木の下には、三つ葉とかミョウガとか、フキとかも生えていましたが、子供のころは、そういったものはにおいがきつくて食べられませんでした。

ハラン(葉蘭)なんかも生えていて、時々、どこかのおじさんがもらいに来ていた記憶があります。

シュロの木もありました。他にも名前を知らない気がたくさん植えられていました。

植物園のようだったのは、祖父の趣味だったようです。

私が生まれるまでは庭には池があったそうですが、私が池に落ちるといけないと埋めてしまったそうです。

私は、そういった木々の価値を知らなかったので、いつも邪魔くさいだけでした。

木が多いと落ち葉も多いけど、木登りは上手になりました。木をつたって屋根に上ったりもしましたが、瓦がずれて雨漏りの原因を作ったことには気が付かなかった。



自給自足の話

 田舎で生まれ育ったし、父が創意工夫の人だったので、子供のころからいろいろと貴重な経験をさせてもらいました。

例えば、父の口癖は、「備えあれば患いなし」でしたし、自給自足でした。

物心ついたときには、家には鶏が10匹くらいいたし、ヤギも買っていました。

ですから、新鮮な卵を食べてヤギの乳を飲んで育ちました。

父が鶏をさばくのを見るなと言われたのに見てしまい、それから鶏肉が食べられなくなりました。

海や川にも近かったので、父に連れられて、魚釣りも網を仕掛けての漁も経験しています。

海釣りでは、イシモチやキスやカレイやクサフグモ釣れたので、新鮮な魚を食べることもできました。

我が家では、クサフグを両親が裁いて食べていました。クサフグは、皮や頭や内臓や血以外には毒はないとのことで、いっぱい食べましたが、中毒の経験はなかったですが、免許や専門知識のない人にはお勧めはしませんし、責任もとれません。

農薬や公害などで、川に浮かぶ川魚を見てから、川魚は食べられなくなりました。

ウナギも食べられません。

猫の額ほどの田畑で、稲作もしていましたし、野菜や果物も作っていました。

ですから、脱穀とかも知っているし、稲を天日干しする竹で組んで作ったハゼ(稲架)で遊んだり、稲の中に巣を作る野ネズミの赤ちゃんを捕まえたりもしました。

スイカやカボチャやイチゴやトウモロコシやサツマイモなんかも自分の畑で作ったものを食べたし、綿花なども栽培していました。

農家ではなかったけど、農作物に関してはめちゃくちゃ物知りになれました。

父は、ミツバチを飼ったこともあったし、鉄腕Dashでやっているようなことは、子供のころに経験済みです。

今は、いろいろな規則や制約もあるから、やりたいと思っても個人ではできないことも多いでしょうね。

座礁した貨物船を見たこともあったし、墜落したジェット戦闘機も見たことがありました。

子供のころに戻って、またいろいろと遊びたいな。