日本人にとっては、東京裁判は、屈辱的な裁判でしたが、負ける戦争はしてはいけないという教訓ですね。
その東京裁判は、戦勝国が戦敗国を裁く法廷であったわけですが、インドのパール判事は、そのへんを見事に見抜いていました。
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パールは「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との主旨でこの裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。
これは裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から被告人を有罪であるとする根拠自体が成立しないという判断によるものであり、日本の戦争責任が存在しないという立場ではない。
「パール判事は親日家故に日本に有利な主張をした」「反白人のため、欧米に不利な主張をした」という説は事実誤認であり、自身も強くこれを否定している。
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パール判事と同じように、日本に好意的な人物がいました。
それは、スリランカのジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ元大統領で、1951年のサンフランシスコ講和条約提携の場で行った演説は、語りぐさとなっています。
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その会議演説で、ジャヤワルダナは「日本の掲げた理想に、独立を望むアジアの人々が共感を覚えたことを忘れないで欲しい」と述べ、また「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止むという法句経の一節を引用して、セイロン(現:スリランカ民主社会主義共和国)は日本に対する賠償請求を放棄する旨の演説を行った。
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この発言に対しては、こちらの人が、興味深いことを言っています。
二つの見方があり、一つは、戦後に今の日本の復興に向けて道筋をの中における恩人の一人としてのジャヤワルダナ氏を知り、感謝しよう。
もう一つは、親日家ジャヤワルダナ氏が、なぜ会議において、日本を擁護するような発言をしたか、それは「日本が戦時中ヨーロッパ列強と戦ったからである」というところ。
この後者のような、日本の行った戦争を正当化するような考え方は、危険だというのは、忘れてはいけない点でしょうね。
とにかく、世界には、公平な見方をする人たちもいます。私たちも、日本を全肯定するのでもなければ、全否定するのでもなく、間違ったことは間違いだと認め、間違っていなかったことは、それをしっかりと説明していくべきです。
例えば、慰安婦ですが、基本的な考え方は、当時合法であった売春を兵士たちの慰安所として活用し、兵士たちが、現地で民間人を強姦するなどの性犯罪を犯させないようにするためのものでした。
戦後の日本でも、GHQの兵士たちが、日本の民間女性に性暴力をさせないようにと、慰安所を設けています。
戦争において、軍人を殺傷するのは許されても、民間人を殺傷することは許されないというのは、世界統一のルールです。