自分が信じる宗教のために命を捨てる行為を殉教というわけですが、自爆テロのような行為は、殉教ではないですね。どんな宗教でも殺傷を禁じているはずです。
中国には、「愛国無罪」という便利な言葉があって、国を愛するのであれば、何をしても無罪だととんでもない解釈が出来る言葉で、これを他の国でもアレンジして使っているわけです。
「反日無罪」なんてのもあって、反日の行動なら何をやっても許されると信じるおバカさんもいて、困るわけです。
日本にある文化遺産を盗んだり放火したり日本人を痛めつけたりしても、反日のための行為であるから、罪に問われないという主張なわけです。
今回の自爆テロなんか、さしずめ、「信仰無罪」で信仰のため、異教徒や迫害する人びとには何をしてもかまわないというだけでなく、死をもって敵を倒すのは殉教だという思想です。
戦争なら敵を倒せば英雄ですから、宗教戦争でも、敵の宗教指導者を倒すのは英雄かも知れませんが、一般人を殺すのは、戦争でも宗教戦争でも、英雄でもなんでもない、凶悪な犯罪者です。
世の中には、詭弁とか、悪い意味でのレトリックを使う人たちがいるわけで、気をつけないと騙されます。
タイでは、「軍政を批判するなら、正義」という人たちがいます。
軍政が、いいか悪いかなら、私は、悪いと思いますが、でも、軍政に反対しているかといって正義でもないと思います。軍政に反対するタクシンなどの悪もいるわけです。
選挙で勝ったから何をしても許されるとか、軍政に反対しているのだから正しいとかは、「民主無罪」であり、「反軍無罪」だと思います。
選挙で勝っても、軍政に反対したとしても、腐敗政治や独裁政治はあるわけですし、そこをしっかり見極めないと、騙されてしまいます。
タクシン政権では麻薬戦争の名目で、裁判にもかけず、2000人以上が殺されたわけで、そんなの民主主義であるわけないです。
選挙で勝った政権を守るためなら、バンコクを燃やしてもかまわないとか、ロケット弾を打ち込んでも許されるとか、国際会議をメチャメチャにするとか、テロリストと同じです。
日本にも暴力革命を正当化している人たちはいるようですね。一般の人びとを巻き込んだら、オウムのサリン事件と同じですね
例えば、新未来党の党首も書記長も、軍が、選管をコントロールしているとか、自分たちを潰そうとしているという主張をしていますが、それはそれで、しっかり検証して、戦うべきだと思いますが、嘘はいけません。
それに、何かと言えば、すぐに欧米に助けを求めるのも、教師にすぐに言いつける勉強の出来る小学生みたいで、好きにはなれません。