2018年12月19日水曜日

マハトマ・ガンジーが黒人差別?

マハトマ・ガンディーといえば、非暴力・不服従を唱え「インド独立の父」で、「裸の聖者」、偉大なる魂という意味「マハートマー」はガンディーの尊称だそうです。

そんなガンディーですが、今、アフリカでは、批判する人たちが増えてきているそうです。

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ガンディーは、イギリスの植民地だったインドの裕福な家庭で生まれて、イギリスに留学、弁護士になっています。

そして、当時、やはりイギリスの植民地だった南アフリカで1893年から1915年まで弁護士として働いていました。

1765年にイギリスの東インド会社が、実質的にインドを植民地としてから、イギリスは、インド人を教育し、他の植民地でのイギリス人の手足として使ったようです。

ですから、一番上にイギリス人がいて、その下にインド人がいて、一番下に原住民という構図ですね。

マレーシアやシンガポールでも、インド系の人が、警察官や役人として働いていたりします。

イギリス人は、植民地政策に長けていて、自分たちが、表面に出てきたりしません。現代の会社経営でも同じで、そこが、日本との違いです。

シンガポールなど、本当は、イギリス資本の会社ばかりでも、表に出ている名前は、中国系シンガポール人やインド系シンガポール人です。

で、ガンディーも、黒人たちから見れば、支配階級で、イギリス人と同じように、差別したという見方のようです。

今は、インターネットで、いろいろな資料が手に入りますから、知識階級にとっては、海外の資料を読んで、いろいろな発見もあるのでしょう。

昔は、騙せても、今はもう騙せないということは、いろいろな国で、いろいろな事柄で起きていることです。

今回、この記事を読んで、ガンディーについて、いろいろと見ていて、ガンディーの人間らしさを知って、何か、微笑ましかった。

ガンディーで有名なことのひとつに、ブラフマチャリヤ(心と行為の浄化)という言葉があって、それは、ガンディーが、結婚生活を送りながら、禁欲を貫いて、それこそが、非暴力不服従運動の基礎であると考えていたそうです。

それは、自分の父親が、不治の病で、もう危ないといわれていたときに、看病を続けるガンディーに叔父が来て、変わってあげるから、しばらく休みなさいといってくれたんだそうです。

それで、ガンディーは、自分の寝室にいって、妻とエッチしていたら、そこに下僕が来て、父の死を伝えたんだそうです。

それで、ガンディーは、なんてことをしてしまったんだろうかと後悔し、それから禁欲生活に入ったといわれているんだそうです。

しかし、ガンディーの死後、ガンディーの弟子たちの話によれば、歳をとってからのガンディーは、若い女性たちを裸にして添い寝をさせていたらしいのです。

問い詰められると、最初は否定し、徐々にブラフマチャリヤの実践じゃとか、添い寝だけで何もしていないといったそうです。

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ガンディーの姪アバ・ガンディーはボーズの主張を認め、「結婚してからも彼と寝ていた」と証言したし、もう一人の姪であるマヌや女医(厚生大臣であった時期もある)のスシラ・ナヤルも「ガンディーを暖めた女性であった」。 またある女性は「裸になり、ガンディーの腕に抱かれた」と証言した。
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シンガポール独立の父といわれたリークワンユーもイギリスに留学して弁護士になっていますよね。

ミャンマー独立の父、アウンサン将軍は、鈴木大佐の南機関のもとで軍事訓練を受け、「面田紋次」という日本名を名乗っていたのに、最終的には、イギリス軍に寝返って抗日軍として戦っています。

娘さんのアウンサン・スーチーもイギリスに留学しています。

みんな日本との接点はあるし、親日的な時期もあっても、最終的には、日本のやり方に賛同できなくなって離れてしまうようで、残念です。