2020年5月3日日曜日

1973年3月3日

ジョンレノンの歌うNowhere Manの歌詞

「星の王子様」の挿絵にあるように、星の上に何となく座っているイメージで、なんの目的もない、行き先もない。どこかちょっと僕らに似ていないかい?



そう、大学入試に失敗して、貧しい家計の中から予備校まで行かせてもらったのに、受験勉強がイヤでイヤで、途中で投げ出し、逃げ道として見つけたのが、海外語学留学。

でも、そんな経済的な余裕はないといわれ、じゃあ、アルバイトをして自分で金を貯めて行ってやると啖呵を切ったわけです。

でも、自分の金を手にすると、なかなか貯金は貯まらず、寄り道をしてしまうわけですが、これではいけないと気が付いて、お金を必死で貯めて、日本を出発したわけです。


1973年3月3日  11:00AM  Felix Dzerjinsky号にて横浜大桟橋から出港

船酔いはしないのですが、冬の津軽海峡から日本海は、メチャクチャ揺れました。

確か5000トン以上あるソ連の客船なのですが、大波の上に乗れば、まわり360度すべて大空です。そして、波の底に入ると、まわり360度が、全部海で、それはそれは、恐ろしいわけです。

4人部屋に2人でしたが、同室のSさんが、まあ、船酔いがひどく、嘔吐する音と横になっているだけでもゴロゴロところがるほどの揺れに、なかなか眠れませんでした。

3月4日 1日中船の上

船の上では、08:30から朝食 12:30昼食 16:30お茶の時間
      19:00から夕食でした。ソ連では、食事の時にりんごジュースがいつも出てきました。

3月5日 17:00 ナホトカ港着  20:00発の列車でハバロフスクへ

3月6日 11:05 ハバロフスク着 15:05発のフライトでモスクワへ
    16:25 モスクワ着 専用バスでモスクワ市内へ

3月7日 モスクワ市内観光 赤の広場 レーニン廟 ボリショイバレー

3月8日 自由行動 23:40発の国際列車でレーニングラード経由
    フィンランドへ

3月9日 フィンランド入国後、Lahatiで下車

シベリアのパック旅行は、ヘルシンキが終着駅でしたが、船の上で知り合ったM氏とM氏の彼女のHさんと仲良くなって、Hさんの実家のある街に行くことになり、実家に泊めていただきました。

「愛の街」ラハティーでは、ホンモノのサウナや湖の氷に穴をあけての魚釣りや、氷上を走り回る車に乗せてもらったり、貴重な体験をさせてもらいました。

楽しいラハティーの日々のあと、ヘルシンキに行って、船の上で知り合った仲間たちとヘルシンキ駅近くの有名なカイボグリルで再会しました。

当時、ヘルシンキに行く日本人のほとんどが、スタディオン・マヤのユースホステルに泊まります。

そして、カイボグリルに行って、情報交換です。私は、Mさんから、フィンランド語を教えてもらい、カタカナで書き留めました。

その時のフィンランド語の多くを今でも覚えています。若いときの記憶力はすごいから、若いときには、いろいろと勉強した方がいいですね。

私は、ヘルシンキには3月28日まで滞在して、夜行フェリーでスウェーデンのストックホルムに行きました。

ヘルシンキから、スウェーデンに行く人、ウィーンに行く人、ドイツに行く人など、それぞれの目的地に向かって分かれていきます。


当時のパスポート写真