クリスマスイブの所に書きましたが、昔のユダヤ歴、それを継承する教会暦では、一日は日没から始まり、日没に終わると決められていたそうです。
普通は、一日のはじめは、日の出だと思いますが、どうして、日没からの夜が、一日のはじめと考えたんでしょうね。
「朝だ朝だよ朝日が昇る」という歌がありますが、新しい日のはじまりは、やっぱり朝だと思うのは、新しい日への希望というか、祈りだったのかもしれません。
一日のはじまりが朝だとするのなら、午前0時に日付が変わるというのは、後付けでしょうね。
日の出時間は、日々変化するから、便宜上、午前0時から新しい日が始まることにしたのでしょう。
ですから、当然、一日が終わるのは、23:59ということです。
一日の労働が終わって、夜になれば、疲れた身体を睡眠で休めるわけです。寝る時に、ああ、今日も一日が終わったと考えるのが自然ですよね。
一方、日の入りで、一日が終わり、新しい日が始まっていくというのは、厳しい労働がやっと終わり、安らかに眠れる夜が来て、新しい一日が始まったということなのかな。
キリスト教には、安息日もあるわけで、休まるということが重要なのかな。
昔は、明かりがないから、夜は、恐ろしかったのではと思います。猛獣に襲われるかもしれないですし、悪魔がやってくると信じられていたかもしれません。
救いのキリストが生まれた夜は、新しい日のはじまりという風に考えたとも思えます。
キリスト教では、どう教えられるのかな?
キリスト教とかユダヤ教では、天地創造から、世界がはじまったと考えられているようですが、最初に天と地が生まれたときには、真っ暗闇だったといわれています。
そこに、光が生まれて、朝が来たわけですね。夜が先で、昼があとです。
天地創造は、いつだったのかというのがあるわけです。
天地創造の年代には諸説あるそうで
『タルムード』 前3760 - 2年
フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』 前5444年
ユリウス・アフリカヌス『年代誌』 前5500年
エウセビオス『年代記』 前5199年
アウグスティヌス『神の国』 前5351年
ベーダ『時間計算論』 前3952年
オットー・フォン・フライジング『年代記』 前5500年?
スレイダヌス『四世界帝国論』 前3954年
スカリゲル『時間修正論』 前3948年
ペタヴィウス『年代表』 前3984年
ボシュエ『世界史論』 前4004年
ペズロン『古代復元』 前5873年
ガッテラー『普遍史序説』 前3984年、『世界史』 前4182年
まあ、昔の人たちからすれば、紀元前5500年とか、もう想像できる範囲ではないわけで、そのくらい昔にこの世界が誕生したということなんでしょうね。
ところが、近代では、いろいろな方法で、地球の年代を推測し、45億4000万年前(±5000万年)に地球誕生と考えられています。
宇宙誕生というか、ビッグバンは、138億年前といわれているから、キリスト教の考え方とは違ってきます。
700万 - 600万年前に最古の人類が誕生したと考えられています。
天動説の件もありますし、キリスト教にも、いろいろな矛盾はありますよね。