2017年9月20日水曜日

手紙と掲示板

今の世の中、スマホがあれば、何でも出来るという感じです。メールに掲示板、ブログやSNSなど、使い方によっては、便利なものです。

1970年代の通信手段としては、電話はありましたが、固定電話と公衆電話。海外では、友人との連絡は、手紙と掲示板でした。

ユースホステルには、掲示板と郵便箱があり、その掲示板に連絡事項を書いておいたり、友人が立ち寄りそうな都市のユースホステル宛てに手紙を書いたりしました。

ロンドンのような大都市ですと、当時から日本人の数も多かったですから、日本人会などもあって、そこの掲示板は、とても便利でした。

例えば、部屋探しや紹介、仕事の紹介、格安航空券などの情報などなど。今のインターネット掲示板と同じですよね。

例えば、往復航空券で来たんだけど、滞在が長くなるので、帰りの半券を売りたいとか。当時は、他人のチケットでも、チェックがほとんどなく、使えたんだそうです。

お金はなくても時間はあるから、いついつどこで会いましょうと手紙などで約束して、会えればラッキー、会えなければ、また次にという感じです。

ユースホステルのロビーや食堂は、情報の宝庫です。世界中の人たちがいますし、ほとんどの人たちが、フレンドリーでした。

例えば、ミュンヘンのユースホステルでは、ビール工場に見学に行けば、ただでビールとソーセージをゲットとか、教えてもらい、実際に行ってみました。

デンマークにも有名なビール工場があり、やはり、見学ツアーをやっていました。

体力と英会話は、まあまあでしたが、若いときには、楽器とか、何か特技があった方がいいです。世界中、どこでも人気者になれますからね。

体力も貧乏旅行には重要です。

今の時代は、英会話が出来ない人の方が少ないのかもしれませんが、片言であっても、発音が悪くても、会話が出来ると、本当に便利です。

ロンドンで知り合った、シューさんの英語は、関西弁丸出しのおかしな日本語英語でしたが、驚くほどイギリス人に通じていました。

語学学校の授業料を日本から送金してもらったことがありましたが、国際郵便為替というのがあって、指定の郵便局に行くとお金を受け取れることが出来ました。

約3年間のヨーロッパ滞在で、1度だけ、実家にコレクトコール(受信者払い)で電話をかけたことがありました。

別に用事があったわけではなかったのですが、元気でいることを知らせようと電話をしてみたところ、父は、すぐに母と代わり、母は、電話代が高いから、早く切ってと、電話をすぐ切るようにと催促ばかりでした。

ちょっと悲しかったです。

2017年9月19日火曜日

ニュネスハムン

スウェーデンの首都は、ストックホルムですが、ストックホルムからドイツに渡るには、飛行機以外ですとフェリーを利用します。

ところが、ストックホルムから直接フェリーに乗ることは出来ません。ストックホルム郊外にあるニュネスハムンまで電車とバスで行く必要があります。

若さというのは、素晴らしいもので、怖いもの知らずというか、無鉄砲なことも平気でやってしまいます。

ドイツに行くにはどうやっていったらいいのですかと案内所で聞いて、メモをして、郊外に向かう電車に乗るだけです。目的地のJordbroまでは、1時間弱だったと記憶しますが、そこからバスに乗り換えてニュネスハムンに行きました。ニュネスハムンは、港以外にはなんにもないド田舎でした。

バスから降りて、フェリーの桟橋に行ってみると、その日のフェリーがないことがわかりました。

またストックホルムに戻るのは面倒なので、港近くで野宿できるところを探しました。

ちょうど港を見下ろす岩場に、人目につかないところを見つけ、そこで野宿。

もう6月で、北欧は、白夜とまではいかないまでも、夜の10時くらいまで明るく、午前3時前には明るくなるので夜は短かったです。でも、何も食べるものを用意していなかったので、お腹が空きました。

港ですから、早朝からカモメが、近くを飛んで、鳴き声がうるさかったです。


この写真は、その時のものではなくて、知り合いのテリーの写真です。






ニュネスハムンから11:00発のフェリーに乗って、目的地は、ドイツ北部のリューベック。有名な港町だそうですが、全く知らない地名でした。

フェリーの中で、サプライズがあり、フィンランドで一緒だった長五郎さんと再会して、大感激。同じ頃、ドイツのリューベックで落ち合おうと手紙を書いてはいましたが、まさか同じフェリーに乗ることになるとは。

長五郎さんは、ヘルシンキからフェリーに乗り、わたしは、スウェーデンからフェリーに乗ったわけで、手紙では、日時とかフェリーの名前とか、全く連絡していませんでした。

なぜリューベックで落ち合うことになったかというと、リューベックのユースホステルで、日本を同じ日に出発したアカネさんとSさんが、アルバイトをしていると知ったからです。

当時の長期旅行者によくあったのは、どこかに仕事があれば、そこで、少しお金を貯め、また旅行するというパターンでした。

ヘルシンキで、みんな別行動をしたのですが、その時に、もしも、半年後に、まだヨーロッパにいたなら、10月6日のパリ、凱旋門レースを見にロンシャン競馬場で落ち合おうと約束していました。

その提案者が、アカネさんでした。


左から、長五郎さん、わたし、Sさん、アカネさん






ユースがドイツの修学旅行というか、キャンプでいっぱいだったので、長五郎さんとわたしは、ユースの近くで野宿しました。

アカネさんとSさんとの3ヶ月ぶりの再会のあと、わたしと長五郎さんは、ドイツを旅行しながらスイスを目指そうとハンブルグに向かいました。

。。。。。。。。

今日(10月1日)、昔のパスポートを見ていて、スウェーデン出港時のスタンプを発見。

スウェーデンのニュネスハムンを出港したのは、1973年の7月1日でした。



2017年9月18日月曜日

愛の街 ラハティ

インツーリストの旅行は、横浜港から、ヘルシンキ駅までの旅程でした。

モスクワを出発した列車は、当時のレーニングラードを経由して、フィンランドに向かいましたが、国境手前では、パスポートチェックがありました。

いろいろな人たちの旅行記を読むと、どうやらお約束ごとだったようですが、列車が国境を越えて、フィンランド領に入ると、車内からは、拍手と大歓声が起きました。

空の色も家々の屋根の色も、そう空気のニオイさえも変わりました。

当時のソビエト連邦は、社会主義の国、自由のない、旅行者は、常に監視されている国という印象でした。

横浜港から出港したソ連の客船ジェルジンスキー号の船内で運良く知り合った、フィンランド人の彼女と娘さんと一緒だったマノさんと彼の幼なじみの長五郎さんと一緒に、ヘルシンキの手前のラハティという駅で下車しました。

そこは、マノさんの彼女の実家のある街で、スーパーマーケットを経営する彼女の実家に泊めていただきました。

マノさんの彼女の弟エンガがとてもフレンドリーのいい人で、彼が、車でいろいろなところに案内をしてくれました。

一番印象に残っているのは、白樺に囲まれた湖が、まだ3月で、全面氷結していて、車でその氷の上を走ることが出来、エンガが、急ハンドルや急ブレーキをかけて、氷の上でスピンさせるのが、メチャ楽しかったです。

そして、氷に穴を開けての魚釣りも経験させてもらいました。

夜は、街の酒場に出かけて、若者たちが、酔っ払って踊ったりするのを眺め、家にある、本場のサウナに入ることも経験できました。

あとで知ったのですが、あの酒場では、当時ラハティを訪れた日本人にいろいろな出会いもあって、当時は、愛の街ラハティと呼ばれていたようです。

当時は、日本の男性がもてる世界でも珍しい国が、フィンランドだといわれていたんだそうです。

ラハティといえば、毎秋シベリウス音楽祭が開催されることでも有名だそうですし、ノルディックスキーの国際大会が開かれることでも有名だそうです。

あの3日間があったので、ヨーロッパって、素敵な所じゃんとヨーロッパに長く滞在したのかもしれません。

フィンランドは、トルコやタイと並び世界3大親日国だそうで、本当に、素晴らしい国でした。

フィンランドには20日足らずの滞在でしたが、今でも、フィンランド語をいくつも思い出します。

ヘルシンキ駅、その近くにあったカフェテリアのカイボグリル、ユースホステルのスタディオン・マヤ、ディスコ・モンディ、海が凍っていたヘルシンキ港などなど、懐かしいなあ。

3月26日には、当時ナンパ船と言われていたバイキングフェリーで、スウェーデンのストックホルムに向かいました。

ナンパ船と言われていたのは、よく沈没するからではなくて、夜中に、女性から声をかけられる船だったからです。

当時は、フィンランド人は、スウェーデンに出稼ぎに行く人たちも多く、若い女性も船にはたくさん乗っていました。

北欧といえば、スウェーデンとノルウェーとデンマークの3国で、フィンランドは、ちょっと仲間はずれです。人種的にも言語的にも違います。

スウェーデン語もデンマーク語もノルウェー語もほぼ同じというか似ていますが、フィンランド語は全く違います。フィンランド人の多くは、スウェーデン語も話します。










ナンパ船の中では、数人の女性たちから声をかけられましたが、1人のおばさんが話してくれた話が、とても印象的でした。

ひとつの川の上流にひとつの村がありました。人びとは、自給自足で、平和に暮らしていましたが、ある時、下流に住むという人たちが、村を襲って、村人全員を殺してしまいました。

下流に住む村人たちの言い分は、上流に住む人たちが、いろいろなものを川に流し、腐った食べ物であったり、汚物であったり、死んだ動物であったり、とても我慢できないので、滅ぼすことに決めたのだそうです。

その話が、フィンランドに伝わっている民話なのか、そのおばさんの作った話なのかはわからなかったけど、何となく、フィンランドとロシアとかフィンランドとスウェーデンとか、弱い立場のフィンランドのお話のような気がしました。

この話を、あの頃、姉に頼んで、どこかの雑誌に投稿してもらったのですが、読者からのお便り欄に小さく載っただけでした。

2017年9月17日日曜日

泣きっ面に蜂

このところ、運が下降気味です。

今朝は、1階のトイレでゴキブリを発見、急いで殺虫スプレーをとってきて噴射、ところが、なんと、噴射口を自分に向けていましたので、自分の顔めがけて殺虫剤をかけてしまいました。

とっさに目をつむりましたし、すぐに洗面して、目薬を何度も点眼して洗いましたが、また不安がひとつ増えてしまいました。

人間慌てると、事故が起きやすいですね。

ゴキブリは、そんなに苦手でもないのですが、でも、逆襲というか、こちらに向かって飛んでくるときには、ちょっとひるみます。

タイに来て初めて住んでいたアパートは、ものすごかったです。台所の戸棚を開けたら、真っ黒で巨大なゴキブリが、それこそ100匹くらい飛び出してきたので、身体が固まりました。

殺虫剤を毎日のように散布して、徐々にゴキブリのサイズが小さくなり、最終的には、ほとんど見かけなくなりました。

ゴキブリは、蝉のように飛びますが、わたしは、ゴキブリの復讐にあったことがあり、ベッドで寝ていたら、顔めがけてゴキブリが飛んできて、耳を囓られました。

ネコを飼い始めてから、家にヤモリが近付かなくなったような気がします。ヤモリは、害虫などを食べてくれるそうです。

人間には、無害ですが、でも、あの姿は苦手です。爬虫類と両生類は、大嫌いです。子供の頃は、そんなに怖くなかったはずなのに、大きくなってからは、ダメです。

タイには、毒蛇が多いから、嫌いな方が安全でしょう。ニュースで時々、ニワトリや猫が大蛇に呑み込まれたとやっています。トイレの便器からニシキヘビなどがでてきたニュースも時々ありますが、どこから入り込んだのか。

お尻を噛まれた人もいるそうです。

ゴキブリは、猫を恐れないようです。

復讐といえば、アリの復讐も怖いです。刺されると痛いタイプのアリもいるし、痛みだけでなく痒みもつらいです。

南国には、いろいろな生き物がいますし、病原菌も元気です。

2017年9月16日土曜日

破傷風など

4匹すべての手術が終わっていますが、手術後に、鎮痛剤と抗生物質を飲ませる必要があるのだそうで、それで、苦労しました。

一度でうまく飲ませることが出来るときもあれば、薬の落としどころが悪くて、猫も苦しむし、押さえる方も必死でした。

嫌がるところを無理に押さえるから、暴れるし、引っ掻きます。

引っ掻かれても、押さえつけているので、爪がかなり深く刺さります。それに、猫の口からよだれが溢れてくるので、それをティッシュで拭くときに、指にも唾液がつきます。

すぐに洗って、薬を塗ってはいますが、とにかく、傷あとが多くて、冷静に考えると、何らかの感染症は大丈夫かなあという不安はあります。

とにかく、小心者で、心配性、不安神経症の経験者ですから、インターネットで感染症について検索しては、不安を募らせています。

神経が冒され、口を大きく開けられないとか、筋肉のこわばりを感じるとか、いろいろな症状がでてきたら、そこから治療を受けても、死亡率はかなり高いそうです。

タイでは、犬に噛まれて病院に行くと、必ず、狂犬病と破傷風の予防注射を勧められます。医者が、わたしがあなたの立場なら、まあ予防注射を打っておきますが、どうします?とか聞かれたら、もう、嫌いな注射でも、打ってもらうしかないです。

狂犬病と破傷風の予防注射は、どちらも、複数回、日にちをおいて打ってもらいますから、面倒です。

屋内で飼っているネコたちですし、狂犬病など、予防注射は、忘れず打ってきているのですが、、今回は、クリニックに1泊しているし、疑ってかかるなら、クリニックなど、病原菌がいっぱいでしょう。

入れられていたケージに病原菌がついていたとしたら・・・・

まあ、不安のタネは尽きませんね。

破傷風以外にも、パスツレラ症、ネコ引っかき病なんかもあるそうです。

このブログに書き込みが長期間停止したら、ネコからの感染症で入院か、死亡ということかも。

ペットは、可愛いけど、いろいろと大変ですし、どちらが先に死んでも不幸でしょうね。

2017年9月14日木曜日

クロ、ネネ、チャチャー、そしてミミ

クロは、火曜日に抜糸して、もうほぼ完治です。薬も飲んでいません。

ネネは、とにかく薬が苦手で、飲ませるのに苦労の連続ですが、今日の夕方抜糸の予定です。

チャチャーは、手術後、意識が戻るのを待って、帰宅しましたが、とにかく麻酔のため、ぐったりして、ほとんど動きませんでした。

普段から、わたしの座っているソファーの下が、嫌なことがあったときのネコたちの退避場所で、暗くて狭くて落ち着くようなので、そこで寝かしておきました。

夜になって、少し麻酔がきれてきたのか、ないたり、ふらつきながら匍ってドアのところまで行くようになりました。

よく考えて、トイレに行きたいのかもと、トイレの中に入れたところ、そこでおしっこをしました。

そして、夜中に、また匍ってドアのところに行ったので、またトイレの中に入れたのですが、すぐに外に出て、自分で入り直して、またおしっこをしました。

クロもネネも、手術後にすぐトイレに行くことはなかったのに、チャチャーは、水を飲んだり食事をする前に、まずトイレでした。

ネネは、以前と同じように、きちんとドアをガリガリやって、ドアを開けてくださいとサインを出し、トイレで用をたしますが、クロは、相変わらず、ドアを開けてのサインをする前に部屋の中でおしっこをしてしまいます。

チャチャーは、麻酔でふらつきながらも、しっかり自分でトイレに行こうとしていて、実にけなげでした。











ネコは、自分の居場所にいるのが一番のようで、帰宅後、チャチャーは、とても落ち着いていますし、麻酔が覚めたら、食事もするし、水も飲むし、階段を自分で下りて1階にも行きましたが、戻るときに、階段を上がれないようで、階段の下でないていました。

昨日一日で、見違えるように元気になり、もう、高いところにもジャンプしています。

チャチャーは、今のところ、薬も問題なく飲んでくれているので、助かっています。

今日は、これからミミの手術です。また暴れるだろうし、麻酔が覚めるまでは、また、かわいそうな姿を見る事になりそうです。

意識を取り戻そうと、麻酔と必死で戦おうとする姿が、哀れです。ミミは、自己主張が強く行動的ですから、他の3匹のように、素直に麻酔で眠っていることが出来ないのかもしれません。

暴れると、獣医さんも助手も大変なので、一応、爪を短くしておきました。

来週中には、ミミの抜糸も終わるでしょうし、やっと、4匹の避妊手術が終わりそうです。

2017年9月12日火曜日

チャチャーの秘めたる凶暴性

ネコの武器は、猫パンチ。パンチといっても拳ではなくて、怖いのは爪です。

猫が不快に思っているときには、尻尾を大きく左右に振ったり、フゥーと威嚇したりしますが、最高に怒ったときには、頭を左右に振ったり、猫パンチを連続して繰り出したり、手足(?)をバタバタさせて暴れます。

うちの4匹に関しては、甘噛み以外に噛むことはないのですが、爪をたてたり、引っ掻いたりは、時々します。

目のまわりのお掃除は、さほど嫌いではないようですが、耳のお掃除は、大嫌いです。お掃除グッズを用意すると、逃げ出します。

一番恐がりは、ネネです。

手術後、痛み止めと抗生物質を飲ませなければならないのですが、これがまた大変です。

インターネットで検索して、飲ませ方をマスターしたつもりでしたが、薬を喉に上手に落とせないと、頬や上あごに薬がへばりついて、ネコにとっては、苦しいようで、大暴れをします。

クロとネネに薬を飲ませ続けてきた結果、もう手足に引っ掻かれた傷がいっぱいです。爪が、皮膚に刺さって、引っ張られるのが痛いです。

クロは、ほとんど暴れないのですが、今日の最後の一錠で、やられました。

ネネは、毎回、もう真剣勝負です。ネネの身体をバスタオルで巻いて、わたしの足にもタオルで防御をしてでも、暴れはじめると、もう、制御できません。

失敗した唾液まみれの薬は、捨てるので、また新たに薬を処方してもらいます。

でも、なんと言っても、大嫌いなのが、爪を切られることです。爪は、ネコにとっては、最強の武器で、それを切られては、生命の危機なんでしょう。

普段は、温和なチャチャーでも、爪を切ろうとすると、フゥーと威嚇してきます。











そんなチャチャーが、今日手術を受けたのですが、大暴れだったそうです。

今までは、手術を受けて、クリニックに1泊して、落ち着いてから帰宅だったのですが、医師から電話が入り、意識が戻る前に引き取りに来て欲しいとのことでした。

意識が戻ったら、もう手がつけられないだろうというのです。

連れ帰ると、この間のミミと同じで、麻酔が完全に消えるまでは、フラフラして、転んでばかりで、かわいそうで見ていられないだろうな。

今連絡が来て、チャチャーが意識回復だそうで、至急引き取りに来てとのことです。

クロの抜糸があるので、クロを連れて行ってチャチャーを連れ帰り、またクロを迎えに行きます。

2017年9月11日月曜日

ひょうたんの中の老人(ミャンマーの民話から)

 昔々ある所に貧しい一人の老人がいました。ある日、畑仕事をしているときに、傷ついたすずめを見つけました。すずめは、羽を傷つけていて、飛ぶことが出来ませんでした。

 「可哀相に。いったいどうしたんだ。」と、心のやさしい老人は、すずめに語り掛けて、家に連れ帰りました。毎日、餌と水を与えて、けがの介抱をしてあげました。

 しばらくして、けがが治ると、すずめが飛べるようになったので、老人は、すずめを連れて畑に行って、「気を付けて暮らすのだよ。」といって、空に放してあげました。すずめは、幸せそうに空高く舞い上がってどこかに行ってしまいました。

 いばらくしてから、助けたすずめが、老人のところに帰ってきました。すずめは、老人のおかげで命拾いをした恩返しに、一粒のひょうたんの種を持ってきました。

 老人は、その種を植えて水をやると、あっという間に芽が出て、すぐに大きなひょうたんの実がなりました。老人は、ひょうたんのあまりの大きさにびっくりしました。老人は、大きなひょうたんを家に持ち帰って、割ってみましたところ、中から、金銀宝石がたくさん出てきました。おかげで、この老人は、金持ちになることが出来ました。

 このひょうたんと老人の噂は、町中に広がりました。それを聞いた一人の猟師が、金持ちになった老人をうらやんで、自分も金持ちになりたいので、急いで弓矢を持って森にすずめを探しに行きました。

 飛んできたすずめに弓矢を放ち、落ちてきたすずめを家に持ち帰って、同じように餌と水を与えて、介抱しました。しばらくして、すずめが元気になると、同じように空に放してあげました。すずめは、幸せそうに飛び去りました。

 しばらくして、すずめが、戻ってきたときに、猟師は、自分もお金持ちになれると、大喜びをしました。すずめは、猟師に、やはり一粒のひょうたんの種を持ってきました。

 猟師は、種をまいて、毎日水を与えて、まだかまだかとひょうたんの実がなるのを待ちました。

 やがて、やっとのことで、ひょうたんの実がなりました。

 猟師は、すぐにひょうたんを割ってみました。ところが、中から出てきたのは、金銀財宝ではなく、やせ細った一人の老人でした。











 猟師は、驚いて、「おまえはいったい誰だ。ここで何をしているのか?」と大声で、たずねました。

 すると、ひょうたんの中の老人は、「大声を出さないでくれ。借金取りに居場所がばれてしまうではないか。」と小声でいいました。

 猟師は、その老人が貧乏神だとわかり、とてもがっかりしましたとさ。



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2017年9月10日日曜日

ミミ血液検査

ミミは4匹の中で一番行動的ですし、攻撃的で、爪切りや耳のお掃除、目ヤニのお掃除など、けっこうたいへんです。

今日は、そんなミミの血液検査の日で、クリニックで大暴れしたそうです。獣医師も下手くそだったようで、麻酔を打たれてしまい、帰宅時には、フラフラでした。

ネコは、興奮したりすると、瞳孔が開いて黒目がちになるのですが、今日のミミがまさにそれ。

麻酔が効いているから、起き上がれません。立ち上がってもすぐに転んでしまうし、触れようとすると怖がって、逃げるのですが、逃げられないから、転げ回り、かわいそうです。




麻酔を打たれてからもう4時間になるのに、まだまだ麻酔が切れていません。ただ、少しは、歩けるようにはなってきました。

ふらつく様子を動画で撮影しようかと、ふと思ったのですが、悪趣味だと思うのでやめました。

麻酔があるから手術も出来るわけですが、麻酔の効いた姿は、かわいそうで見たくはないです。

世の中には、見ない方がいいものはたくさんあると思います。

手術を受けてから、クリニックで1泊すると、翌日帰宅させた時に、ほとんど麻酔は切れていて、見たくない姿を見ることはありません。

そして、日ごとに回復していき、ネコの快復力に驚きます。

2017年9月9日土曜日

ネネの場合

ネネの場合、医師から連絡が来て、子宮に炎症があるとのことでした。ちょうど避妊手術をするからいいけど、もしも、そのまま気が付かないと、危険だった可能性もあったとのこと。

いわれてみると、最終の交尾期が、いつもよりも長くて、最近、よく嘔吐していました。いつもは、毛玉というか、毛の円柱状のものをはき出していたのですが、最近は、食べた餌をはき出すことが多かったです。

ネネは、4匹の中では、一番お行儀がいいというか、あまり行動的ではなくて、交尾期の時以外は、寝室で、静かにしています。

避妊手術は、無事終わり、クリニックで1泊したのち、帰宅しましたが、寝てばかりです。クロのように、寝る場所をしょっちゅう変えることもなく、同じところで寝ています。

 お腹の手術あと
疲れているようで、とにかくよく寝ます。








今日になって、寝る場所をいろいろと変えるようにはなっていますが、それにしてもよく寝ます。

朝夕、お薬を飲ませるのですが、クロに比べて、ネネは、暴れます。クロは、手術後も非常に扱いやすいですし、以前はなかったことですが、夜寝る時に、わたしの隣で寝ます。

わたしがソファーに座っているときも、足元で寝ることが多くなりました。

クロは、術後の検査を受け、全く異常がないとのことで、来週の火曜日に抜糸の予定です。

クロもネネも、傷あとを舐めないので助かります。

あと、チャチャーの性格が変わってしまい、クロだけでなくネネにもフゥーと威嚇します。以前は、穏やかな性格だったのに、なんか苛立っているようです。

もしかしたら、チャチャーよりもクロとネネに触れることが多いし、威嚇するとチャチャーを追い払うことが、おもしろくないのかもしれません。

わたしに近寄ってくる回数が激減しています。

ミミは、以前と同じで、マイペースですが、やはりクロに対しては、近付いては威嚇しています。

手術後、クリニックで泊まって、他の動物の匂いが身体についてしまっているのか、手術で弱っているから攻撃しようとするのか、自分も何か異変を感じているから苛立っているのか、理由はわかりません。

来週は、すでに血液検査で異常がなかったチャチャーの手術が火曜日の予定で、問題が無ければ、ミミの手術は、水曜日か木曜日になりそうです。

とにかく4匹ですから、いろいろと大変ですが、無事に終われば、それからは、楽になるはずです。

避妊手術を受けると、肥満の可能性が高いそうで、ダイエット用のエサに換える必要があると医師はいっています。

とにかく、あと2匹が無事に手術から戻れるようにと祈るだけです。

2017年9月7日木曜日

その後のクロ

避妊手術を受けたクロですが、4姉妹の中では、一番体格もいいし、体力もあります。跳躍力がすごくて、1度2メーター50くらいを見事に飛びました。

手術をして医師からも、非常に体力もあるし、暴れることもなく、いい子だと褒められました。

手術代は、子宮と卵巣を切除して1500バーツ。手術前に行う血液検査代が500バーツ。そして、お薬代が75バーツ。入院代が、1泊200バーツとのことでした。

最初の予定では、ある程度傷が癒えるまで3~4泊させようかと思っていましたが、1泊したあと、全く水も食事もしないで、じっとしているとのことで、普段から食器の位置を変えるだけで食べないような繊細さなので、思い切って、帰宅させました。

家につくなり、水をいっぱい飲んでくれたし、食事もしました。思いのほか元気で、傷跡に貼っているプラスターを舐めたりもせず、とてもいい子にしてくれています。


とにかく、じっとして寝てくれます。たまに、寝返りというか、場所を変えたりしますし、手術跡が開くのではと心配になるくらい、高いところにジャンプします。

これが手術のあとに貼られたプラスターです。







傷の下側に、こうして腫れている部分があり、リンパ液がたまっているのか、この腫れがひいたら、完治となるのでしょうか?






傷を舐めようとしないので助かっていますが、一応、スカーフで、傷のまわりをカバーしています。






わかりにくいですが、わたしの座っているソファーの肘掛けに来てわたしの左手に身体を寄せ、尻尾を巻き付けるようにして寝ます。





化膿止めの抗生物質と痛み止めの薬を飲ませるのは、いつもながら大変な作業ですが、なんとか飲ませることも出来ているし、今のところ、問題はありません。

おしっこも一度行きました。

問題は、他のネコたちで、チャチャーが、おかしいです。クロだけでなく、他のネコにも、フゥーと威嚇しています。クロがいる寝室に寄りつかず、今までに無い行動です。

何かを感じているのか、クロが持ち込んだ他の動物の匂いなのか、原因はわかりません。

ミミは、以前からクロと仲がよくないですし、今は、女の子の時期で、一人、外を見ている時間が長いです。

次の手術予定は、ネネで、昨日すでに血液検査をしていて、その結果に問題が無ければ、今日手術の予定です。そのため、昨夜から食事と水を与えないようにしなければならないから、他の猫には与え、ネネには与えないという変則になってしまい、いろいろと面倒ですが、しかたがないです。

先ほど医師から連絡があり、血液検査に異常なしで、これからネネを手術に連れて行きます。

2017年9月5日火曜日

避妊手術

我が家の4姉妹ですが、すでに3才になっています。











ずっと屋内で飼ってきていますが、一度だけ、クロが、逃げ出したことがありました。すぐに気が付いて、追いかけましたが、いろいろと呼びかけても、知らん顔で、近所の屋根の上を行ったり来たりしていました。

屋根を見上げてウロウロしたので、近所の人からどうしたんですかと声をかけられました。

そのうち、姿が見えなくなってしまい、とても心配でしたが、どうすることもなく、家でスタンバイしていました。

ベランダから、隣のベランダに飛び移っていったようで、また、ベランダに戻ってくるのではないかとベランダで待っていましたところ、1時間もしないうちに、また近所の家の屋根の上に姿を見せました。

以前、レザーポインターの光に反応して追いかけることを思い出し、レザーポインターを使って、近くまでおびき寄せて、捕まえることに成功しました。

生後1年くらいで、すでに妊娠可能だったので、とても心配でした。

その後、家中の猫が逃げる可能性のある隙間すべてに、プラスティックの網を張って、逃げ出さないようにしています。

といっても、人の出入りのスキに逃げ出す可能性はゼロではないわけで、避妊手術を受けさせることも何度も考えましたが、家のものが、反対していました。

本人が、何度も開腹手術を受けてきているので、猫がかわいそうだというわけです。まあ、その気持ちは理解できるから、強くは言えません。

でも、最近、ネコたちの交尾期が、やけに頻繁かつ長期にわたるようになってきていて、もう、いつもどの子かが交尾期といった状態で、最近は、お腹の底から絞り出すような声を上げるので、近所迷惑になるのではないかと、相談して、避妊手術を受けさせることに決めました。

とりあえず、今日は、クロをクリニックに連れて行きました。

昨夜から、食事と水を与えないようにしたのですが、他の3匹もお付き合いで、みんなお腹が減っているし、水も飲みたかったようです。

医師の話では、めったにはないことですが、麻酔に対するアレルギーなどで、手術後、回復しないで死んでしまうケースもあるとのこと、万が一のことがあっても、医師には責任がないという同意書に署名を求められました。

人間でも、検査や手術の前には、こういった同意書への署名を求められますが、いろいろと心配しますよね。

いくら確率は低いと言われても、ネコにとっては、生きて帰るかどうかのどちらかです。4匹もいるので、確率は上がります。

もう手術をお願いした以上、祈るだけですが、手術を待つのは、すごいストレスです。

もし、何かがあったら、残り3匹の手術は、しないでしょうけど、でも、万が一逃げ出して、妊娠をしたら、3~6匹くらい生まれてくるだろうし、そうなれば、もらい手を探すのも大変です。

無事に手術が終わるかどうかは、日頃の行いが問われるような気もして、いろいろと反省してしまいます。

夕方には、結果を知らせてもらうことになっています。

とりあえず、クロの避妊手術は無事成功し、意識も戻りましたが、まだ、普通に歩くことは出来ません。

入院は、傷の治りを見ながら3~4日かかりそうです。

2017年9月3日日曜日

旅行の形態

日本人は、古くから旅行が好きな民族で、神道と旅行とは、深い関係があります。

お伊勢参りに代表されますが、富士山や御嶽山など、山岳信仰も盛んで、近所の人たちとか家族を誘って出かけて行きました。

そうした旅には宿や食事や遊興施設なども必要で、一緒に発展をしてきています。温泉も、旅の目的としては、かなり重要です。

日本の旅行の基本は、団体旅行といっていいと思います。国内旅行でも海外旅行でも団体旅行が盛んでしたが、いつの頃からか、個人旅行も増えてきて、今では、個人旅行の方が、海外旅行では多いかもしれませんね。

個人といっても、一人とは限らず、数人で行く場合もありますし、個人の寄せ集めの団体もあります。

旅の基本は、まず移動手段で、昔の旅は、歩くのが基本。ですから、普通の人が歩ける距離ごとに宿が生まれました。

現在の国内旅行といえば、バスとか鉄道ですね。バス旅行は、便利です。

海外旅行となれば、もうほとんどは飛行機です。例外として船旅もありますが、まだまだマイナーでしょうね。

飛行機も、最近では、LCCが増えていて、かなり安く移動できます。

海外旅行の場合、基本、自宅から空港までの移動があって、空港での待ち時間もあります。飛行機に乗っている時間よりも、そうした国内の移動時間や待ち時間が長いときもあります。

目的地についても、入国手続きや預けた荷物を手にするまでの時間、そして、空港から宿泊先までの移動時間なども、なかなか疲れますよね。

海外旅行、特に個人旅行ですと、目的地の空港から宿泊先までが、けっこうたいへんで、トラブルも多いです。

宿泊先も、海外の場合には、ほとんどがホテルで、事前に予約している人がほとんどでしょう。ホテルは、超高級ホテルから、かなり安いところまでいろいろです。

わたしが、ヨーロッパに行った1970年代ですと、貧乏旅行をする人は、だいたいユースホステルに泊まりました。

一部屋に二段ベッドが4つとか10とかすごいところでは、体育館のようなところに簡易ベッドを数十並べただけのところもありました。

トイレとシャワーは共同です。

自炊できるところもあれば、朝食と夕食を有料でサービスするところもありました。

世界中から、若者たちが集まっていますから、知らない同士でもすぐにうちとけて、楽しい場でした。本には載っていない新鮮な情報もゲットできます。

当時の貧乏旅行者のバイブルは、一日5ドルの旅という本でした。

ただ、なれないうちは、外国人の強烈な体臭に苦しみましたが、でも、そんなの気にならなくなるくらい昼間歩いていますから、すぐに熟睡しちゃいます。

フランスのパリなんかでは、ユースホステルよりも、星なしの安ホテルの方が安かったです。わたしの泊まった星なしは、1泊11フランでしたが、友人は、1泊8フランのところを探して泊まっていました。確か、当時のパリ郊外のユースホステルは18フランだったと記憶します。

わたしの泊まった星なしホテルは、セーヌ川の南側カルチェラタンにあり、学生街といわれる地域で、ノートルダム寺院まで徒歩でわずかでした。

ロケーションは最高でしたが、ベッドには、人型の凹みがあって、寝返りがうてない状態ですし、トイレもシャワーも共同でした。

でも、カフェオレとクロワッサンの朝食付きで11フランは、当時としても格安でした。1週間ほど滞在して、地図を見ながらメトロを利用したり、とにかく歩き回りました。

究極の宿泊となると、キャンプとか野宿です。最近は、いろいろと規制されているようですが、わたしは、何度も常時携帯している寝袋で野宿をした経験がありました。

怖いのは、寒さよりも恐怖です。一人での野宿は、命がけの決意が必要です。あとは、空腹と喉の渇きで、水と非常食は必要です。

ロンドンでは、B&Bという形態、ベッドアンドブレックファーストというのが、普及していて、一般家庭の一部屋を朝食付きで提供している、現在のAirbnbのビジネスモデルが、すでにかなりありました。

最近流行りのビジネス形態は、既成のビジネスをインターネットにつながったスマホと専用アプリで結ぶサービスが多いですね。

GrabTaxiなんかも同じような形態で、それを個人の車に発展させたのが、Uberって感じかな。

個人の車に同乗させてもらうといえば、ヒッチハイクです。これは、うまくいくときは非常に便利ですが、危険もあるし、リスクもあります。

Airbnbなんかでも、Uber なんかでも、基本信頼関係の上に成り立つビジネスで、悪党が入ってくれば、非常にもろい部分もあります。

何かあったときの補償とか責任の所在が、これからの問題点でしょうね。

ドイツは、ヒッチハイクがしやすい国でしたが、一度など、アウトバーン(日本の高速道路)の途中で下ろされてしまって、下の一般道に降りるところも見付からず、空からは警察のヘリコプターから警告されるはで、大変な思をしたこともありました。

鉄道なんかだと、StudentPassとかEurailPassとかがありました。一定期間乗り放題の定期券です。こうしたサービスをネットで簡単に予約・購入できるサービスはすでにあるかもね。

船も豪華客船で行く船の旅でない、大型のフェリーというのは、意外と多いです。フィンランドからスウェーデンとか、スウェーデンからドイツとか、イギリスからベルギーとかは、フェリーで移動しました。

レンタカーやレンタルバイクもありますが、事故の危険はあります。

パリとかロンドンとかの大都市ですと、公共交通を利用して、あとは、地図を片手にひたすら歩くというのも楽しい旅行です。今ならスマホで充分でしょうね。

食べることも、現在のスマホ時代は、便利ですね。検索すれば、いくらでも見つけられるし、行き方もわかります。でも、こちらも、最近話題になった評価の真偽については、これからも話題になっていくでしょう。

観光に関しても、観光バスで乗り付けてガイドさんの説明を聞く方式だけでなく、個人でいく人も多くなるでしょう。時間にとらわれず、自分のペースで好きなところを見て回れますから、時間があれば便利です。

でも、ガイドがついていないとは入れないところもありますし、一人だと、いろいろと面倒だしリスクもあります。

旅行も、用意されたものから、自分の希望通りへと変化しているし、見るから体験するに変わってきています。

カルチャー教室系は、人気ですね。日本だと、着物着付け体験とか、武術入門とか、タイですと、タイ式ボクシング体験やフルーツカービング教室などが人気です。

写真や動画を撮ってSNSにアップするという目的での旅行も増えそうです。どこで撮れば見栄えがするのかを世界的に網羅するサービスなんかもビジネスチャンスかも。


















今は、座っていても、世界中のいろいろなことを調べられるし、疑似体験も出来る時代ですが、やっぱり、実体験は素晴らしいものです。

「書を捨てよ町へ出よう」とか「見る前に跳べ」とか、かっこいいフレーズが、背中を押してくれた時代でしたが、いろいろな体験は、視野を広げてくれるし、歳をとってからでは出来ないこともたくさんあります。

「若者よ旅に出よう」 ただし、期間限定で。