シベリアを横断してヘルシンキに着いた日本人の多くがお世話になったのが、オリンピックスタジアムに隣接するスタディオン・マヤ(Stadion Maja)ユースホステルでした。
当時のメモを見ると、市内から3Tの市電に乗ってオリンピックスタジアムで下車して、徒歩5分のようです。
私の思い出としては、小高い丘の上にある建物には、大きな階段を上っていかなければならず、当時はまだ雪が積もっていたので、私は、階段から滑って転げ落ち、まわりから大爆笑された記憶があります。
当時のユースホステルは、世界中からの学生などが節約旅行で泊まるところでしたから、とにかく、いろいろな出会いもあって、楽しかったです。
スタディオンマヤでの思い出としては、自称オーストラリア人から、US$10をすぐに返すからとだまし取られたことや男子部屋が一杯だったので、ちょうど空いていた女性部屋に一人で泊めてもらったこと、南アフリカから来ていたキャサリンとジャネットと話をしたことなどがありました。
とにかく、夜はすることがないから、談話室で、いろいろな人たちと話しました。
アイルランドから来たという18歳の青年は、もう3ヶ月間、一銭も使わず、この街で暮らしているといっていました。
フィンランドなどの女の子から、食べ物やお金をもらって生きているとのことでした。
まるでボブ・ディランの歌に出てくるような世界だと思いました。
ヘルシンキといえば、歩道で酔っ払って寝込んでいる男を時々見かけました。
街行く人は、完全無視で、若者などは、蹴飛ばしていく人までいました。
厳しい自然の国ですから、自己責任ということが基本でしょうね。何をするのも自分の勝手だけど、他人に迷惑をかけたり、人間としての行動が出来ない人は、動物だという感じかな。
ヘルシンキ駅近くのカイボグリルという軽食や飲み物を出すお店に日本人など外国人がたむろしていましたが、先輩からは、絶対にテーブルに伏して寝てはいけないといわれました。
もしも、眠っていると、店の屈強なガードマンに店からつまみ出されて、路上で寝ることになると言われました。
なんにもすることがなく、なんの目的もない、ただ、カイボグリルでスパゲティーミートソースを食べ、まわりを眺め、教えてもらったフィンランド語を覚えようとする。
たまに知り合いになった人たちと無駄話、そして、一日が終わっていく。
暗くなったら市電に乗って、日本人でももてるという噂のディスコ・モンディーにいってみる。
現実は、もてるわけもなく、市電に乗って、スタディオン・マヤに帰っていく。
悲しいことに寝落ちしてしまって、追加料金を1マルク取られた思い出も、今となればいい思い出。