2017年10月11日水曜日

年金

若い頃から海外で暮らしてきているので、年金は、国民年金しかかけてきませんでした。それも25年間。

で、いろいろな考え方があるのですが、わたしは、65歳になる前に前倒しで、年金を受給することにしました。

前倒しで年金の受給が出来るかどうかを、正式名称は覚えていませんが、当時の社会保険庁の出張所に話を聞きに行きました。

最初に相談した係の人が、最低の人で、質問をしにいったのに、質問を聞いてくれませんでした。あの様な最低の人を雇っていたから、ダメになったんだと思います。

また受付にいって、新たに番号を受け取って、別の人に相談に乗ってもらったところ、ものすごく親切に教えてくれました。まさに天と地の違いで、驚きました。おバカさんは、歳だけとって態度がでかいですね。

若くて親切な係の人は、書類を持ってきて、前倒しで受け取ることについて詳しく説明してくれ、書類の記入のしかたまで教えてくれました。

そして、年金の受給資格が出来てから、実際に年金を受け取るための申請をしました。

年金の申請なんか、はじめてやるわけで、いろいろと心配でしたが、若い女性の係の人が、最初は、何か身構えているようでしたが、徐々に打ち解けてくれて、親切に教えてくれました。

以前に聞いていたこととほとんど同じで、スムースに進みましたが、私の場合は、タイで暮らしているので、タイの口座に送金をしてもらうことになり、タイの銀行のSWIFTコードを書き込むところがあって、そこで躓きましたが、スマホを持っていたので、検索して、無事にSWIFTコードもわかりました。

そして、無事にバンコクにある口座に年金が2ヶ月ごとに振り込まれるようになりました。

誕生日月になると、日本から、現状届けに関する書類が届き、大使館にいって、在留証明をもらって、それを同封されてくる書類と一緒に、日本に送り返すことで、また、1年間無事に振り込んでもらえます。

厚生年金は、65歳からの受給で、その時には、厚生年金の支給をお願いする書類が必要になります。これも65歳の誕生日前に送ってもらえます。

日本からの書類が届かない場合には、ネットで年金機構のサイトを調べ、そこに書かれているように、年金機構に宛てて手紙を書けば、手続きをしてもらえます。

バンコクにある日本大使館領事部は、ワイヤレスロードにあります。

私の場合には、地下鉄のルンピニー駅で降りて、ワイヤレスロードを北上、約200メートルくらいです。






敷地内に入ると、守衛の部屋があって、そこでパスポートを見せて、隣の部屋で荷物検査を受けます。


空港などと同じように、荷物は、X線を通します。







そして、領事部の建物に入ります。











屋内の写真もありますが、万が一悪用されると困るので、写真は載せません。

今は、衆議院選挙の在外公館投票が2階で行えます。

10月13日は、昨年ラマ9世の亡くなられた日で、タイは、公官庁も休みとなり、大使館も閉まります。

ちなみに、10月に入ってからは、タイの人たちが、黒とか灰色とか、無彩色の服を着ています。ついうっかり、上下ピンクの服で出かけようとして、タイ人のかみさんから、バッカじゃないのと𠮟られました。

気が付いてよかったです。この時期は、外国人といえども、無彩色が無難です。

大使館からのメールには、こう書かれています。

報道によると,10日,首相府より故プミポン国王陛下の服喪期間の延長について発表があった旨報じているところ、概要を以下のとおりお知らせします。

1.公務員、公営企業従業員、政府職員の服喪期間は、これまで15日間の延長とし、10月13日~27日としていたが、17日間の延長に変更し、10月13日~29日までとする。

2.国内外の政府施設、公営企業、政府組織、教育施設における半旗掲揚は、これまで15日間、10月13日~27日の期間としていたが、17日間に変更し、10月13日~29日までを半旗掲揚とする。

3.これまで10月27日の夜間から白黒の幕、看板を公共の場、公共施設から撤去を開始するとしていたが、これを29日の夜間からに変更とする。 

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領事部の屋内には、いろいろな申請に必要な書類があります。わからないときには、専用のインターフォンがあります。

まず、受付番号を器械からとって、電光板に数字が表示され番号を呼ばれるまで待ちます。

番号を呼ばれたら受け付けてもらい、また、書類が出来上がるまで待ちます。

年金のための在留証明は、年金証書を見せることで、無料になります。

日本とタイの間に租税条約は結ばれていますが、年金に関する課税については条項がないので、タイと日本で二重に源泉徴収される可能性があるようです。

2017年10月10日火曜日

タイのビーチでの喫煙

タイは、タバコやアルコールに対して、厳しい国です。テレビでも、タバコを吸うシーンにはモザイクがかかり、お酒のシーンも同じで、ボトルにもモザイクです。

サッカーの試合では、海外の場合、競技場にいろいろな広告もあるわけですが、そうしたときでも、アルコール類の広告にはモザイクです。インタビューの席の背景でも同じです。

SNSでお酒を飲んでいる写真をアップして、注意を受ける芸能人もいます。アルコールを販売する方としては、広告を規制されているので、芸能人にギャラを払って、ラベルの見える写真をアップしてもらっているとの噂です。

タイの場合、アルコールを販売できる時間に規制があり、通常は11時から14時、17時から24時までの間が販売許可時間となっています。

コンビニに、生ビールの自動販売機を据え付けることもつい数日前に禁止になっています。

タバコのパッケージには、タバコを吸うと危険ですと、肺がん患者など、ものすごいグロテスクな写真が印刷されています。

タバコを販売しているところも、ケースにカバーを掛けて見えなくしてあります。

レストランなど禁煙の場所も多いわけですが、このたび、タイの有名なビーチ20カ所での喫煙が、11月1日から禁止になります。

Pattaya,Jomtien,Phuket,Cha-Am,Hua Hin,Bang Saen,Pangnga,Samila,Mae Phim,Laem Singhなどが有名なビーチだそうです。

もしも、喫煙が見付かった場合には、最高で懲役1年、または、罰金が最高で10万バーツか、その両方だそうです。

確かに、ビーチにはタバコの吸い殻もたくさん捨てられていますよね。

ソースはDaily News


2017年10月9日月曜日

パスポートの有効期限

日本人が、タイに入国するときには、パスポートの有効期限が、6ヶ月以上あることが必要という規則があります。

そういった規則は、国によっても違い、1ヶ月以上の有効期限を定められている国も多いです。

タイの場合ですが、実際には、6ヶ月に満たない有効期限で入国して出国できた人もいるそうです。ある程度、係官の裁量によるのかもしれませんが、規則は規則ですから、気をつけた方がいいでしょうね。

わたしが経験したのは、シンガポールで、タイのノンイミグラントビザを申請したときのことで、わたしのパスポートの有効期限が、残り6ヶ月を切っていたことに気が付いたタイ大使間の係の女性が、このパスポートでのビザ申請はお受けできませんとの話でした。

では、どうすればいいのかと聞いたら、新しいパスポートを申請したのち、その新しいパスポートでビザを申請してくださいとのことでした。

もう一つの方法は、ビザなしでタイに入国し、タイか日本で新しいパスポートにした後、また別の国でタイのビザを申請することも出来るとのことでしたが、そんなの時間とお金の無駄ですから、シンガポールにてパスポートを新しくすることにしました。

タイの場合には、仕事が出来るノンイミグラントビザで入国しないと、ワークパーミット(労働許可証)の更新が出来ません。ワークパーミットなしで、仕事をすれば,最悪の場合、不法就労で捕まります。

シンガポールには、宿泊できる場所もあったので助かりました。

シンガポールにある日本大使館でパスポートを申請した経験も過去にあったので、必要な書類を取り寄せて、新しいパスポートを申請し、新しいパスポートが出来るまで、当時は1週間くらい待った記憶があります。











国の法律だけでなく、航空会社の規則でも、搭乗が拒否されるケースもあります。

よくあるのは、日本からタイに行く時にタイから日本への帰国便のチケットを持っていないケースで、その場合に、タイの滞在ビザがないと、搭乗を拒否されることもあります。

パスポートの有効期限の残りが6ヶ月に満たないケースでは、航空会社によっては、搭乗を拒否されることがあるそうです。

あと、妊娠6ヶ月以上の妊婦さんに対して、入国を拒否する国もあるそうです。出生地主義をとっている国ですと、その国で生まれた赤ちゃんは、その国の国籍をとることができるので、規制があるようです。

規制があっても、中国人などは、どんどん米国に行って、中国系アメリカ人経営の妊婦村に入居し、中国系アメリカ人医師の協力で、しっかり出産をして、中国系アメリカ人弁護士により子供の米国国籍を取ってから、中国に帰国するのだそうで、まあ、目的のためなら、なんでもしますね。

とにかく、普段からパスポートの有効期限については、チェックしておいた方がいいと思います。

2017年10月7日土曜日

ネコたちの食欲

避妊手術後、傷の治りが遅かったミミも、もうすっかり治癒して、元気いっぱい、以前のように走り回っています。

以前、トイレ以外の場所で排便、排尿をして困ったクロも、嘘のように、トイレでしっかり用をたすようになって、本当に嬉しいです。

ただ、相変わらず、クロはミミとチャチャーと仲がよくないです。クロが一番からだが大きいのに、逃げてばかりです。クロは、一番大きくて鋭い爪を持っているし、跳躍力もすごいのですが、喧嘩は弱いようです。

避妊手術前から、いろいろなところで、避妊手術を受けると、その後肥満になることが多いと指摘されていましたが、このところ、3匹の食欲がハンパないです。

そのため、トイレの便の量も爆増中です。

ネネだけは、他のネコたちと一緒に食べるのが苦手ですし、食べる量も少ないので、一番体重は軽いです。

一番食べるのは、クロで、なかなか食べるのをやめません。チャチャーも食事時間は長いのですが、受け口で、食事がへたで、長く食べている割りには食べる量は多くはないです。

子供の頃から、ずっとRoyal Caninの餌を与えてきています。毎日毎日、同じエサを飽きずに食べてくれ、ほとんど下痢することもなく助かっています。

子猫用から大人用に替えてから、毎日同じエサです。








避妊手術を受けた猫用の肥満防止になるエサがあるというので、試しに買ってみました。











とりあえずは、今までのエサに少し混ぜて食べさせてみようかと思っています。

太ったネコも可愛いですが、でも、ネコにとっては、肥満で寿命を縮めることになるだろうし、いろいろと気を遣います。


カズオ・イシグロさん

今年のノーベル文学賞が、カズオ・イシグロさんに決まりました。彼については、その国籍が話題になります。国籍はイギリスです。

彼の過去のインタビューにそのあたりのことが書かれています。

ノーベル文学賞 カズオ・イシグロが語った日本への思い、村上春樹のこと 村上さんとはロンドンで、ジャズの話をしました - 大野 和基 

このインタビューの中で、イシグロさんは、日本は、二重国籍を認めない国だったので、イギリス国籍を選んだといっています。

国籍に関しては、蓮舫さんの件でも話題になりましたが、世界には、二重国籍を認める国と、認めない国とがあります。日本は、現在の所、二重国籍は認めていません。

国籍は、変更することことが可能です。例えば、わたしは、日本国籍ですが、今住んでいるタイの国籍を取得しようと思えば、申請して、それが許可されたらタイ国籍になることは出来ますが、その時点で、日本国籍は失われることとなります。

私の場合には、タイ国籍よりも日本国籍のままがいいと思っているから、イシグロさんと違って、永住権を取得して7年以上経ち、タイ国籍を申請する権利はあるそうですが、日本国籍を捨ててはいません。


私の場合には、タイの出入国時には、この3点セットが必要になります。
そして、出国前に再入国の手続きを忘れると、永住権は消滅してしまいます。



国籍とは違い、民族というのは、国籍が変わっても普遍です。だから、日系ブラジル人とか、中国系アメリカ人とかいわれるわけで、その意味では、イシグロさんは、間違いなく日系イギリス人です。

5歳まで長崎で暮らしていたイシグロさんは、故郷長崎と日本についても語っていますが、彼は、イギリスで暮らし始めてから、日本に帰ることもなく、日本を記憶の中に閉じ込めていたそうです。

若い頃は、米国やヨーロッパを放浪したこともあり、いろいろな体験を得たようで、日本に行きたいと思ったのは、23、24歳になったときだそうで、実際に日本に帰ったのは、35歳になってからだったそうです。

欧米には、若い頃は、海外への貧乏旅行をして、視野を広めるという伝統があるようです。そのための安い宿泊施設、ユースホステルも発達してきています。

35歳になって長崎を訪れ、そこで、彼が思っていた日本は、長崎だったことを実感したそうで、東京や京都は、彼にとって、異国だったそうです。

でも、子供の頃の記憶は、鮮明に思い出されたそうで、この間、テレビで見た「YOUは何しにニッポンへ」にでてきた、親の仕事の関係で7歳まで日本で暮らしたオーストリア人と同じで、彼もまた、子供の頃暮らしていた町にいって、当時住んでいた家はなくなっていたけど、それでも、昔の思い出が、一挙に思い出されて涙していました。

オーストリア人の彼は、自分は日本人ではないけれど、彼の故郷は、日本だとインタビューでいっていました。

血統というのは、父と母からつながっているわけで、日本の場合には、父系ですから、父方の苗字を名乗ることが多く、父方の家系が、表にありますが、実は、裏には、母方の家系もあるわけで、10代20代遡れば、ものすごい数の家系があるわけです。

日本人で日本の苗字を持っている人でも、実は、外国の血が流れている人もたくさんいます。ちょっと外国人のような顔立ちだと思う人はたくさんいます。昔だと、大横綱大鵬さんなんかですよね。今でも、大関・高安と関脇・御嶽海の母親はフィリピン人だそうです。

明治以降、日本には、多くの欧米人も入ってきて、彼らの子孫が、日本の苗字で暮らしていることを普段は気が付かないこともあります。

今は、国際結婚もごく普通になっているので、ハーフやクオーターは、いっぱいいます。イシグロさんのように、両親が日本人だけど、外国籍の人もいるし、両親が外国人であっても、日本国籍の人もいるはずです。

でも、もう何代にもわたって日本で暮らしていても、絶対に日本の国籍は嫌だという人たちもいます。それなりの理由もあるのでしょうね。

ノーベル財団では国籍・国境等の変遷に鑑み、出身国に関しては出生国として、イシグロさんを日本出身のノーベル賞受賞者と位置づけているそうです。

成人するまでは日本と英国とのに重国籍で、どちらかを選ぶ必要になったときに英国籍の方が現実的だと決心したようです。

欧米人など、国籍がコロコロ変わる人たちもいますからね。

とにかく、日系イギリス人のノーベル賞受賞は、日本人として、嬉しいニュースでした。


2017年10月5日木曜日

バケペン

フィルムカメラにも、いろいろな種類がありますが、使うフィルムのサイズで分けることも出来ます。

一般的なフィルムは135フィルム(35ミリフィルム)で、多くのフィルムカメラは、このフィルムを使います。

110フィルムといわれ、カセットに入った小型カメラ用のフィルムもあります。

古い蛇腹カメラや二眼カメラや中判カメラに使われる120フィルム(ブローニー)も有名です。

昔のフィルムカメラを使ってみようと思うとき、やはり、中判カメラは魅力的です。

ブローニーフィルムを使う代表的な中判カメラとしては、ペンタックス67(6X7)、マミヤRB67などが有名です。


こちらは、マミヤRB67で、重いのでグリップをつけています。







今回、ちょっと詳しく説明するのは、バケペンといわれる、ペンタックス67(6X7)についてです。


普通の一眼レフのフィルムカメラに比べると化け物のように大きいので、バケペンと呼ばれるのだそうです。





こちらは、ひとつ古い6X7といわれるタイプです。

67よりも新しい67Ⅱというタイプもあります。




今回は、わたしの持っているペンタックス67(6X7)についてです。

ヤフオクなどで中古で買うわけですから、中には故障しているモノもけっこうあります。手にとってチェックできるモノと違って、ヤフオクなどは、運試しです。

でも、掘り出し物というか、ジャンク扱いで出品されているモノを落札して、壊れていなかったってこともあるので、みんな中古でジャンクを買ったりします。

故障していても、意外と簡単に修理出来ることもあります。

バケペンでよくあるのが、シャッターが切れないという故障です。バケペンは、電池を入れた状態でないと、何にも出来ません。

まず電池を入れますが、このカメラに必要な電池が6ボルトの4LR44という電池で、ちょっと高いです。でも、よく売られているLR44というボタン電池4個を直列につないだものなので、手の器用な人でしたら、ファイルの表紙とかを丸めて接着して、サイズを合わせて、中にLR44を4個を直列に入れて使うことも出来ます。


裏面にあるバッテリーケース









プラス・マイナスを間違えると動きません。







これは、ネットで売られているLR44を使うためのケースです。






LR44が4個入ります。プラス・マイナスを間違えないように気をつけます。






この状態で、シャッターが切れるかどうかをチェックするには、フィルムケースの蓋を少し開けた状態で、シャッター近くにあるフィルムカウンター中心のボタンを押しながら反時計にカウンターを回し、メモリを5くらいにした状態で、フィルム室の蓋を閉めます。

この辺は、ネットで調べれば、すぐにわかることですが、知らない人もいるようで、それだけのことで、シャッターが切れるときもあります。

もう一つ、よくあるのが、一眼レフですから、レンズの奥にミラーがあって、ミラーアップといって、ミラーが上に上がったまま動かない状態の時もあります。

そうしたときには、下の写真にあるレンズ横のボタンを竹串やボールペンなどで軽く押します。



レンズの方から見て、左側、67とか6X7と書かれているところの下にボタンはあります。





このボタンを押すとミラーが正常な位置に戻り、その後、シャッターが正常に切れることもあります。

あとは、露出計が動くかどうかですが、動かないときには、カメラの上についている、ペンタプリズムファインダーを外したときに見える、鎖が切れていることもあります。


この写真では、ちょっとわかりにくいですが、赤い印のちょっと下に、細い水があり、その中に細い鎖が入っています。
その鎖が切れていることがあり、それを釣り糸などで上手につないでやるだけで直ることもあります。

ペンタプリズムファインダーをはめ込むときには、レンズを外してからにしなければならないところ、それを忘れて、鎖を切ることがあるそうです。

このバケペンは、けっこうたくさん売られているし、専用レンズも手に入りやすいです。

実際に手で持ってみたときの重さと大きさは、衝撃的です。

もしかしたら、安く買ったカメラが、上に書いたようなことを知っているだけで、使えるようになるかもしれませんし、もし使えなくても、安く買ったモノなら、部屋の飾りでも素敵だと思います。


ニコイチ

昔のフィルムカメラは、ヤフオクをはじめ、いろいろなところで売っていますが、安いものには、問題があることが多いです。

古いカメラを買って故障しているときには、もう一台同じカメラを探して買って、2台とか3台の壊れたカメラから、部品を集めて、一台の使えるカメラにする方法が、ニコイチといわれ有名です。

昔のフィルムカメラの場合には、構造が簡単で、部品も少ないモノが多いです。安いものですと、直らなくても、悔しくはないですし、いい勉強の教材になります。

50年くらい前のカメラですと、露出もシャッタースピードもすべて手動のカメラですが、露出計が内蔵になったタイプも出てきます。

そうした露出計が内蔵されたタイプには、セレン電池というので、太陽光で発電して、露出計を動かしています。ただ内蔵の露出計で露出を測って、後は手動で露出をあわせるタイプと、自動的に露出やシャッタースピードを設定するタイプもあります。

 この中央のレンズのまわりにあるモザイクみたいな模様の部分がセレン電池です。

こちらのように、ボディーの上部にセレン電池が付いているタイプもあります。






セレン電池には寿命があるそうで、古いものの多くが、このセレン電池が使えない場合が多いです。だから、安いものは、この問題があると思った方がいいです。

ただ露出を測って、あとは手動で設定するタイプなら、露出計が故障していても、なんとか、自分で別の露出計で露出を測るとか、天気を見てだいたいの露出にするとかも出来ますが、自動でカメラが設定するタイプですと、使えません。

ですから、他の生きているセレンを探して付け替えることになります。カメラ内部の配線は、長さに余裕がないから、ハンダ付けに苦労しますが、素人でもできないことはないです。

上の写真の2枚目のようなタイプですと、安物のソーラ電卓のソーラパネルを外して、それでセレン電池の代用にする手もあります。こちらの方が、素人のわたしには簡単でした。


カメラからこの部分を撮りだします。

電卓からソーラパネルを撮りだし、配線して付け替えるだけです。






あと、セレン式の代わりに、測光素子に硫化カドミウムを使用したCdSセルを用いる方式が、そのあと出てきて、こちらは、電池を使います。


ちょっとわかりづらいですが、レンズの真上に丸い小さな円形のレンズのようなモノがCdSです。






こちらもCdSを交換することで、復活させることが出来るそうですが、こちらは、やったことはないです。

電池を使う昔のカメラで、困るのが、使われてる電池が、もう売っていない型とわかったときです。

昔の水銀電池は、環境問題などから、もう製造されていません。代替え電池もありますが、それを探すのは、簡単ではないわけです。

バンコクで電池を探すのなら、バンコクの秋葉原といわれるバンモーまで行かなくても、ITモールの4階にあるMr.バッテリーに、かなりの種類があります。

水銀電池の代わりに普通のボタン電池を使えるようにするアダプターを作って販売している人も日本にはいます。軽いモノなので、知り合いに頼んで郵送してもらえます。

いろいろと修理の真似事をしてわかったのは、電池室の液漏れによる錆とかは、きれいに掃除できる場合もあるし、配線が切れているだけの場合もあります。

一番簡単なのは、電池に触れる部分をヤスリで磨くだけで通電することもありました。安く売っていたカメラが、こういったことで使えるようになった時は、儲かった気分になります。

クーラーのリモコンとかテレビなどのリモコンでも、液漏れの時には、しっかり、お掃除をすると使える場合もあるので、試してみた方がいいです。

日本からカメラなどを送ってもらうときに、中に入っている電池は大丈夫な場合が多いですが、電池だけを別に送ることは、許されません。発火の可能性があるためかもしれません。

最近のデジタルカメラなどに予備のバッテリーをとか、引っかかることも考えておいた方がいいと思います。


2017年10月4日水曜日

五木寛之さん

1960~70年代に青春を送った世代にとっては、五木寛之さんは、憧れの人でした。

小説だけでなく、当時の若者たちのバイブル「平凡パンチ」とか「プレーボーイ」などの週刊誌にもエッセイを書き、テレビにも登場するし、寺山修司さんと野坂昭如さんなどと共に若者たちのリーダー的な存在でもあったと思います。

個人的には、五木さんの「さらばモスクワ愚連隊」とか「蒼ざめた馬を見よ」、「海を見ていたジョニー」、「青年は荒野をめざす」などを読んで、ヨーロッパに行くしかないと思ったりもしました。











寺山修司さんの「書を捨てよ町へ出よう」なんかも、本は好きでよく読んでいたけど、とにかく、行動力しかないと思ったわけです。

今の時代、若者たちのオピニオンリーダーって誰だろう?

五木さんは、スペイン内戦とか、パリ5月革命などについても小説を書いていて、今の時代とは、少し対立関係とかが違うけど、グローバリズムと民族主義との対立がある今でも、おもしろいのではないかと思います。

でも80年代くらいから、海外にいることもあって、本を読むことが激減し、彼の小説も読まなくなりました。

その後、時々目にする彼についての記事は、仏教に関心があるようで、親鸞についてとか、全く興味を感じませんでした。

今日、目にしたのは、こちらです。

五木寛之氏に聞く「多死」時代の老・病・死

かつてない数の死者に直面する不安の時代。そんな時代に、老い・病・死にどう向き合っていけばいいのか。作家・五木寛之流の“孤独のすすめ”とは。

BS日テレ 10月4日(水)午後10時放送
日テレNEWS24 10月5日(木)午前0時放送

五木さんは「孤独のすすめ 人生後半の生き方」という本を出しているそうで、元気で外向的な老人たちよりも、元気もなく、孤独で内向的な老人でも、いいんじゃないかというようなことらしいです。

なんか、共感できそうで、急に興味がわいたわけです。

最近は、終活や断捨離などの言葉も話題になってきているそうですが、そのアンチテーゼ(まるで小池さんの希望の党みたい)として、モノは捨てるなということのようです。

わたし自身も、このブログを書き始めて、過去の思い出が懐かしいし、過去の思い出につながる写真とかメモとかチケットなどが、あれば喜び、探してもないと、捨ててしまったのかと残念に思うわけです。

一般論ですが、男性は、コレクションが好きですが、女性は、すぐにゴミとして捨てますよね。

老後の楽しみは、若い頃の思い出じゃないかというのは、昔から言われてきたことで、昔はよかった、よかったと、暗い部屋で涙ぐみながら、思い出そうよと歌っていた人もいました。

今の時代の方が便利でいいことがいっぱいあるわけですが、老人の昔を懐かしむ気持ちは、不変なわけですね。











懐かしいものは人それぞれですが、やはり、若い頃には、いろいろなことをしておいた方が、老後の楽しみは増えますね。

いろいろな人生観や価値観がありますし、何が正しいのかわかりませんが、五木さんの「孤独のすすめ 人生後半の生き方」もテレビ番組も、見たくなりました。

・・・・・・

テレビの方は、見ましたが、おもしろくありませんでした。(10月5日)


2017年10月3日火曜日

故プミポン前国王陛下の火葬式

10月に入り、タイのテレビ番組が、白黒とまではいかないまでも、かなり色が薄くなっていることに気が付きました。

テレビが故障したのかと思いましたが、すぐに、1年前のことを思い出しました。

昨年の10月13日にタイの名君ラマ9世がお亡くなりになり、タイの国民たちは、深く悲しみました。

人びとは喪服を着て、テレビは、白黒放送になり、音楽やテレビドラマは、自粛されました、

人びとは、ラマ9世ご遺体がの安置されている王宮に行って、お別れをしました。それは、今でも続いています。

あれから1年、今月の26日に、故プミポン前国王陛下の火葬式が王宮前広場の特設会場で執り行われます。

政府は以下のことを発表しています。

*10月13日~27日まで政府関係職員は,15日間服喪期間を延長する。
*10月13日~27日,半旗を掲揚する。
*10月26日は公休日とする(2017年のみ)。
*10月26日,火葬式。
*10月28日17:30以降喪明け,平服を着用。喪中を示す白黒の布,幕,看板等を片付ける。

王宮及びエメラルド寺院は、2017年10月1~29日までの間閉鎖され、観光はできません。

タイのいろいろなサイトも、また白黒になっているようです。


2017年10月2日月曜日

モンキービジネス その1

モンキービジネスというのは、インチキとか、悪戯とか、あんまりいい意味では使われないようですが、ビジネスもどきというか、アルバイトというか、サイドビジネスの意味で使われることもあります。

サル知恵だから、苦労の割りにはそんなに儲からないという意味もあるのではないかと思います。

海外旅行に行ったついでに、何か安いものを買ってきて、お土産として配るというのは、誰もがやることですが、その延長上で、安く仕入れてきた物をネットで売ってやろうと考える人もいます。

今は、ネットでなんでも手軽に売ることが出来る時代です。

タイからのお土産としては、雑貨類が有名です。タイのモノもあるし、中国から入ってきているモノもあるし、韓国製まであります。

バンコクの伊勢丹のあたりは、高級なショッピングエリアですが、ちょっと北に行ったところのプラトゥーナーム交差点辺りに行くと、けっこう掘り出し物があったりします。

伊勢丹から北上して交差点の右側にあるビルには、タイの屋台店などで売っている人たちが仕入れる店もあります。

中国人たちがやっているストールとかスカーフを売っている店は、まとめて買うと、驚くほど安くなります。タイでは、まとめ買いというとだいたい1ダースです。


これからの時期は、お土産に喜ばれます。
薄手から厚手までいろいろとあります。





地下には、有名なアフガンの天然石の店もあります。チャトゥチャックにも店を出しているところもあります。


こちらもお土産に買っていって喜ばれました。
安いものから高いものまでいろいろです。





時間があれば、下から上まで、いろいろと冷やかしてみて歩くのも楽しいところです。もしかして、あそこで売っていたのは、ココで仕入れたのかな?なんてことを思うかも。

交差点から、もっと北に行くと、インドラホテルという老舗ホテルがあって、そのまわりも、まあ、世界中からバイヤーの集まってくるところです。繊維製品が多いですし、アクセサリー関係もあります。

大量にオーダーしている人たちもいるそうです。

あのあたりは、とても一日では回りきれないでしょう。ただ、スリとかひったくりもいるようですから、気をつけた方がいいです。

伊勢丹から北上した交差点を左に行っても、いろいろなショッピングビルがあります。

20年くらい前には、電脳ビルとして一世を風靡したパンティップ・プラザもあります。

タイは、高級店から、ガラクタのような物を売っている雑貨店まで、本当に飽きないところです。


ミスユニバース

来月11月26日に米国・ラスベガスのホテルにで、第66回ミスユニバース世界大会が開かれる予定です。

タイからは、スウェーデンとタイとのハーフのmaria poonlertlarpさんが、出場の予定です。

タイは、ミスなんとかが大好きな国民で、いろいろな大会をテレビ中継したりしています。タイは、過去に2人のミスユニバースを生んでいます。日本と同じですね。

タイは、コスチューム部門でも毎年話題になります。

今年は、タイの民話に出てくるメカラをモチーフにした衣装になる予定だそうです。

そこでタイの民話「メカラとラマスーン」です。

タイの大空に、雷をともなった雲が渦巻き、稲妻が空を走った時、一人の子供が、空を見上げて、かわいらしい手を振り、叫びました。

「メカラが、彼女のクリスタルの玉の力を借りて、雷神ラマスーンの斧から逃げている。」

メカラは、海の白い泡立ちから生まれた妖精です。彼女は、年若く、魅惑的な瞳と長い黒髪を持ち、誰からも好かれる性格でした。

彼女は空を駈けることができて、よく雲の間から、彼女のクリスタルの玉を両手に抱えている姿がが見られました。そのクリスタルの玉は、彼女の命令で、恐ろしい目の眩むような光を放ちました。

メカラが、しばしの静かな時を宮殿の中で過ごしたあと、彼女は、素早く宮殿を抜け出し、雲の層をどんどん駈け上って行きました。

ほとんどの場合、彼女は一人っきりでした。彼女は、この遊びが好きでした。時には、明るい色彩豊かで、輝く宝石をちりばめた服を着た友達たちと、空を駆け回りました。メカラは、いつも服の中にクリスタルの玉を入れていました。

いつも出かける前に、母親から、「メカラ、乱暴なラマスーンには気をつけるのだよ。あまり家から離れた遠くには行かないようにね。」といわれていました。

すると、メカラは、母親に、「お母さん、心配はいらないわ、私には、クリスタルの玉があるから、大丈夫。自分のことは、自分で守ります。」と言いました。

ある日、彼女が友達たちと遊んでいるところに、ラマスーンが偶然通りかかりました。

ラマスーンは、雷雲の中で生まれ、雨を産湯として育ちました。ラマスーンは、メカラの優しそうな美しい姿を見て、一目で魅了されてしまいました。

「今日は、たくさんの友達と一緒だから、メカラが一人でいる時を待つことにしよう。」とラマスーンは、心の中で考えました。ラマスーンの親友は、ラフーといい、暗闇の神でした。




ラマスーンは、いつも背中に武器として、斧を背負っていました。ラマスーンが望めば、ラフーを呼び出して、深い暗闇の世界を作り出すこともできました。

ラマスーンは、メカラを捕まえて、自分の住処に連れていこうという恐ろしい考えを持っていました。

ある日、メカラは、美しい白いふわふわする雲を昇ったり、降ったりして、高いところにあるひとつの雲の上に寝ころびました。

突然、不吉な黒い雲が、渦巻きながら、彼女の方に向かってきました。ラマスーンが、彼女に向かって突進してきて、驚き、悲しみをたたえた妖精のメカラを抱きしめようとしました。邪悪なラマスーンは、巧みに暗雲の中に姿を隠していましたが、メカラの神聖な瞳は誤魔化せませんでした。

メカラは、大急ぎで、クリスタルの玉を取り出し、まばゆい光を放つように祈りました。

ラマスーンは、恐ろしい斧を、メカラに向かって投げつけました。耳をつんざくような、斧とクリスタルの光のぶつかり合う音がしました。激しい衝撃のあとに、メカラは、斧が暗闇の雲の間に落ちていくのを見ました。

そのとき、ラマスーンの力によって、突然の大雨が降り始め、ラマスーンは、大雨に隠れて逃げ去りました。

メカラも急いで、自分の美しい宮殿に帰りました。雨に濡れて、ボサボサになった髪を乾かして、クリスタルの玉をしまいました。

このようなメカラとラマスーンの争いは、今でも続いているので、地上でも、稲妻や落雷の音を聞くことができるのです。

それは、ラマスーンの投げつける斧に向かって、メカラがクリスタルの玉からまばゆい光を放ち、お互いがぶつかり合うのです。そして、大雨が降り始めて、それに紛れて、ラマスーンが、今日も逃げ去るのです。

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タイのオンラインショッピング

日本ほどではないでしょうけど、タイでも、いろいろなオンラインショッピングがでてきています。

私の場合は、スーパーマーケットのオンラインショッピングをよく利用しています。

Lotus  最初は、ペットボトルの水が重いのでお願いしていましたが、他にも野菜とか果物とか日用品なども頼むようになっています。ココは、配達料が、基本60バーツかかります。

Big C  ココが一番家から近いんですが、配達料が無料なので、最近は、少量の野菜とか肉とか、お買い得品を中心に使っています。量が少ないとバイクで運んでくれるので迅速です。

Tops   ココはまだ使ったことがないのです。セントラルデパートのスーパーです。どんなものか、一度使って見るつもりです。

他に、日本の食材を中心に宅配をしてくれるところもあります。

サイトウフーズ  ローカルのスーパーでは売っていないものも扱っているので、嬉しいです。配達してくれる地域は限定のようですし、600バーツ以上でないと配達してもらえないようです。

バンコク三河屋さん  お酒を中心に扱っているようで、あんまり利用していませんが、調味料とか、お豆腐類などを時々頼んでいます。ココは、配達地域外だと、話し合いでいくら以上のお買い物の場合なら、配達OKになります。

Betch Global Delivery  ココは、品数は少ないですが、他にはない商品があるので、時々利用しています。ココは、買い物の金額に関係なく、配達料が100バーツかかります。

他には、オンラインではないですが、猫の餌とトイレの砂を配達してもらえるところもあります。猫の餌も猫用トイレの砂も量が多くなると重いので、運んでもらえると助かります。

でも、あんまり便利ですと、出不精になって、運動不足です。

ですから、近所のセブンイレブンに歩いて行って、牛乳なんかは買うようにしています。


2017年10月1日日曜日

ビルマの時代

1978年4月にビルマのラングーン(当時はヤンゴンではなくてラングーン)に、はじめて行きました。

ビルマに行くには、ビザが必要で、ビザを申請するのですが、その申請用紙に、家族に戦争時代にビルマにいったことがある人はいますかという質問がありました。

当時は、ミャンマーではなくてビルマ。ラングーンが首都でした。現在の首都はネピドー

当時のビルマは、まだまだ近代化前で、まるで、戦後まもない日本の田舎のようでした。


空港からラングーン市内への道路







持ち込み外貨の制限もあって、空港で強制的に、ビルマのチャットに両替しなければなりませんでした。

ビルマに行ったことのある人のアドバイスで、空港の係官にタバコ1カートンをそっと渡しました。今、そんなことをしたら、逮捕されるかもしれないので、やめた方がいいと思います。

当時のラングーンには、ソ連の援助で建てられたINYA LAKE HOTELとイギリス植民地時代のコロニアル風ホテルSTRAND HOTELとTHAMADAホテルくらいしか外国人が宿泊できるホテルはありませんでした。

わたしが泊まったのは、港近くにあるSTRANDホテルで、古いですが、素敵なホテルでした。

エレベーターは、シカゴギャング時代の映画のように、鉄枠に金網といった、まわりが丸見えでした。金属の扉を手動で閉めるときに、ガッシャンという音がいい雰囲気でした。

部屋では、バスタブが、4本の足つきでしたし、シャワーヘッドが、まさにバケツの底に穴がたくさん開いているような大きなモノで、それも素敵でした。ただ、水は、チョロチョロでした。

夜6時を過ぎると、外は、真っ暗で、なんにもありませんでした。でも、好奇心から、出歩いてみると、所所に裸電球があって、そこで、物売りがいて、タバコのばら売りとか、ブロマイドとか、100円ライターのガス注入商売などもありました。

映画館がありました。

1人で歩いていると、裏通りに入り込み、突然、兵士に銃剣の付いたライフルのようなモノを胸元に突きつけられました。人間、ものすごくびっくりすると、恐怖心は感じず、ただ、立ち尽くすモノですね。

野良犬を追い払うように、シッシッと銃剣でバックするように威嚇されましたが、ただそれだけで、追ってきたりの危険はありませんでした。

たぶん、軍の施設かなんかがあったんだと思います。

あと、思い出に残っているのは、街の中華料理を出す店で食事をしたんですが、箸が、真っ黒で、ティッシュで拭いてから食べました。

あと、飲み水は、表にある水瓶の蓋を取って、金属のお椀で、甕の縁をこんこんと叩き、ボウフラが驚いて沈んだチャンスに水を汲んでいました。ボウフラがいるほどきれいなんだとか。

あと、市内には、大きな市場もあって、闇両替なんか誘われましたが、ばれると、刑務所だといわれていたのでやめました。

当時、翡翠とか買っておく知恵があったら儲かったかも。

帰りに、両替したチャットはいくら使っていくら残っているかとか、外貨の残高も調べられました。

ラングーンの街は、イギリスが作った港町なので、シンガポールやペナンに雰囲気が似ていました。

ビルマ人は、戦後国連の事務総長をしていたウタントさんがいるように、素朴でまじめで好感が持てました。男性は、ロンジーといわれる巻きスカートをはき、布製のショルダーを肩から提げている人が多かったです。

ラングーンには、シンガポールと同じように福建省からの移民が多いそうでしたが、インドシナは、インドに近付くとインド系のような肌が浅黒く濃い顔立ちが目立ちました。

最近は、ミャンマーの女性が、タナカといわれる木の粉を水で溶いて顔に塗っているのを化粧品化して、タイでも売られています。