2019年8月13日火曜日

戦争の話

終戦の日が近付き、テレビなどでも戦争関連の番組が多くなってきています。

日本は敗戦国ですし、東京軍事裁判で一方的に裁かれた側ですから、悪いのは日本だとか、日本軍は残虐だったとか、そういった話が多いです。

日本の大失敗は、まず、真珠湾攻撃の前に宣戦布告を出せなかったことですね。あれで、日本は卑怯だと言われてもしかたがない状況に陥ってしまいました。

個人的には、満州とか中国での戦いは、ソ連南下の脅威があったとしても、イギリスをアジアから追い出そうとしたとしても、失敗だったのではないかと思います。

戦線を拡大するだけの軍事力も軍事費も人材も戦略もなかったと思います。

日露戦争と日清戦争で勝ったことが、日本を慢心させたのではないかと思います。

日本の司令官たちを批判するのは当然でしょうけど、一般の日本兵を批判できないと思いますね。

当時の日本人は、本当にまじめな人たちがほとんどで、上司の命令はゼッタイだったわけで、どんなに困難な作戦でも戦闘でも全力で戦いました。

このところの甲子園の野球を見ていればわかりますが、現在の高校野球でも、炎天下のなか、根性論があるわけです。

日本から極寒の満州や灼熱の東南アジアに行って、食糧も水も満足にないなか、本当にすごい人たちだったと尊敬します。

そういったことがよくわかるのが、フィリピンで行われた「バターン死の行進」ではないかと思います。

捕虜たちを強制的に歩かせて、多くの死者を出したと言われているわけですが、実際に歩かされた距離は、トータルで100キロとかいわれているそうですが、実は40キロちょっとだという話もあるそうで、そういった距離なら、当時の日本兵にとっては、毎日が「死の行進」だったともいえたんじゃないかと思いますね。

ようするに、日本兵ならなんともないような距離でも、アメリカ人には、とてもじゃないけど、耐えられなかったんでしょう。もちろん、マラリアに感染している人たちもいたんでしょうけどね。

タイは、日本の同盟国でしたが、タイからインパールへの路は、「白骨街道」といわれたほど、日本兵が、大勢亡くなっているところです。

バンコクからチェンマイまででも650キロと言われているわけで、ミャンマーに入って行くには、バンコクから1000キロは超えるわけで、そんな灼熱のジャングルのなかを日本兵は進んで、挙げ句の果てには敗走して戻ったわけです。

敵の銃弾ではなく、飢えと風土病で、ほとんどの人が亡くなられたそうで、想像するだけで、涙があふれそうです。

マラリアやデング熱やアメーバー赤痢だったそうです。

日本兵でなければ、出来なかった作戦でしょうね。他の国の兵隊さんたちなら、サッサと撤退でしょうし、捕虜になるでしょう。

辻参謀など、当時の作戦を立てた軍部は、最低ですし、悪魔だと思います。

カンチャナブリにある有名な「戦場にかける橋」の建設に関しても、英国やオーストラリアなどの捕虜たちにしてみたら、地獄のような労働環境だったんでしょうけど、日本兵にとっては、普通のことだった可能性はあるのではないかと思います。

日本兵は、我慢強いだけでなく、規律もしっかりとれていたそうです。

日本兵は残虐だったとか一般の女性を強姦したとか言っている人たちもいますが、全くなかったとまでは言わないまでも、かなり少なかったと思います。

あったとしたら、それなりの理由があってのことでしょう。

日テレで「ペリリュー島の74日」って番組をやっていましたが、日本軍の兵力はアメリカ軍の6分の1以下だったにもかかわらず、また戦力差においては航空機による爆撃、軍艦からの艦砲射撃等を考慮するとアメリカ側が少なくとも数十~数百倍の火力で日本軍を圧倒しているなかで、日本軍は、よく2ヶ月以上戦ったわけです。

そして、終戦を知らない兵士たち34名が、アメリカ軍の食糧貯蔵庫を襲撃し3年分の食糧を確保すると手製の蛮刀と手榴弾で武装し、アメリカ軍の遺棄物資や手作りの生活用品を用いながら2年近く洞窟内で生きながらえたが、1947年4月22日に澄川道男少将の誘導により米軍へ投降した。

横井庄一さんとか小野田さんのことでもわかりますが、とにかくまじめで我慢強いです。

番組の中でも言っていましたが、ペリリュー島にも、まだ多くの遺骨が眠っているそうです。

ほかの島々や中国大陸や東南アジアにも、帰国できないままの遺骨があるわけで、日本政府には、全力で遺骨収集をして欲しいです。

中国人や韓国人が、言いたい放題なのはまだわかりますが、同じ日本人の中にも、反日のおかしな人たちがいることが信じられません。

自分の国も愛せない人たちが、他の国の人たちから尊敬されるわけがないってことにも気が付かないようです。

それとも、やはり、日本人のフリをしているだけの外国人なのかな?