NHKの「ロックが壊した冷戦の壁」の続きなんですが、自由主義と共産主義の間には壁があったけど、それがロックによって壊されたという話です。
ビートルズの世界的な人気は東欧にも影響を与えたわけですが、東欧の若者たちの目からは、壁の向こう側には自由があるという感じだったんでしょうね。
万里の長城とか日本の城壁などのように、壁は、外敵から防御するために作られているわけで、現在でも、アメリカとメキシコの間にあるフェンスや金網と同じです。
日本は島国で、まわりが海だから、外国からの侵略を防ぐには、空港や港ですし、国内にいる敵ですね。
東ドイツから見るベルリンの壁は、壁というよりも檻だったのではないかと思います。
侵入を防ぐのではなく脱出を防ぐのが目的ですよね。
中国に住みたいという日本人はいるでしょうけど、北朝鮮に住みたいと思う日本人は、ほとんどいないのではないかと思います。
北朝鮮から脱出したいと思う朝鮮人は多いでしょうね。中国人や韓国人も海外への移住は多いそうです。
日本人も変わってきていますが、昔は、欧米で新しい学問や知識を得て、その後帰国して日本のために尽くした人が多かったです。
今は、国と国との間にあるのは壁ではなくて、法律ですね。出入国管理法だったり、輸出入に関する法律です。
これをしっかり自分たちの国のメリットを考えて整備しておかないと、簡単に侵略されてしまいます。
さて、1980年12月8日にジョン・レノンはニューヨークでファンによって射殺されました。
世界中の人々にとって大きな衝撃でした。壁の東側でも、ジョン・レノンのイマジンなどは多くの人々に愛されていて、追悼行事も行われ、それは毎年の恒例行事となっていました。
ジョン・レノンもイマジンについてこのように語っていました。
「イマジンは「反宗教的、反国家主義的、反慣習的、反資本主義的、事実上共産党宣言でしたが、私は特に共産主義者ではなく、いかなる運動にも属していません...しかし、それは砂糖コーティングされた共産主義のマニュフェストなので、それは世界中の人々から受け入れられたと思う。」
ジョン・レノンは宗教、国境、戦争、貧困、搾取のないより良い世界のビジョンを、わずか22行で表現することができました。この歌によって、ジョン・レノンは、世界中の平和を愛する人々から愛されています。
ジョン・レノンの歌には、「労働階級の英雄」といった歌もあるのですが、完全に共産主義的な詩です。
ジョン・レノン支持者の若者たちを反共産党だと考えて取り締まったのですから、信じられません。
もちろん、ジョン・レノンには、「Pwer to the peopleのような過激な歌もあり、これは、壁の西側でも東側でも、政府に不満を抱えている人々に立ち上がれと煽動しているように聞こえる歌です。
要するに共産主義でも自由主義でも、腐敗している政府があるということでしょうね。
ジョン・レノンを追悼する「Lennon Wall」が世界中にでき、それが反体制のシンボルとなっていきました。
そして、チェコスロバキアでは、1987年12月8日のジョンレノン追悼集会がレノン・ウォールの前で行われていた時に、警察が参加者を逮捕したことで、反政府運動が静かに膨れ上がっていきました。
そしてベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国も自由化してゆきました。
ちなみに、友人からもらったベルリンの壁のかけらが数個、私の手元にあります。