2018年1月9日火曜日

明治維新と日本人

NHKの大河ドラマで「西郷どん」が、始まりました。

大河ドラマといえば、戦国時代か明治維新かというくらい、主人公が多い時代ですね。

歴史は、勝者の側から書かれるといいますが、敗者の側から描くのが歴史小説の醍醐味でもあります。

西郷隆盛は、西南戦争前は、勝者の側でしたが、西南戦争で敗者になったわけです。

わたしは、江戸時代は、それなりに平和だったのに、外圧によって、日本は開国し、一挙に帝国主義に走り、戦争ばかりやってしまった歴史に興味があります。

取るか取られるかの帝国主義において、軍拡に走り、戦争をしなければ、日本も東南アジアのように強烈の植民地にされたかもしれません。

でも、短期間の間に、造船技術や戦略を学び、武器の調達や開発・製造など、本当に信じられないほどのスピードでした。

わたしは、イギリスの東インド会社にも興味があるのですが、ユダヤ財閥の礎ともいえる彼らは、貿易から戦争もで、いろいろな分野で暗躍してきています。

日本人が優秀だったからだけでは理解できないほどの技術の進歩の裏には、東インド会社の技術者や教師たちがいたのではないかと思っています。

戦争には武器がいるわけですし、資金も必要です。武器も、使い方がわからなければ、意味が無いわけで、戦艦でも、航海術や武器を操る技術が無ければ、ただ海に浮かぶ鉄の塊です。

兵学校などでは、英語による授業が多かったです。でも、日本には、すでに優れた算術があったので、数学の計算には長けていて、すぐに理解されたようです。

戦艦からの砲撃とか、航空機への高射砲攻撃などの計算は、コンピューターのなかった時代は、非常に重要な学科でした。

明治期に作られた西洋式の建物でも、設計したのは、ヨーロッパ人です。鉄道でも航空機でも、みんなヨーロッパから入ってきたもので、技術者も同じです。

でも、日本人は、すぐに自分のものにしたし、日本的に改良もしました。読み書き・そろばんの底力ですね。

明治維新に活躍した多くの人たちは、下級武士たちで、みんながみんな、西洋の言葉や技術に長けていたとは思えません。裏には、武器商人たちや貿易商人たちがいたと、わたしは、妄想します。

伊藤博文ですが、イギリス留学は、1年に満たなかったのに、帰国後は、高杉晋作の通訳として、ユーリアラス号で艦長クーパーとの下関戦争後の和平交渉にあたったわけで、すごい仕事をしています。

下関戦争後の和平交渉では、イギリス側の通訳は、アーネスト・サトウで日本人みたいな名前ですが、スウェーデン系のイギリス人です。

妄想ですが、伊藤博文の留学やその後の活躍の裏には、東インド会社の手引きがあったのではないかと思います。

下関戦争とともに有名なのが薩英戦争ですが、どちらも、イギリスが、兵器の力の差を見せつけて、日本は、徐々にイギリスから、戦艦も武器も購入するようになっていきました。

へそ曲がりな見方をするのなら、武器商人たちが、デモンストレーションで、小規模な戦争を起こし、自分たちの優れた武器を売りつけようとしたとも思えますね。

グラバーや坂本龍馬なども武器商人として暗躍した時代でした。

時代は、米国の南北戦争が終わり、武器商人たちは、新たな市場を求めて、日本やアジアに来ていたワケです。

尊皇攘夷運動などの内戦・内乱は、武器商人たちにとっては、おいしいわけです。米国の南北戦争で売れ残った兵器が、日本に流入したそうです。

内戦・内乱で一儲けの武器ビジネスは、現在でも同じですよね。

アームストロング砲というイギリス製の大砲も、不良品で返品や受注キャンセルが多かったので、日本に売られたという話もありますね。

そして日本は、どんどん戦艦を作り、どんどん兵器を購入し、日露戦争では、とんでもない巨額な戦争資金をイギリスにあるユダヤ財閥から借金をしました。

イギリスにとって都合のいい政治家や軍人が、ますます権力を拡大し、時代は戦争へと突入していったという考え方も、最近では、珍しくなくなってきています。

西郷隆盛は、そういった権力闘争に負けてしまったのかな?